今年はコロナの影響で、お盆に岩手の実家へ帰れなかった。
上京して約25年、それは初めてのことだった。
東京でバタバタと働いたり家事をしたりしているうちに、
8月は黙って過ぎていった。
どこかに包装紙を解いていない夏がそのまんま置き忘れられている気がして、
そわそわと落ちかないまま、気が付けばあたりには秋の気配が漂っている。
夏の終わる寂しさと秋の始まりは見事に重なっていて、
夏が悪いんだか、秋が悪いんだか、きみたち連帯責任だ!という感じで、
開けていない夏の箱の行く末を知るすべもないが、
きっとどこかでうまくやっていただろう。
麦茶を煮出した回数が人生で一番多かったこの夏。
どこへも行かなかった夏。
いつのまにか蝉の声は秋の虫の声に変わり、
カラスももう地べたで口を開けて宙を見ていない。
それにしても百日草だけはいつ見ても元気だ。
百日草百日の花怠らず 遠藤梧逸
6月くらいから咲いていたので百日どころではない。
来たるべき秋の食欲だけは間違いないので、
わたしも少しは元気に体を動かさなくては。
わくわくするような、秋もやっぱり好きな季節だ。
なにより朝晩涼しい。
やっとぐっすり眠れる。
一雨ごとに秋が壊れていくようで
そんな歌い出しで短歌を作った、台風だらけの秋があった。(下の句は忘れた)」
まぼろしの撮影隊がやってくる秋裏返し秋裏返し
という歌を作って持って行って、意見の割れた秋の日の歌会があった。
秋の朝消えゆく夢に手を伸ばす林檎の皮の川に降る雨
この歌を作った秋、わたしは学生で、
阿佐ヶ谷の古い一軒家に間借りをして暮らしていた。
林檎の皮、は隠れた郷愁だったのかもしれない。
平屋部分にいたので、とにかく屋根を打つ雨の音が近く、
すぐ前も庭だったから、草木に雨粒の当たる音も色も美しく、
田舎にいたときより雨の日が好きになった。
短歌も雨も、「ひとりぼっち」の時間がくれた贈り物だったと思う。
秋の風朝いちばんに吸い込んで歌の生まれるところを歌う
という、数日前に作った歌は、おそらく失敗作なのだが、
まあつまり、秋にはなにかがあるのだろう。
夏の話から完全に秋の話になっていた。
浮気っぽい、人間の心。ではなく、わたしの心、である。
上京して約25年、それは初めてのことだった。
東京でバタバタと働いたり家事をしたりしているうちに、
8月は黙って過ぎていった。
どこかに包装紙を解いていない夏がそのまんま置き忘れられている気がして、
そわそわと落ちかないまま、気が付けばあたりには秋の気配が漂っている。
夏の終わる寂しさと秋の始まりは見事に重なっていて、
夏が悪いんだか、秋が悪いんだか、きみたち連帯責任だ!という感じで、
開けていない夏の箱の行く末を知るすべもないが、
きっとどこかでうまくやっていただろう。
麦茶を煮出した回数が人生で一番多かったこの夏。
どこへも行かなかった夏。
いつのまにか蝉の声は秋の虫の声に変わり、
カラスももう地べたで口を開けて宙を見ていない。
それにしても百日草だけはいつ見ても元気だ。
百日草百日の花怠らず 遠藤梧逸
6月くらいから咲いていたので百日どころではない。
来たるべき秋の食欲だけは間違いないので、
わたしも少しは元気に体を動かさなくては。
わくわくするような、秋もやっぱり好きな季節だ。
なにより朝晩涼しい。
やっとぐっすり眠れる。
一雨ごとに秋が壊れていくようで
そんな歌い出しで短歌を作った、台風だらけの秋があった。(下の句は忘れた)」
まぼろしの撮影隊がやってくる秋裏返し秋裏返し
という歌を作って持って行って、意見の割れた秋の日の歌会があった。
秋の朝消えゆく夢に手を伸ばす林檎の皮の川に降る雨
この歌を作った秋、わたしは学生で、
阿佐ヶ谷の古い一軒家に間借りをして暮らしていた。
林檎の皮、は隠れた郷愁だったのかもしれない。
平屋部分にいたので、とにかく屋根を打つ雨の音が近く、
すぐ前も庭だったから、草木に雨粒の当たる音も色も美しく、
田舎にいたときより雨の日が好きになった。
短歌も雨も、「ひとりぼっち」の時間がくれた贈り物だったと思う。
秋の風朝いちばんに吸い込んで歌の生まれるところを歌う
という、数日前に作った歌は、おそらく失敗作なのだが、
まあつまり、秋にはなにかがあるのだろう。
夏の話から完全に秋の話になっていた。
浮気っぽい、人間の心。ではなく、わたしの心、である。