Silvioの「最後に笑う者が最もよく笑う!」日記

日々の暮らしの中で、関心のあること、疑問に思うこと、ノスタルジーを感じることを綴っていく日記。

そんなに仲良くしようとしなくても

2005-06-25 01:23:38 | 国を想う
 いわゆる「左」の人たちは、「世界平和」とか「アジア諸国との友好」なんてことを言いますが、どっか夢見ているというか、甘い考えをお持ちのようですね。寝言は寝てから言え!って感じです。

 韓国なんかは日本への対抗意識で成り立っているみたいですし、支那は中華思想ゆえか、日本が目障りなんでしょう。どうしてこんな国々に仲良くしようなんてことを思うんでしょうねえ。向こうは最初から我が国と仲良くしたいどころか、対等の関係すら持ちたいなんて思っていないわけですから。

 日本文化を戦後60年も規制し続けるなんて、よほど自国の文化に自信がないんでしょう。なにかあったら「日本の軍国主義復活」なんていう世界最大の陸軍国が兵器の近代化を推し進めているわけですよ。自分のことを棚に上げといてね。

 台湾、タイ、トルコ、フィンランド、南米諸国といった親日国こそ我が国は大切にしなければいけないでしょう。

ココロのカゼひきのこと

2005-06-24 00:17:13 | 日々の暮らしの中で
 以前、このブログの中で皇太子妃殿下雅子さまのことを「お覚悟不足」と言った渡部昇一のことを紹介し、Silvioも同意見であることを書きました。それは変わらないのですが、実際にその状態になった人のことを思うと、いろいろ考えさせられてしまいます。

 私の周囲でもけっこうそうなった人がいますね。そういう人は真面目でおとなしく、自分が直面した困難に真正面からぶつかったり、経験したことのない環境に適応しきれないでなることが多いように思います。Silvioみたいに何の根拠も無く優越感を持ったり、適当なところで手を抜く性格なら、そうはならないのでしょう。

 職場が原因でなったのなら、職場を変わるとか仕事内容を軽くしてもらうなど、対応策が打てますが、家族にとってはどうなんだろう、と考えてしまいます。皇族のような立場だと、国民や国家に影響を与えるので、それはそれで極めて重大ですし、皇太子殿下の心中を思うとつらくなりますが、サポートする体制も最高レベルでしょう。

 しかし、一般庶民で家族がなってしまったら。家族が認知症や病気で障害を持ってしまった場合と同様に、その家族の負担はいかばかりか。周囲の目も気になるところでしょう。「家族なんだから面倒見るのは当然」という意見は綺麗ごとすぎるような気がして・・・。じゃあ、どうしたらいいのか。なんか、まとまりのない話になっちゃいましたね。もう少し考えてみます。

 

無宗教の国立戦没者追悼施設!?

2005-06-21 03:11:58 | 国を想う
 いよいよ、靖国神社問題がにぎやかになってきました。その中でSilvioが注目した新聞記事は、
 

 民主・小沢氏、A級戦犯分祀すべき(日経)
 国立戦没者追悼施設、自公の幹事長が調査費計上で一致(朝日)
 歴史問題、溝埋まらず…日韓首脳会談(読売)


 小沢一郎、所詮その程度の知能か!がっかり!!長らく自由党を応援してきた者として己の不明を恥じ入るばかりです。そりゃあ、小沢君、君には日本国内閣総理大臣は務まらないわ。
 
 公明党も自分たちが宗教勢力を背景にした団体なのに、「無宗教の追悼施設がありえる」と考えるのは、いかに創価学会が「宗教法人」でありながら、「宗教とは何か」ということを考えていない低能、低俗な連中の集まりだというのがよくわかります。

 歴史問題の溝なんか、埋まらなくていいです。埋まりっこないんだから。そんなことを首脳会談で論じること自体ナンセンス。韓国民はこんなことばかり声高に主張する大統領をもって恥ずかしくないんでしょうか。

 だいたい、戦没者を「追悼する」行為自体が宗教性を帯びざるをえないのであって、どうやって無宗教で追悼できるんでしょうか。「どこの宗教にもない祈り方」でも編み出すんですか?追悼する対象になんらかの「霊的なもの」がないと、そこで追悼したところで、それは石やコンクリートに頭を下げたりしているのに過ぎないでしょう。

 靖国に祀られている方々はもちろん、これからも靖国に眠り続けるわけですし、彼らは死地に赴く時、靖国で戦友と会うつもりでいたはずです。どうして後世の人間が支那や韓国に騒がれただけで、その尊い「物語」を汚すことができるのでしょうか。

 「天皇陛下も外国の賓客もわだかまることなくお参りできる施設を」って、わだかまってるのは支那と韓国だけでしょう。天皇陛下がわだかまっているわけないでしょう。陛下が参拝できない環境にしているのは、反日メディアのせいではないですか!

 先日の神社本庁の基本見解に尽きるんですけどね・・・。政治家たちは読んでないのか?なぜ、ここまで支那や韓国を政治家たちは気にするのか??理解不可能です。

最近、ときめくことがないなー

2005-06-19 23:32:42 | 日々の暮らしの中で
 題名のとおりです。最近、ときめくこと、恋愛感情を持つことがないですねえ。いい歳ですし、仕事が忙しいので、そんな必要はないんですが、そういうのがあるのとないのとでは、日々の生活の張りが違うような気がしますね。

 特にここ1年は全くなし。ここ2年くらいを振り返っても、やっぱりそんなにない。これは人間としてのエネルギーが減少しているのか!?いくつになってももてたいし、魅力的な女性と楽しく過ごせるのは、Silvioの人生における最重要案件ですけどね。

 それしても、自分が歳を取ると、出会う女性の年齢も上がってきますね。つまり、24,5歳のときは、同年代の24,5歳の女性と出会ったりする機会が多いですが、いい歳になってくると、出会う女性の年齢も「いい歳」になってきます。すると、魅力的な女性ほど既に結婚してしまっている確率が高まりますから(それはお互いさまですが!)、必然的に「どこかに難があるのでは・・・」と勘繰ってしまいがちです。実際そうであることも多々ありますね。

 ここは年長者の余裕を武器に年下の女性を対象に!と思っても、なかなかその機会がなくて。まさに需要と供給のミスマッチ!そして、そうこうしているうちに、目だけが肥えていく、と。「旬」とか「タイミング」ってホント大事ですよね。

お笑いは「才能」が重要

2005-06-19 00:48:57 | 日々の暮らしの中で
 自分で言うのもなんですが、Silvioは「お笑い」にうるさいですね。そして、「お笑い」で才能の無いのは許せない!と思っています。

 しかし、これは客観的に見ると、おそらく「『お笑い』に関して、単に好き嫌いが激しいだけで、自分が好きな「お笑い」を「才能がある」と思い込んでいるだけ」なのかも知れません。でも、そんなことを言ってると、Silvio自身も含めて、ちっとも面白くないので、Silvioが「才能がある」と思っている「お笑い」、「才能が無い」と思っている「お笑い」(←Silvioとしては「お笑い」を名乗ってほしくない。)について何回かに分けて書こうかな、と。

 「才能がある」の筆頭はダウンタウンですね。故ナンシー関が、たしか、「ダウンタウンはウッチャンナンチャンに比べて10倍才能がある、『お笑いの地肩』が違う。」、とどこかで書いていたように記憶していますが、まさにそのとおりでしょう。松本のボケは着眼点、表現とも天才的でしょう。

 そのボケでも、どこか荒削り、一見苦し紛れっぽい時があります。しかし、それが計算なのかはともかく、その内容は「荒削り風」な表現と相まって、さらなる笑いを生み、結局「才能の凄み」を感じてしまうのですが。だって、才能が無ければ、そもそもボケが出てきませんから。

 その「荒削り」感は、Silvioには中島みゆきとダブるんです。「何を突拍子もない例えを。」と思われそうですが、中島みゆきの歌詞は決して流麗ではないと思います。しかし、流麗ではない分、魂を揺さぶるように思うので、そこが相似しているかと。ちょっと無理あります!?

 あとの「お笑いの才能」の有無(=Silvioの好き嫌い)は、またの機会に。