Silvioの「最後に笑う者が最もよく笑う!」日記

日々の暮らしの中で、関心のあること、疑問に思うこと、ノスタルジーを感じることを綴っていく日記。

クールビズ、ですか

2005-06-11 21:40:27 | 社会的なこと
 世の中では「クールビズ」が話題のようですね。要は、上着なし、ネクタイなしで省エネルギーに努めましょう、っていう官主導の運動ですね。たしかに、我が国のような「高温多湿な夏」に上着・ネクタイありはつらいですよ。省エネルギーも重要ですけど、仕事がはかどるようにする側面もあるでしょうね。

 ただ、外見を重視される接客・営業にまでクールビズを求めるのは無理でしょうし、なにより「俺はそんなだらしない格好はできない。」という人は、そのままにしてあげるのがいいんじゃないでしょうか。みすぼらしい格好の人がはびこるのも周囲の精神衛生上よくないですし。

 それにしても、政治家や財界人のクールビズの格好、かなりやばいですね。小泉首相はまだ体型がスリムだから見れますけど。もともとファッションと無縁そうな人たちですし、よく考えたらあの年齢の人たちは企業では退職してたりするわけで、老人に無理させちゃいけませんよね。オリンピックのユニフォームでもそうですが、官製ファッションはなんとかならないんですかね。いいスタイリストを破格の報酬で雇って、「おしゃれな日本」を演出してもらいたいですが。

 でも、官主導だからというのもありますが、我が国の流行とかは東京が作るというか、発信するんですねえ。だって、ヒートアイランド現象があるといっても、沖縄や関西の方が東京より暑いわけですよ。それなら、その地方からこういった取り組みが発信されてもいいと思うのですが。既に取り組んでいたとしても、東京が情報発信をしないと広まらないのかな。それって、時間的ロスや東京の官僚色に染まるというデメリットがあるような気がするんですけどね。

 Silvioも夏の服装には悩みますね。体型はカバーしにくくなるし。なかなか上品にまとめるのが難しい。一歩間違うとだらしなく見えるし、きちんとしようとすると、自分自身が暑くなって、汗が噴き出してしまいます。しかも、冷夏って言われる時以外、最近の夏はメチャクチャ暑い!!昔は今ほどじゃなかったように思うんですけど。

 まあ、この夏を、仕事も服装もプライベートもいろんな意味で既成概念を取っ払う季節にできたらなー、なんて考えてます。でも、今のところなんの予定も立っておりませぬ・・・。

遊就館に行きましょう

2005-06-11 12:10:35 | 国を想う
 世の中はサッカーだ、レッサーパンダだと相変わらず平和そうです。昨日も書きましたが、現在、我が国は国民の誇りをかけた「思想事変」(「事変」とはいわゆる宣戦布告なしの戦闘状態という意味です)の真っ只中ではないか、と思うのです。衆議院議長をはじめ、とても我が国のことを真剣に考えていなさそうな人たちの発言が跋扈する中、ここで心ある者が想いを発しないと、将来にとてつもない禍根を残しそうな気がしています。

 Silvioは、高校生くらいから現在の思想的スタンスは変わっていませんが、歳を取るにつれ、いろんな意見に接し、わずかずつでも見聞を広めてきました。それらを経て現在のスタンスに到達しているわけですが、その中でも靖国神社の遊就館を訪問したことは忘れられない経験です。

 昨年の夏に訪問しました。靖国神社に参拝したのは2度目でしたが、遊就館に入るのは初めてでした。中では近現代の我が国の歴史や帝国陸海軍に関する資料展示がありましたが、何よりも特攻隊員の遺書は、読んでいて心打たれました。彼らは真剣に祖国のことを思い、それ以上に父母や妻子、婚約者らのことを思い、意を決して死地に赴いたのです。その清冽な思いは文章に、筆跡に溢れています。明日には我が命はないという時に、人は最も愛するものへの思いを純粋に昇華させるのか、と思いました。

 そのコーナーで、できるだけ多くの遺書を読もうと思い、閉館時刻まで4時間くらいずっと読んでいました。彼らの思いと死を決して無駄にしてはいけない、彼らの純粋さを現在の我が国に見出すことは難しくても、せめて彼らの思いを粗末にしないことこそが、戦後の我が国の復興・繁栄の礎となった彼らへのせめてもの恩返しであり、日本国民として絶対に譲れない一線ではないかと思うのです。我が国の針路を左右する人、歴史について考えている人、「右」も「左」も、全ての国民に是非とも訪れてもらいたいです!!!

 自民党も、民主党も、共産党も、社民党も。公明党は宗教が違うから靖国神社の敷地に入るのもイヤかもしれませんが、全国会議員が一度は遊就館を訪れるべきです。ぜひ税金を使ってください。

 Silvioは以前から、日本国憲法が規定していたり、保障していたりするものに少なからず疑問を持っていますが、「政教分離」もその一つです。もともとはヨーロッパで生まれた原則で、宗教の政治への容喙を排するためのものと理解しています。我が国においては、「戦前の国家神道の反省に・・・」などとナントカの一つ覚えのように説明されていますね。

 ところが、それが解釈が厳格になされすぎているのか、「玉ぐし料はポケットマネー・・・」「二礼、二拍手、一礼は神道形式だから・・・」とか、本当にどうでもよいようなことが、憲法に違反しているのかどうかという大問題のように論じられているように思います。要は「特定の宗教が弾圧されない」「特定の宗教に国政を左右されない」ということだけがきちんと保障されていればいいんですよ。「国家としての意思表示」が宗教に優先する、形式的な面で神道の形式に則るのは全然かまわないと思います。こんなことに憲法学者の出番はないですね。