over the rainbow

kokoni iruyo, ikite iruyo.

10.30 木曜日

2008-10-31 18:13:21 | Weblog
昼間、ユカからメールで別々に暮らした方がいいと言われる。
価値観が違うのに、無理に合わせて一緒にいることはないと言われた。
私は今まで、こういう大事なことをずっと相手にメールで伝えてきた。
メールから離れられない自分を嫌だなと思いつつ、楽な方法を取っていた。
でもやっぱり、受け取る方も送る方も気持ちのいいもんじゃないと思う。
ああそうか、と仕事中はずっと一人になった時のことを考えていた。
帰り道、黙って車を運転していたら涙が少しづつ、出てきては流れた。
メールの内容については、特に話さなかった。
家に着き、テレビを見ていたら宮崎康平のことをやっていた。
嫁に行った和子さんは、盲目の康平を助けるため、想像を絶する苦労の連続だったが、毎日朝から晩まで全力で生きている康平の力になり、一緒に邪馬台国という夢を追い続けた。
私はそれを見て、私も朝から晩まで全力で、やりたいことをやり続けたいと思った。
いきいきと生きたい。
そう思った。
最近、ミュージシャンの友人達が次々と地方に出て行くという話を聞く。
長野、新潟、群馬。
住む所を借りるだけで高いお金がかかる東京では、生きていくために働くことで精一杯になってしまう。
きれいな空気も吸えないし、創作活動には向いていない。
東京のペースに合わない人達が、より心地よい居場所を求めて地方へ出て行く。
皆、動き出している。

10.29 水曜日

2008-10-31 17:13:43 | Weblog
なぜだか躁状態。
躁鬱が激しいのは、下痢の治療で飲んでいる抗生物質のせいか?
職場でも、いきなり大声で攻撃的なことを言い続けたりして、上司にびっくりされた。
躁の時は、運転がとても荒くなる。
ユカと口論になる。
向こうもこちらも情緒不安定。
帰り、ワークマンに寄って手袋を買う。
私の運転が危ないので、替わってもらった。
家に帰ってユカにご飯を作ってもらって食べている途中ケンカになり、私はパニックになって、手に持っていた缶ビールで自分の頭を何度も何度も殴りつけた。
まだビールが入っていたので、机の上もノートパソコンもビールまみれ。
缶はぐしゃぐしゃ。
頭はたんこぶだらけ。
血がにじんでいた。
うつぶせになってしばらく動けなかった。
うまく呼吸できなくて、手足がしびれた。
私は弱くて弱くて弱くて弱い。
何も考えたくない。
嫌な考えが浮かぶと、それを体の中から押し出そうとする。
ただ、それを繰り返していた。

10.28 火曜日

2008-10-31 16:24:28 | Weblog
けっこう寝たのに体がしんどく、鬱っぽい。
八つ当たりのように言葉が飛び、ユカに負担がかかる。
ユカも生理時期なので情緒不安定で、二人でいるととても雰囲気が悪い。
朝一緒に車で出て、帰りは八王子駅の近くで待っているというので迎えに行き、餃子を食べ、ふらっと立ち寄った酒屋にいたソムリエに薦められてなぜかワインを買い(薦め方が上手すぎて、気が付いたらマンションでも買ってしまいそうなくらいだった)、ガソリンスタンドに寄って帰った。
家でユカと貸し借りの清算をする。
非常に疲れた一日だった。

10.27 月曜日

2008-10-31 15:43:09 | Weblog
原付で会社に行く。
ユカは休みなので、私の代わりに病院に薬を取りに行ってもらった。
私は間違えて車の鍵を会社に持って来てしまった。
イモビライザーというICチップ内臓の特殊な鍵なので、合鍵がないのだ。
申し訳ないが自転車で取りに行ってもらった。
会社で働いている時に病院の先生から電話がかかってきたので話した。
何度か薬を飲み忘れたと伝えると、それじゃあこの薬が効くかどうかもわからないから、もう一度同じ薬を出すから今度はちゃんと忘れずに飲みなさいと怒られた。
薬を忘れずに飲むというのは、ものすごく難しいことだ。
無くさずに持っているだけでもほめてもらいたい所だ。
眠すぎてわけがわからず、とりあえず定時までふんばって帰った。
ユカが肉野菜入りのラーメンを作ってくれた。
そろそろ神戸ツアーの交通手段や宿を手配しなくては。

10.26 移動

2008-10-31 15:34:22 | Weblog
朝10時前に秋田を出発。
国道沿いにあった神社に寄る。
卓さんが御朱印帳を出して、神社の人に書いてもらっていた。
海岸線から内陸に入り、山形市へ。
桂ちゃんのおすすめラーメン「萬福臨」で食べる。
なんだか謎めいた感じのラーメン屋だった。
同じく山形で桂ちゃんおすすめの温泉「臥龍温泉」に入る。
小さいがとてもにぎわっていて、良い雰囲気。
350円で肌がつるつるになったところで高速に乗り、一気に帰ろうとしたところで事故のため通行止め。
一度高速を降り、のろのろ運転で眠くなる。
卓さんと桂ちゃんの共通点は、意外やお笑い好きという点である。
お笑いコンビ「ナイツ」のネタの話になり、YouTubeが携帯で見れるのでは?と誰かが言ったので試してみた。
なんと動画が見れた。
ものすごいパケ代になりそうだが、車内が笑いで満たされた。
ちなみにナイツのボケは、はなわの弟である。
眠気をこらえ、24時付近に東京組を送り、深夜1:30頃家に着いた。
さすがにグロッキーだが、明日からまた6時半起きで仕事である。

10.25 ライブ

2008-10-31 14:43:33 | Weblog
朝、少し遅れて羽後本荘に到着。
地元の方々があたたかく迎えてくれる。
会場の旧鮎川小学校に着く。
廃校になった鮎小を残したいという、たくさんの人の想いが詰まっている、素敵な素敵な学校。
朝も早くから「うたの会」に出席。
地元のおばさん・おばあさん方の歌の伴奏で、ピアノの方と一緒にパーカッションを演奏した。
卓さん・桂ちゃんのギター組は苦労していたが、こういう時に打楽器は合わせるのが楽である。
コードも気にしなくていいし。
しかし夜通し運転してきて着いたとたんに演奏とは、目をつぶるとうっかり眠ってしまいそうなほど眠い。
1時間ほど演奏し、写真を撮り、終了し、駅にカリンバ奏者のHiroyukiさんを迎えに行く。
近そうに見える駅がじつは遠い。
田んぼばかりで、他にはほとんど何もないからだ。
合流し、学校に戻り、ごはん(新米のおにぎり!!)をいただき、マイクやPAのセッティングをし、しばし休憩し、ライブ本番。
私は藤沢卓さんと一緒にトップバッターで演奏し、演奏が終わった後はカメラマンとしてHiroyukiさんと工藤桂の演奏中に写真を撮りながら、PAとして音響を操作したりした。
私たちの後には地元のブラスバンドが演奏したが、なかなか素晴らしかった。
午後3時半(!)にはイベントが終了し、4時半頃から打ち上げ。
きりたんぽ鍋、鮎の塩焼きなどをいただきながら、ビールや地元の日本酒をいただく。
楽しく時間は過ぎたが、私はずっと自分の役割について考えていた。
私は他の3人のように一人ではステージに立たないし、何が伝えたいのか、そもそも伝えたいことなどあるのか。
人の助けになることが好きで、人の演奏に合わせて太鼓を叩いたり、写真を撮ったり、音響をいじったり。
何を一番中心に置いて、何をやっていくべきなのだろう。
何かを大事にするために、何をやめるべきなのだろう。
ふと外に出て夜空を見上げると、それはそれはきれいな星空だった。
毎日この学校に来て、窓を開けて空気を入れ替えているという用務員さん(おじいさん)が話しかけてきて、手をがっしりと掴んできた。
「来てくださって、本当にありがとうございます。また絶対に来てください。いつでも泊めますから」と、笑顔で、握った両手に頭をごつんごつんぶつけながら、何度も何度もそう言った。
私は、はい、また来ます、また来たいです、また呼んでくださいと言ったが、一人でここに来たとして、何ができるのだろう。
素敵な詩を紡ぐことも、素敵な歌声を聴かせることもできない。
今日のライブは、荷物を積む車を出したのも、道中のほとんどを運転してきたのも、マイクやスピーカーを持ってきたのも、セッティングして本番中操作していたのも私。
私がいなければ、今日来てくれた会場の人全員に、出演者達の声が届くことはなかった。
こうやって人のサポートをするのが役割?
人と一緒に演奏して、人の演奏をよりよいものにすることが役割?
では、私一人で来たら何をすればいいのか?
私は何を伝えたいのか?
そんなことを考えながら、学校での打ち上げは終わり、二次会に行き、カラオケを歌い、ホテルで寝た。