今回は東海道金谷宿から大井川を渡り島田宿まで。
歌舞伎に関する処を歩こうと思い、久し振りに歩いてきました。
JR金谷駅から旧道を大井川に向かう。
途中右に折れた新金谷駅の裏手に、白浪五人男の頭目日本駄右衛門の
モデルとなった日本左衛門(本名 浜島庄兵衛)の墓がある。
日本左衛門は盗賊団の頭目となり、諸国を荒らしまわり、
やがて全国指名手配となって逃亡中の京都の奉行所に自首をし、
その後、江戸に護送された。
市中引き廻しのうえ、小伝馬町の牢屋敷で首を斬られ、
その首は遠州見付宿(磐田市)に運ばれ、仕置き場晒されたのです。
その首を愛人三好ゆきが盗み出し、
金谷宿川会所跡の南にある宅円庵に葬ったといわれている。
(処刑場所、墓ともに、見附宿だともいわれている。)
さらに旧道を東進すると大井川に突き当たる。
対岸に川越遺跡があり、
そこには浄瑠璃「生写朝顔話」の中で盲目の旅芸人となった朝顔が開眼し、
初めて目に映った松(朝顔めあきの松)があるというので、大井川をを渡る。
この朝顔の松を眺め、写真に収めた後、
この史跡を抜けると、すぐに八百屋お七の恋人吉三郎の墓という道標を発見する。
こんな処にこんなものがあるとは、予測もしてなかったので、早速訪れてみる。
通りから入っていくと、関川庵というお寺あり、
そこに八百屋お七の恋人、吉三郎の墓がある。
お七の恋人には諸説あり、また吉三郎の墓も各地にあるそうだ。
なぜこの地にあるのか? よく調べてみる必要がありそうだ。
歌舞伎に関する処を歩こうと思い、久し振りに歩いてきました。
JR金谷駅から旧道を大井川に向かう。
途中右に折れた新金谷駅の裏手に、白浪五人男の頭目日本駄右衛門の
モデルとなった日本左衛門(本名 浜島庄兵衛)の墓がある。
日本左衛門は盗賊団の頭目となり、諸国を荒らしまわり、
やがて全国指名手配となって逃亡中の京都の奉行所に自首をし、
その後、江戸に護送された。
市中引き廻しのうえ、小伝馬町の牢屋敷で首を斬られ、
その首は遠州見付宿(磐田市)に運ばれ、仕置き場晒されたのです。
その首を愛人三好ゆきが盗み出し、
金谷宿川会所跡の南にある宅円庵に葬ったといわれている。
(処刑場所、墓ともに、見附宿だともいわれている。)
さらに旧道を東進すると大井川に突き当たる。
対岸に川越遺跡があり、
そこには浄瑠璃「生写朝顔話」の中で盲目の旅芸人となった朝顔が開眼し、
初めて目に映った松(朝顔めあきの松)があるというので、大井川をを渡る。
この朝顔の松を眺め、写真に収めた後、
この史跡を抜けると、すぐに八百屋お七の恋人吉三郎の墓という道標を発見する。
こんな処にこんなものがあるとは、予測もしてなかったので、早速訪れてみる。
通りから入っていくと、関川庵というお寺あり、
そこに八百屋お七の恋人、吉三郎の墓がある。
お七の恋人には諸説あり、また吉三郎の墓も各地にあるそうだ。
なぜこの地にあるのか? よく調べてみる必要がありそうだ。