同じ部署で、長期入院のため辞めてしまう人を囲んでランチ。
会社の前にあるおしゃれレストランでカレーを食べたが、おいしくなかった。
定時付近で上がる。
同じ部署の同僚を誘ってユカの店へ。
二人でカレーを食べてビールを飲む。
同僚を駅まで見送ってから、ユカの仕事が終わるまで時間があったので、駅前の西友へ行ってみた。
待つことが苦手だ。
じっとしていられない。
例えば車のオイル交換に15分かかると言われたら、徒歩5分の所にあるドラッグストアへ行く。
往復10分かかるとしても、じっとしているより動いている方が楽だ。
だから、仕事がいつ終わるかわからない人を終わるまで待つ、なんてことはとてもストレスになる。
もともと、人を待って一緒に行動するくらいなら、一人でさっさと先に行ってどこでも好きな所へ行ってしまう。
夜中集まっている若者の集団を見て、ユカは「楽しくてしょうがないんだろうな」と言った。
私は「みんな早く帰りたいと思ってると思う」と言った。
集団の中にいることが、とにかく苦手だった。
西友で、スープマグ+スプーンとガラス製の急須を買った。
買い物はその場のストレス発散にはなるが、きりがない。
買い物をしている時に友人から電話がかかってきて、久しぶりに長電話をした。
父が自殺未遂をしたことについて聞かれたので、話した。
父が死んだ時、ああ、今なんだなと思った。
良かったとも悪かったとも思わず、ただ、今なんだなと思った。
父は18年間、1年の半分くらいは精神病院へ入退院を繰り返していた。
父が家にいない時、家の中は平和だった。
母は、金銭的にも精神的にもとても苦しかったのだと思う。
私は父に、いなくなってほしいとよく思っていた。
いなくなってくれれば、この平和が続くのにと。
死んでほしいと思っていたのかもしれない。
父が死んだ時、さみしいとも感じたのだろうが、ああ、平和になるんだなとも思った。
自分も周りも生き続けることを望まない状況もあるのだと思った。
自分も周りも楽になるのなら、死ぬことも良いことなのかもしれない。
何がどう成功したとしても、本人が幸せだと感じられなければ、その成功には何の価値もないのではないだろうか。
食べたり飲んだり遊んだり寝たり、何をしても幸せを感じられなければ、何かをする意味などないのではないだろうか。
ユカのお店でビールを飲んでしまったので、帰りはユカに運転してもらった。
帰る途中で気分がとても辛くなり、家に着く頃には腹痛に悩まされた。
薬はたくさんあったが、どれが何の薬かわからなかった。