Silvioの「最後に笑う者が最もよく笑う!」日記

日々の暮らしの中で、関心のあること、疑問に思うこと、ノスタルジーを感じることを綴っていく日記。

死刑賛成派です

2005-06-29 01:39:41 | 社会的なこと
 日付が変わりましたが、今日二つの事件で死刑判決がありました。読売新聞HPより。


毒物カレー事件、林真須美被告に2審も死刑判決
 和歌山市の「毒物カレー事件」で、殺人などの罪に問われ、1審・和歌山地裁で死刑判決を受けた元保険外交員・林真須美被告(43)に対する控訴審の判決公判が28日午前、大阪高裁で開かれた。
 白井万久裁判長は、「残忍で冷酷な犯行で、殺意が未必にとどまるとしても、量刑は不当とは言えない」として、1審判決を支持、真須美被告の控訴を棄却した。
 1審で黙秘した真須美被告は、控訴審では供述する態度に転じて改めて無罪を主張。その信用性が唯一最大の焦点になっていたが、白井裁判長は「突然、真相を吐露し始めたとは到底考えられず、信用できない」と判断した。真須美被告は、上告した。


下関の通り魔、控訴審も死刑…「完全責任能力あった」
 山口県下関市のJR下関駅で1999年9月、5人が殺害され、10人が重軽傷を負った通り魔事件で、殺人罪などに問われた同市豊浦町、元運送業上部(うわべ)康明被告(41)の控訴審判決が28日、広島高裁であった。
 大渕敏和裁判長は最大の争点の刑事責任能力について「犯行時、完全責任能力があったことは明らか」と述べ、死刑を言い渡した1審・山口地裁下関支部判決を支持、上部被告の控訴を棄却した。
 控訴審で被告側は「妄想に支配された犯行で、当時は心神喪失状態だった」と無罪を主張した。しかし、大渕裁判長は、精神鑑定の結果などから「責任能力に影響を及ぼすような異常性をうかがわせる徴候は皆無。妄想に支配されて犯行に及んだと考える余地はない」と退けた。そのうえで「多数の人々を殺害しようと決意し、事前の計画に従って、極めて冷静、合理的に犯行を行っている」と指摘した。
 動機については「運送業が継続できなくなったうえ、両親からの援助も拒絶され、八方ふさがりの状態で将来に絶望し、無差別大量殺人をしたあとに自殺すれば、両親に対するうっぷんばらしになると考え、犯行に及んだ」と述べた。


 長い引用ですみません。どちらも死刑は当然ですね。一般論としては拙速はいけませんが、社会的エネルギーのロスを考えると、さっさと死刑を確定させて、刑を執行すべき連中ですね。

 さて、世の中には死刑廃止論というのがあります。Silvioは、死刑賛成派なんですが、ただ一点だけ、「冤罪だったらどうするのか?」という問いに答えを持ち合わせていません。かつての帝銀事件の平沢貞通のように「どう考えても、こいつはやっていない。」というので死刑が確定したら、どうするのか。結局、帝銀事件の場合、歴代法務大臣も同感だったのか、死刑を執行しませんでしたが。

 ただ、「こいつは死刑にすべきだ!」と、みんなが思うような犯罪者が少年法に守られたり、「反省の色が見られる」「更生の余地がある」などで死刑を免れていることがありますよね。Silvioは、犯罪者の年齢にかかわらず、基本的に人を殺したら死刑、あとは例外的に具体的な事情を考慮して若干の減刑、でいいと思います。

 昔あった、コンクリート詰め殺人事件なんか、絶対に死刑ですよ!人として許してはいけないでしょう!!鬼畜の人権なんか考慮する必要は全くなし。なぜ政治家は刑法の厳罰化法案を国会に提出しないのか!怠慢以外の何者でもない。

 よく死刑廃止論者が「死刑があっても抑止効果はない。」と言いますね。そりゃ、抑止効果はないよりあったほうがいいですけど、はっきり言って、なくてもいいんです。死をもって罪を償うべきやつ、犯した犯罪から見て生かしておく必要のないやつを、国家の名において殺すのが死刑なんですから。「消す」ことに意義があるのです。(←言い方がキツくてすみません。)

 外国の動向も関係なし。我が国は我が国の道を行けばよい。殺された人の気持ち、遺族の気持ちになれば分かることじゃないかな。人権、人権って言う風潮、思考回路はそろそろ疑った方がいいと思います。そんな輸入モノ、決して絶対的なものとは思いませぬ!