久しぶりのblogアップです。
4月14日の熊本地震の前震から
車中泊で避難していました。
自宅が震源地の益城町ということもあり、
2度にわたる震度7の
前震、本震共にものすごい揺れでした。
全身の日地震が起こった時間は母とリビングにいました。
突然ものすごい揺れに何が起こったのか分からないうちに
周りの物が倒れ、落ち、割れていきました。
揺れが落ち着いたすきに家の外に出ると
ご近所の人達も外に出ていて
まだ強い余震が続き危険なので貴重品を持って
みんなで近くのグランドに避難しました。
この日から車中泊が始まりました。
明るくなり家に帰ると
部屋の中の本棚等が倒れぐちゃぐちゃになっていました。
余震のある中母と猛烈に片付けて
午前中で割れたもの以外は何とか元通りになりました。
強い余震に警戒と言っていたので
その夜も大事をとってグランメッセ熊本の駐車場で車中泊をしました。
ぐっすりと眠っていると
車がひっくり返るのじゃないかと思うほどの強い揺れで目を覚ますと
グランメッセのガラスも割れ落ちていました。
2度目の震度7。
前日の地震は前震で、
今回のが本心だとニュースで流れました。
明るくなり家に帰りドアを開けると
前日よりひどい光景が家の中に広がっていました。
足の踏み場もないほど倒れるものはすべてが倒れていました。
余震が強く危険なので
なってしまったものはどうにもならないので
避難生活をしようと思い家の中から取れるだけの着替えと
毛布を持ってグランメッセに戻りました。
次の日から朝から自宅に戻り片づけをして
長い時間は余震で危険なので
午前中だけ片付けてグランメッセに戻るという日々が続きました。
家の中の食器棚や自分の作品を入れている棚も3つ倒れ
9割以上の器が割れてしまいました。
形あるものはいつかは壊れるとは思っていますが
こんなに大量の器やグラスが割れているのを片付けることは一生ないだろうと思えるぐらい
悲惨でした。
グランメッセ熊本では
本震があった日から
2200台ある駐車場は車中泊で避難する人でほぼ満車でした。
初日は一日にきゅうり一本だった支援物資も
3日目からは自衛隊の給水車が来てくれたり
全国方炊き出しに来ていただいたり
食料に避難生活で必要な生活物資を送っていただいたり
全国の皆様に支えて戴いているのを
日本人の優しさ素晴らしさを感じました。
車中泊での避難生活12日が過ぎた時
佐賀県旅館ホテル組合が被災者を受け入れているというのを聞いたので
12日車中泊している母の体力も考えて
連絡してみるとすぐ対応して頂き
嬉野温泉に2泊で受け入れると言うので
避難生活13日目の朝佐賀に向かいました。
13日ぶりのお風呂しかも温泉
13日ぶりに机の上で食べる食事
13日ぶりのビール
13日ぶりの布団で腰も足も延ばして眠れて
3日間でしっかりと英気を養うことが出来ました。
自宅に戻るとずっと断水していた水道から
飲み水としては使えませんが水が出ました。
これを機にと思い
熊本震災から15日目
余震は1000回を超えて
続いていますが
避難生活を終えて自宅で寝ることに決めました。
昨日も今日も夜中余震で目が覚めました。
暗い中での揺れはやはり前震、本震を思い出し少し恐怖を感じます。
余震が落ち着くまではまだ終わった訳ではありませんが
次に進みます。
心配して頂いた皆様
支えて戴いた皆様
本当にありがとうございました。
心より感謝いたします。
4月14日の熊本地震の前震から
車中泊で避難していました。
自宅が震源地の益城町ということもあり、
2度にわたる震度7の
前震、本震共にものすごい揺れでした。
全身の日地震が起こった時間は母とリビングにいました。
突然ものすごい揺れに何が起こったのか分からないうちに
周りの物が倒れ、落ち、割れていきました。
揺れが落ち着いたすきに家の外に出ると
ご近所の人達も外に出ていて
まだ強い余震が続き危険なので貴重品を持って
みんなで近くのグランドに避難しました。
この日から車中泊が始まりました。
明るくなり家に帰ると
部屋の中の本棚等が倒れぐちゃぐちゃになっていました。
余震のある中母と猛烈に片付けて
午前中で割れたもの以外は何とか元通りになりました。
強い余震に警戒と言っていたので
その夜も大事をとってグランメッセ熊本の駐車場で車中泊をしました。
ぐっすりと眠っていると
車がひっくり返るのじゃないかと思うほどの強い揺れで目を覚ますと
グランメッセのガラスも割れ落ちていました。
2度目の震度7。
前日の地震は前震で、
今回のが本心だとニュースで流れました。
明るくなり家に帰りドアを開けると
前日よりひどい光景が家の中に広がっていました。
足の踏み場もないほど倒れるものはすべてが倒れていました。
余震が強く危険なので
なってしまったものはどうにもならないので
避難生活をしようと思い家の中から取れるだけの着替えと
毛布を持ってグランメッセに戻りました。
次の日から朝から自宅に戻り片づけをして
長い時間は余震で危険なので
午前中だけ片付けてグランメッセに戻るという日々が続きました。
家の中の食器棚や自分の作品を入れている棚も3つ倒れ
9割以上の器が割れてしまいました。
形あるものはいつかは壊れるとは思っていますが
こんなに大量の器やグラスが割れているのを片付けることは一生ないだろうと思えるぐらい
悲惨でした。
グランメッセ熊本では
本震があった日から
2200台ある駐車場は車中泊で避難する人でほぼ満車でした。
初日は一日にきゅうり一本だった支援物資も
3日目からは自衛隊の給水車が来てくれたり
全国方炊き出しに来ていただいたり
食料に避難生活で必要な生活物資を送っていただいたり
全国の皆様に支えて戴いているのを
日本人の優しさ素晴らしさを感じました。
車中泊での避難生活12日が過ぎた時
佐賀県旅館ホテル組合が被災者を受け入れているというのを聞いたので
12日車中泊している母の体力も考えて
連絡してみるとすぐ対応して頂き
嬉野温泉に2泊で受け入れると言うので
避難生活13日目の朝佐賀に向かいました。
13日ぶりのお風呂しかも温泉
13日ぶりに机の上で食べる食事
13日ぶりのビール
13日ぶりの布団で腰も足も延ばして眠れて
3日間でしっかりと英気を養うことが出来ました。
自宅に戻るとずっと断水していた水道から
飲み水としては使えませんが水が出ました。
これを機にと思い
熊本震災から15日目
余震は1000回を超えて
続いていますが
避難生活を終えて自宅で寝ることに決めました。
昨日も今日も夜中余震で目が覚めました。
暗い中での揺れはやはり前震、本震を思い出し少し恐怖を感じます。
余震が落ち着くまではまだ終わった訳ではありませんが
次に進みます。
心配して頂いた皆様
支えて戴いた皆様
本当にありがとうございました。
心より感謝いたします。