我が師 鍵山秀三郎氏から毎年、良書を4回ほど拝受いたします。
いずれも素晴らしい本ばかりで、その都度感動致しております。
その鍵山相談役は、以前から前回紹介しました月刊『致知』の巻頭の言葉であったり
対談等たくさん載っています。
すべてすごい言葉なのですが、その中でも印象深い巻頭の言葉があり、その文章を
紹介したいと思います。
勝手に思うままに 106 未来からいまを観る
現代、未来のことを見極めることは不可能
情報化の進展によって、私たちは過去の事柄について詳しく知ることができるように
なりました。その時代に秘密とされ、闇に葬られたことでさえも、真相が白日の下に
さらされてしまいます。そしてそのことを評価したり批判することもできるのです。
国家機密でさえその例外ではありません。
しかし、いま起きている事柄のすべてを、過去のことを知るのと同じように正しく知
り、誤りのない判断が下せる人は皆無でありましょう。いまのことさえ難しいのです
から、遠い未来のことについて見極めることは、至難の業です。いくら学問が進み、
科学が発達してもです。むしろ学問や化学が進むほど難しくなると思います。
人に対する評価も同じで、過去の人を正しく評価することはできても、現代の人を正
しく評価することは不可能です。
昔、奇人とけなされた人で、後世になって先覚者、偉人と称される人がいる一方で、
その時代に英雄ともてはやされた人物が、後世になって悪人のレッテルを張られる例
は少なくありません。
ヒトラーやスターリンは、当時、国内だけでなく海外からも熱烈な支持を得ていたは
ずですが、いまは自国民からも忌まわしい人間として嫌われる存在となりました。
どのような未来でありたいか
このように、いまと未来の出来事を正しく予測したり、現代の人物を正しく評価する
ことは不可能であっても、どのような未来でありたいかを明確にし、姿をはっきりと
描くことは可能です。また、期待する理想的な人物像を描くことも許されます。
百年後の二一〇六年(二〇〇六年に執筆)に、どのような国家でありたいのかを明確に
思い描くことはできるのです。そして、理想の国である二一〇六年からすれば過去で
ある二〇〇六年を分析すれば、いま考えていることや行っていることが正しいかどう
か、はっきり見えてきます。いま正しいと信じてやっていることをこのまま続けてい
って、二一〇六年にいまよりもよい国家になれるかどうかを真剣に考える必要があり
そうです。
人々は皆、豊かな暮らしを求めています。豊かな暮らしに豊富な物質は欠かせません
が、安心・安全は物質以上に大切なものであるはずです。
日本からはいま、豊かな暮らしを支える安心・安全が失われてしまいました。
安心と安全を保つために、国も巨額の費用をかけていますが、個人の負担も増すばか
りとなりました。個人が多くの費用をかけながら、それでもなお、安全と安心を確保
することがかなわなくなりました。日本人が物質的な豊かさを手にする方法・手段に
誤りがあったため、代償として安全と安心を失ったといえるでしょう。
古く縄文時代から、祖先が血と汗を注ぎ込んで培ってきた崇高な精神を、わずか半世
紀のうちに崩壊させてしまったことへの警鐘が鳴らされています。
児童虐待、家庭崩壊、知識の悪用、凶暴な犯罪など、一つひとつの因果関係を明らか
にすることはできませんが、二一〇六年の位置から俯瞰(ふかん)した時に明らかにな
るのでありましょう。
月刊「致知」二〇〇六年五月号 巻頭のことばより
今もなお、より深い教えは変わることなく心に浸みわたります。
先日、拝受した書籍は「最高の人生のつくり方」高橋佳子著
同封の手紙に「私もかねてより大変尊敬申し上げる高橋佳子先生です。私の座右の銘
の一つであります「もらう幸せ」「できる幸せ」更には「あげる幸せ」と幸せにも3
つの段階があるということを教わった方です」とありました。心して拝読したいと思
います。
いずれも素晴らしい本ばかりで、その都度感動致しております。
その鍵山相談役は、以前から前回紹介しました月刊『致知』の巻頭の言葉であったり
対談等たくさん載っています。
すべてすごい言葉なのですが、その中でも印象深い巻頭の言葉があり、その文章を
紹介したいと思います。
勝手に思うままに 106 未来からいまを観る
現代、未来のことを見極めることは不可能
情報化の進展によって、私たちは過去の事柄について詳しく知ることができるように
なりました。その時代に秘密とされ、闇に葬られたことでさえも、真相が白日の下に
さらされてしまいます。そしてそのことを評価したり批判することもできるのです。
国家機密でさえその例外ではありません。
しかし、いま起きている事柄のすべてを、過去のことを知るのと同じように正しく知
り、誤りのない判断が下せる人は皆無でありましょう。いまのことさえ難しいのです
から、遠い未来のことについて見極めることは、至難の業です。いくら学問が進み、
科学が発達してもです。むしろ学問や化学が進むほど難しくなると思います。
人に対する評価も同じで、過去の人を正しく評価することはできても、現代の人を正
しく評価することは不可能です。
昔、奇人とけなされた人で、後世になって先覚者、偉人と称される人がいる一方で、
その時代に英雄ともてはやされた人物が、後世になって悪人のレッテルを張られる例
は少なくありません。
ヒトラーやスターリンは、当時、国内だけでなく海外からも熱烈な支持を得ていたは
ずですが、いまは自国民からも忌まわしい人間として嫌われる存在となりました。
どのような未来でありたいか
このように、いまと未来の出来事を正しく予測したり、現代の人物を正しく評価する
ことは不可能であっても、どのような未来でありたいかを明確にし、姿をはっきりと
描くことは可能です。また、期待する理想的な人物像を描くことも許されます。
百年後の二一〇六年(二〇〇六年に執筆)に、どのような国家でありたいのかを明確に
思い描くことはできるのです。そして、理想の国である二一〇六年からすれば過去で
ある二〇〇六年を分析すれば、いま考えていることや行っていることが正しいかどう
か、はっきり見えてきます。いま正しいと信じてやっていることをこのまま続けてい
って、二一〇六年にいまよりもよい国家になれるかどうかを真剣に考える必要があり
そうです。
人々は皆、豊かな暮らしを求めています。豊かな暮らしに豊富な物質は欠かせません
が、安心・安全は物質以上に大切なものであるはずです。
日本からはいま、豊かな暮らしを支える安心・安全が失われてしまいました。
安心と安全を保つために、国も巨額の費用をかけていますが、個人の負担も増すばか
りとなりました。個人が多くの費用をかけながら、それでもなお、安全と安心を確保
することがかなわなくなりました。日本人が物質的な豊かさを手にする方法・手段に
誤りがあったため、代償として安全と安心を失ったといえるでしょう。
古く縄文時代から、祖先が血と汗を注ぎ込んで培ってきた崇高な精神を、わずか半世
紀のうちに崩壊させてしまったことへの警鐘が鳴らされています。
児童虐待、家庭崩壊、知識の悪用、凶暴な犯罪など、一つひとつの因果関係を明らか
にすることはできませんが、二一〇六年の位置から俯瞰(ふかん)した時に明らかにな
るのでありましょう。
月刊「致知」二〇〇六年五月号 巻頭のことばより
今もなお、より深い教えは変わることなく心に浸みわたります。
先日、拝受した書籍は「最高の人生のつくり方」高橋佳子著
同封の手紙に「私もかねてより大変尊敬申し上げる高橋佳子先生です。私の座右の銘
の一つであります「もらう幸せ」「できる幸せ」更には「あげる幸せ」と幸せにも3
つの段階があるということを教わった方です」とありました。心して拝読したいと思
います。