駿河の国てくてく紀行

のんびり歴史散歩と歌舞伎

毘沙門さんの縁日

2008年02月18日 | ウォーキング
2月14日
富士吉原 毘沙門さんの縁日へ

JR吉原駅~毘沙門さん~阿字神社の仏舎利塔~田子の浦港~吉原駅

高崎(群馬県)、深大寺(東京)と並んで「日本三大だるま市」と呼ばれている、富士市「毘沙門天大祭」の「だるま市」に行ってきました。
田子の浦から見た富士山がとてもきれいでした。
阿字神社の仏舎利塔、なんで神社で、仏舎利なんでしょう。
(写真は毘沙門さん門前の坂田の福羊羹と丹切)

歩いた距離            約 4,000㍍
歩きながらIPODで聴いた曲     THE Beatles ANTHOLOGY


山辺赤人 作
 万葉集 「田子の浦にうちいでてみれば白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ」
 百人一首「田子の浦ゆうちいでてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪はふりける」

微妙に違うのは、何なのか?昔から思っていました。
奈良期と平安期の価値観の相違からの改作なのか?。
それとも、解釈(読み方)の相違なのか?
何でしょうね。
 

ここにもあった将門首塚伝説

2008年02月10日 | 歴史
三代目尾上菊五郎の墓にお参り

 三代目尾上菊五郎の墓が、遠州掛川広楽寺にあるというのでお参りする。
何故この地にあるのかというと、上方での舞台出演の後、この掛川の地で急死、初代菊五郎の菩提寺と同名のお寺があるというので、葬ってもらったらしい。
後で調べてみると、実は、三代目は既に一度引退し、この時は大川橋蔵を名乗っていたはずなので、この墓の主は初代大川橋蔵でもある。神田明神の銭形平次の碑で大川橋蔵の名が刻まれているのを先日見たばかりであり、橋蔵・錦之介の東映チャンバラ映画に夢中だった子供頃を思い出し懐かしく感じた。

 さらに、この広楽寺から北へ1キロばかりの所に平将門と18人の家来の首塚があるのを初めて知り、神田明神をお詣りしたばかりなのになあ。と不思議な気がした。将門首塚伝説を調べてみよう。


歩いた距離            約 3,800㍍
歩きながらIPODで聴いた曲     綾戸智絵 LIVE!Ⅱ(I Love Being Here                     With You、Summer Time他)
         

不忍池にある長唄の石碑の意味

2008年02月05日 | 歌舞伎
本郷界隈を歩いた際の 知りたいが、解らない その1

不忍池の弁天堂の脇にあった12世杵屋六三郎・同門会(戦災で消失したものを再建したと記されてあったようだが、そのほかの文字がよく読めず、また歌の内容も読めなかったので、理解できなかった。)の石碑とは、なにを意味するものなんでしょうか?

司馬遼太郎“街道をゆく”本郷界隈を歩く

2008年02月05日 | ウォーキング
1月24日(木)雪の翌日本郷界隈を歩く

 司馬遼太郎の“街道をゆく”本郷界隈(東大より神田までとし、追分以北、根津方面は、またの機会とする。)
 
 まずは、不忍の池弁天堂から旧岩崎邸裏の無縁坂を上がり、東大病院を抜け東大三四郎池。
安田講堂を右手に見て正門を出て赤門まで。
本郷の街坂を下り、胸突坂から樋口一葉旧居跡を見て、鐙坂・菊坂を通り、炭団坂をあがって、坪内逍遥旧居跡、真砂町の図書館、ふるさと歴史館に寄る。
春日通りを突き抜け、大くすのきを眺めながら、壱岐坂からかねやすに戻どる。
傘谷坂サッカーミュージアムから、清水坂妻恋坂を抜け、秋葉原の電気街から眠庵へ。

 神田までは、江戸が感じられたが、本郷は、明治が感じられ、とても郷愁あるいい街でした。後日、再訪予定。

 眠庵はめだたない小さな店だが、今人気店のひとつでいつも満員だそうだが、 幸いに空席があり、カウンターに腰掛ける。磯自慢、志太泉二種の静岡酒をお通しのおからと大根煮でいただき、静岡のお酒について、若いご主人と話が弾み、もりそばをすすり、店をあとにする。

 その後、神田神保町の古本屋街に向かい、豊田書房古賀書店矢口書店の三店に寄る。平成元年発行の演劇界2冊を購入。御茶ノ水駅からの電車の中早速、この2冊を読む。

  
歩いた距離            約 13,000㍍
歩きながらIPODで聴いた曲     長唄 勧進帳 など