短歌散文企画 砕氷船

短歌にまつわる散文を掲載いたします。短歌の週は毎週第1土曜日です。

第21回 「ひとりぼっちがくれたもの」 盛田 志保子

2020-09-20 22:29:02 | 短歌
今年はコロナの影響で、お盆に岩手の実家へ帰れなかった。
上京して約25年、それは初めてのことだった。
東京でバタバタと働いたり家事をしたりしているうちに、
8月は黙って過ぎていった。
どこかに包装紙を解いていない夏がそのまんま置き忘れられている気がして、
そわそわと落ちかないまま、気が付けばあたりには秋の気配が漂っている。
夏の終わる寂しさと秋の始まりは見事に重なっていて、
夏が悪いんだか、秋が悪いんだか、きみたち連帯責任だ!という感じで、
開けていない夏の箱の行く末を知るすべもないが、
きっとどこかでうまくやっていただろう。
麦茶を煮出した回数が人生で一番多かったこの夏。
どこへも行かなかった夏。
いつのまにか蝉の声は秋の虫の声に変わり、
カラスももう地べたで口を開けて宙を見ていない。
それにしても百日草だけはいつ見ても元気だ。

  百日草百日の花怠らず 遠藤梧逸

6月くらいから咲いていたので百日どころではない。
来たるべき秋の食欲だけは間違いないので、
わたしも少しは元気に体を動かさなくては。
わくわくするような、秋もやっぱり好きな季節だ。
なにより朝晩涼しい。
やっとぐっすり眠れる。

  一雨ごとに秋が壊れていくようで

そんな歌い出しで短歌を作った、台風だらけの秋があった。(下の句は忘れた)」

  まぼろしの撮影隊がやってくる秋裏返し秋裏返し

という歌を作って持って行って、意見の割れた秋の日の歌会があった。

  秋の朝消えゆく夢に手を伸ばす林檎の皮の川に降る雨

この歌を作った秋、わたしは学生で、
阿佐ヶ谷の古い一軒家に間借りをして暮らしていた。
林檎の皮、は隠れた郷愁だったのかもしれない。
平屋部分にいたので、とにかく屋根を打つ雨の音が近く、
すぐ前も庭だったから、草木に雨粒の当たる音も色も美しく、
田舎にいたときより雨の日が好きになった。
短歌も雨も、「ひとりぼっち」の時間がくれた贈り物だったと思う。

  秋の風朝いちばんに吸い込んで歌の生まれるところを歌う

という、数日前に作った歌は、おそらく失敗作なのだが、
まあつまり、秋にはなにかがあるのだろう。
夏の話から完全に秋の話になっていた。
浮気っぽい、人間の心。ではなく、わたしの心、である。

第20回 「写真と、短歌と、」 桑原 憂太郎

2020-08-24 21:15:35 | 短歌
 短歌の世界には「困ったときの庭頼み」という言葉があるらしい。
 結社誌に送る月例の詠草が足りなくて、〆切間際に、庭の草木を詠んでなんとか歌の数を合わせる、という意味なのだろう。
 私の場合であれば、さしずめ「困ったときの写真頼み」ということになろうか。
 写真をみて一首つくるのである。といっても、自分で撮った写真を眺めても、いまひとつ作る気持ちにならないので、いそいそと写真展に出かけるということになる。
 近くのギャラリーでやっていればいいけど、そんな都合のいいことはそうそうなくて、休みの日に電車に乗ってわざわざ出かける、ということもある。ギャラリーでは、作品を鑑賞するのが目的ではなく、歌を作ることが目的だから、作品を凝視しては、その場で歌を詠み、ボールペンで手帳に書きこむ、ということになる。これは、はたから見れば、相当おかしな画にみえるはずだ。写真をじーっと見ていたかと思うと、何やら考え始め、そして、おもむろに手帳に何か書き始めるという、いったいこのおじさんは何やってんだろう、という感じで見られていることだろう。
 こっちとしては時間もないなかで少々焦りながら歌を作っているわけで、周りの視線を気にしている場合ではないのだ。あるときは、ほんとに時間がなくなって、許可をもらって、作品をスマホで撮って帰る、なんてこともあった。写真作品を写真に撮るという、ますますよくわからないおじさんの画となった。
 そんな、「写真頼み」で歌を作るわけだけど、私の場合は、人物が写っているスナップショットが歌にしやすい。モノクロでもカラーでもいいけれど、写っている人物の表情や視線や仕草や服装やポーズや、とにかくその人物のあれこれを観察して一首つくる。
 写真の素敵なところは、作品として構図がはっきりしていて、何を主張したいのかが分かりやすい、という作品が比較的多いということ。こちらは、そうした作品の主張を受け取って歌にすればいい。そうしたはっきりと主張している作品ばかりの写真展だったら、1時間もしないで50首くらい作って、ほくほくした気分でギャラリーを後にする。
 そもそも短歌と写真は相性がいいといってしまえばそれまでだけど、私は、風景写真はいまひとつ歌にできない。そうした写真は、つまりは実景のコピーじゃないか、という程度に思ってしまう。それよりも、人物の目元や指先とか、そんなところは生身の人間を前に、じーっと見つめるわけにはいかないから、作品のなかの被写体を存分に観察させてもらって、歌にする。
 こうした私の作歌方法について、それは歌を作ること自体が目的となってしまっていて、作歌活動としては本末転倒ではないか、と思われるかもしれない。けど、写真作品でいいものは、やはり感性に働きかけてくる。感動といえば大げさだけど、写真一枚でそこそこ新鮮な経験をする。その経験を歌にしているのだから、作歌としてはさほど不純な動機でもないだろうと、開き直っている。


第19回 またあれを聞かせて 鈴木 美紀子

2020-05-23 16:14:48 | 短歌
 小説を読んでいると、思いがけず短歌に遭遇することがある。わたしとしては、「おっ、こんなところでお会いできるとは!」とうれしくなってしまうのだが、一般の読者は物語の途中で普段読み慣れない〈短歌〉という韻文に出くわしてどんなふうに感じるのだろう? と心配になる。何故なら散文の中に挿入された短歌は何となく居心地の悪そうな佇まいで立ち尽くしているように見えることがあるから。勿論、小説の作者はそんなことは全て計算済み。良い意味での違和感や非日常性を短歌という詩形に見いだし、自らの作品に充分効果的であると踏んだ上、作中に置いたわけで、わたしの杞憂など全くの余計なおせっかいなのだけれど。
 先日、ある小説でこんな場面に出会った。主人公の男性が好意を持った女性へのアプローチを友人から、けしかけられるシーンだ。

 中西はページの余白に別の短歌を一首、書き足してみせた。
  君にちかふ阿蘇の煙の絶ゆるとも萬葉集の歌ほろぶとも
「吉井勇だ」
「誰ですか」
「誰でもいいよ。これは一目、納得だろ。君に誓う、と宣言してるんだ。小学生でも意味は通じる。これでいけ」
―略―
「―今度その人妻に会ったら、これが宿題の答えだと言ってやれよ。阿蘇の煙の絶ゆるとも、だ。万葉集の歌ほろぶとも、だ。この歌は、真心の贈り物だと言え。人妻は感動して泣くぞ」


 佐藤正午著『月の満ち欠け』(直木賞受賞作)から抜粋した。吉井勇のこの一首は後に小説の中で重要な役割を担ってゆく。この物語は〈生まれ変わり〉がモチーフ。今生では、愛するひととどうしても一緒に生きてゆくことが叶わないと悟った女性が、事故(もしかしたら自死)で命を落とし、その後、月の満ち欠けのように生まれ変わりを繰り返し、愛するひとと再会を果たそうとするお話。相手の男性の方は、彼女を忘れられないまま歳を重ね壮年となってゆくが、女性の方は幾度か生まれ変わるため、幼い少女の姿でかつて愛した男性の前に現れる。前世の苦しい恋の記憶をしっかりと握ったまま。そして、過去に幽閉された想いを短歌という合鍵で、光の差す〈今〉へと取り戻そうとするのだ。そういう文脈でこの歌と向き合うと、また何とも言えない深い味わいを滲ませてくるように思う。まず、初句の「君にちかふ」の旧かなが、生まれ変わりを繰り返す時間の厚みを感じさせ、運命のひととしての「」が匂い立つような存在感で浮かび上がってくる。雄々しい阿蘇の山の孕む熱情、万葉集に束ねられたいにしえびとの抒情の漂泊。この二つが失われた世界にふたりだけが生き残ってしまうような多幸感。「ちかふ」ことで堕ちてゆく闇を背負う覚悟が、この歌を背景に星のようにきらめいている。時空を超た抒情が、登場人物たちの生死をも貫く想いの深さと切なく呼応する。〈生まれ変わり〉という常識ではあり得ないことを「絶ゆるとも」「ほろぶとも」のリフレインの力強さで成し遂げられそうな気がしてしまう。100年以上も前につくられた短歌が現代の小説で新たな命を吹き込まれ、物語の中で月ののようにその身をやつしながら登場人物や読者の心を照らしてくれることに不思議な感動を覚える。
 作中で、女性は恋人になった男性に贈られたこの歌を気に入り、すっかり憶えてしまったのにも拘わらず、こうねだっている。

「許さないよ」
「ほんの出来心」
「だめ、そんな軽い言葉じゃ。本気で許してほしかったら、またあれを聞かせて」


 ひとは短歌を記憶するのと同時に、その短歌に記憶されてゆくのではないだろうか。その歌に共感し、囚われてしまった読み手のひとりひとりの想いが、その歌に命を預けてゆくのではないだろうか。見知らぬ誰かの短歌に狂おしいほどの懐かしさを感じ、ふるえるような実感を得たとき、今生の命の儚さを、尊く愛しく思わずにはいられない。
 最後に『月の満ち欠け』の印象的な帯文をご紹介したい。
  
自分が命を落とすようなことがあったら、もういちど生まれ変わる。
月のように。いちど欠けた月がもういちど満ちるように―そして、あなたの前に現れる。


 この言葉に、短歌自身の魂のつぶやきが重ねられているように感じてしまうのは、わたしだけだろうか。


 引用 佐藤正午著『月の満ち欠け』(岩波書店)

第18回 ストレッチのこと 冨樫 由美子

2020-05-08 13:56:28 | 短歌
 ここのところ毎日一時間近くストレッチをしている。
 ツイッターでフォローしている踊り手のKaori ASAHIROさん(ツイッターでのお名前はアマヤドリ@amayadoriさん)が、外出禁止令が出ているパリのお部屋から動画を配信してくださるので、それを観ながらからだを動かす。動かす前にからだを叩いたりさすったりして、「いまから動くよー、伸びるよー」と言いきかせる時間もたっぷりある。足の指や耳を揉んだり舌や眼球を意識して緩めたりもする。心地よく疲れる。何よりもKaoriさんの優しいガイダンスとお喋りが楽しい。からだがほぐれると、短歌を書けそうな気分になる。

 さて、とノートをひらく。あるいはパソコンを立ち上げる。書けない。
 おそらく、別のストレッチが必要なのだ。短歌を書くためのこころのストレッチが。
 誰か動画を配信してくれまいかと思うが、まあちょっと無理だろう。自分で編み出すしかない。どうしたらいいだろう。こころに「いまから動くよー、書くよー」と言いきかせるには……。

 まずは外側からこころに触れてみる。音楽で、絵画で、物語で。それらの刺激でマッサージしたら、次はこころの内側を緩める。遠い記憶や今の関心事、心配ごとや嬉しかったことなどが、からまりあって固まっているのをほぐして、一つ一つ手に取れるようにしてみる。そのうち一つを選んで、テーマにしようときめる。ストレッチ終了。書ける!

 いつもいつもこんなことを意識しているわけではないが、Kaoriさんのストレッチ動画をきっかけに、ちょっと考えてみた。

 それにしても昨今、他にもヨガやエクササイズ系の動画がたくさん配信されているし、テレビでも体操や運動の解説がよく放映されている。こころのストレッチ&マッサージになる芸術全般に関しても、家に居ながらにして享受できる形態のものが多くある。オンラインでの歌会や読書会のような催しも、以前より盛んに行われているような気がする。

 人々がなかなか外に出かけられず、アウトドアスポーツを楽しんだり、本物の芸術作品に触れたりすることが困難なための代替策であり、もちろん喜ばしいことではない。
 ただ、もともと地方に住むインドア人間である私にとっては、からだのケアをしたり、芸術に触れたり、歌会等に参加する機会がかえって増えていることも事実である。

 幸福な時代ではないし、生き延びられるのかどうかもわからないけれども、このみえない洪水が引いて振り返ることができたなら、ちいさな明かりのように思い出すだろう。毎日の、からだとこころのストレッチを。 

第17回 「ロミイ」を「代辯」 日野 樹

2020-03-27 12:53:49 | 短歌
  煙草くさき国語教師が言ふときに明日という語は最もかなし

 この一首は、寺山修司が歌壇デビューを果たした短歌連作「チエホフ祭」(『短歌研究』1954年11月号掲載)に収録されている。寺山が詠んだ短歌のなかでも人口に膾炙する一首。寺山は早稲田大学教育学部国文学科に入学したばかりで、彼にとって「煙草くさき国語教師」とは望ましくない未来を象徴するものであったろう。文藝を志す者たちが、けむりを煙突のようにあげながら、くわえ煙草でえんえんと文学論を戦わせる、そんな時代であったから。とはいえ近年、喫煙者は肩身が狭くなった。公・私ともに居場所を失いつつある。教育現場であれば、さらにで、喫煙可能な場所はどんどん減らされ、屋内ならず屋外にわづかに残された喫煙所すら消えようとしている。敷地内完全禁煙の施行は、秒読みの段階なのだ。こういった、現代における社会事情を踏まえて、寺山の短歌を読もうとすれば、「明日という語は最もかなし」とは、禁煙者が抱く阻害感そして悲哀にも似た感情を意味するものとなろう。一方で、現代における事情といえば、21世紀は令和という新年号とは裏腹に「国語」教育とくにいえば日本文学を教材とする教育が最大の危機を迎える。2022年度から実施される高等学校新学習指導要領には、選択科目として「論理国語」「国語表現」「文学国語」「古典探求」といった耳慣れない科目が並べられ、詩・短歌・俳句といった短詩型文藝を含む近現代文学さらには古典文学が、今後の大学入試制度如何ではあるが、授業時間を縮小される。高等学校における「国語」教育が、大学受験を目的とすることは必要悪。昨今混乱を極める大学入試改革に、今後の「国語」教育がどのように牽引されるか、という大問題。「国語」の授業から、日本の文学が消えてゆくであろうことは、国家レベルでの危機だろう。煙草をいまだやめられないような「国語教師」は、明日に展開されるであろう「国語」教育を「最もかなし」と叫ぶに違いなかろう。寺山の短歌は、異なった社会事情においても、時代を超えて解釈を可能にする。
 ところで寺山が「煙草くさき国語教師」の一首を詠んだ事情は、寺山が中井英夫に送った書状が発見・紹介されたことから明らかになった。寺山が『短歌研究』に「チエホフ祭」を掲載された直後から、「俳句の模倣(盗句歴然たる模倣)」であると俳壇からも歌壇からも非難を浴びたというのは有名な話だが、「煙草くさき国語教師」の一首が作歌された事情には、その非難を寺山が予測し、回避しようとしていたことを指摘させる。寺山は、秋元不死男の「鳥渡るこきこきこきと缶切れば」に類想する一首を、新たに詠んだ短歌に差し替えることを、中井に願い出ていたのだ。寺山は中井に新たな8首を提出し、その8首から選歌し差し替えてほしいと願い出ていた。そして中井が8首のなかから選歌したのが「煙草くさき国語教師」の一首であったわけである。寺山が『短歌研究』「第二回五十首応募作品」として提出した短歌連作は「父還せ」と題された49首だったが、中井が15首を削除し、さらに「チエホフ祭」と改題した。しかし中井は『短歌研究』誌面に発表する以前に、この改編を寺山に相談していた。結果、寺山は中井に新たな短歌を提出し、さらには選歌を委ねたのだ。寺山が中井に選歌を委ねたことには、彼が中井に信頼を寄せていたことを推量させる。そして中井も後年にだが、自らが「寺山登場の折り、田舎の国語教師めいた立場にいた」と語っている。「煙草くさき国語教師」の一首については、歌壇デビューを果たした10代の寺山に、そして中井にとっても想い出深い一首であったと確認させよう。とはいえ「俳句の模倣」問題は、歌壇デビューを果たしたばかりの寺山に容赦なく襲いかかった。「俳句の模倣」問題に回答するために、10代の寺山は「ロミィの代辯 詩型へのエチュード」(『俳句研究』一九五五年二月号掲載)と題する作歌論を執筆する。寺山は自らを「僕の作者」と呼ぶ「ロミイ」を登場させて「歌人たちがメモリアリストのままで歌作することをもつて自己に誠実であるなどと考えているとしたらそれは大間違いではなかろうか」と言い放ったほか、「チエホフ祭」において自らが、次の四点に「野心をみせた」と語っている。

  一、現代の連歌
  二、第三人物の設計
  三、単語構成作法
  四、短歌有季考

 四点のいづれもが、現代短歌を考えるためにも有効であるように想うのだが、如何だろうか。私は未来短歌会に入会したばかりで、現代短歌を如何様に詠めば良いのかもわかっていないが、しかし寺山修司が残した短歌のみならず、10代最後の試練において寺山が残した文章にも、心ひかれている。