将門ブログ

このブログは、歴史上の人物『平将門』公を探求する、ポータルサイトです。

前世の忘れ物4

2006年09月01日 | 前世の忘れ物
はい、すご~く久しぶりに『忘れものシリーズ』を書いてみましょうか。
 昨年の8月頃でしたか、ミクシィに参入して、火水伝文(ヒミツツタエフミ)に出会って、その辺から『スサノオ意識』というものに目覚めてくるのですけれども、今1年が経ち、そのポジションから見た国造りチームというのを検証してみたいという気持ちになったのです。
 とりあえずまたこの表をご覧下さい。

 はい、下段の6柱を加えてみました。
 もうね、ここまでいくと『人』じゃなくなってきますね。全員『神』です。これが過去世なのかどうか、もうそういう考え方を捨てることに致しました。どういう理由か知らないけれども、これらの存在を私は全員探求する道を歩んでいるのです。『国常立大神』が国体そのものの神で、最後の元津御親大神』は、宇宙創造の元の元なる神。それより上はないというところまで行っております。このビジョンと探求がね、『神示』をたくさん読んでいるうちに出てきちゃったのですよ。

 ここで忘れものシリーズで探求している『法則』をおさらいしてみましょう。
 まず第一に『陰陽流転の法則』があります。これは将門公と千葉常胤の説明で書きましたように、正反対なるキャラクターが、ひとつの時代を終わらせて次のコンセプトを投げかけ、そのコンセプトを拾って完成に導くというハタラキをしているということですね。これ1年間『神示』というものを勉強してみて、言い換えることが必要だと感じました。それは今まで『陽』のキャラクターとして説明した存在が、【火】のハタラキをしているということ。そして『陰』のキャラクターとして説明してきた存在が、【水】のハタラキをしていること。火水伝文では、【火が陰で水が陽】と書いてあって、私の説明とは陰陽が逆なのですが、紛らわしくないように火水で統一いたしましょう。この火水のハタラキがね、歴史を創る原動力になっているということなのですが、火水が実は『カミ』なのですね。そう読めます。このカミ(火水)のハタラキによって、歴史だけではなく、万象万物が生きとし生かされているのだ・・・、こういう考察が出てくるのです。だから歴史を創っている、元の元なるエネルギー、想いも、『神』から来ているのだといってもよいでしょう。
 この神がね、色々と姿かたちを変えて、『映し鏡の法則』でもって、流転しながら創造し、『自己責任の法則』で、自分で創ったものを自分で壊す、天地自然の生成流転の営みをしていると結論付けることができます。この生成流転は言い換えてみますと、『神の呼吸』と言ってもいいでしょう。この呼吸の中に私共は生かされておるのですが、土地だの家だの家族だの、実績だの地位だの名誉だのと、『自分のもの』という意識にこだわって執着しておりますと、この『生かされている』という感覚がなかなか理解できないものです。人間だって自然の一部なのです。その呼吸に合わせて生きることによって、本来創られた「うれしうれし」の姿として、生きてゆくことができるでありましょう。その「うれしうれし」のことを、今後私は伝えていくことができればいいと思っております。

 さて、具体的な人物の考察に入りましょう。
 『聖徳太子』はまだ説明していませんでしたね。この存在は順番からしますと【水】のハタラキをする存在で【完成】をしているということになるのですが、誰のどんなコンセプトを完成させようとしたのかと言いますと、その前の『ヤマトタケル』なんですね。ヤマトタケルはね、戦いばかりに明け暮れて荒っぽい将軍って感じがするのですがね、本当は『夢』があったと感じるのですよ。当時の朝廷に仕える『王子』のポジションなんですけれども、その朝廷に疎んじられてしまって、無理やり戦わなければならなかった・・このことに対して、とてつもなく深い悲しみがあります。そうしたくはなかったのです。本当は平和に国を治めたかった・・・大和(やまと)なるマコトの国、本来『和』の響きを持つこの美しき国で、争いごとなどもうたくさんだ・・・、そんな無念の思いをもって死んでいったのだという追体験を、私はしております。だからヤマトタケルの夢というのは『和』であり、平和に国を治めることだったのです。そのために『王』となるのが夢だったのですが果たせず、白鳥となって飛んでいってしまうことになります・・・
 その白鳥は、飛鳥の地に降り立ちました・・・。
 王となれなかったヤマトタケルの夢は、『摂政・聖徳太子』として息づくことになります。そのコンセプトは『立憲君主制』という、現代にも通用するような国家体制として華開きました。憲法十七条の制定、冠位十二階の制定。聖徳太子がなしたこれらのことは、当時豪族の権勢がものすごく強かったご時世では、革命的なことだったと言えるでしょう。朝廷でも豪族でも『血』が重んじられていたのです。血族と力の強さ、それで国家運営をしようとした場合、強い者勝ちの弱肉強食、とんでもない争いの世ばかりが続いてしまいます。そこに待ったをかけ、『和』こそが尊いのだと言うコンセプトを第一に掲げ、何人でも『努力』によって出世できるのだという、『民主的』な道を開いたのです。更に大陸からの学問、科学的なことはどんどん取り入れました。仏教に力を入れたのは、それが科学的な学問であり、不調和の原因となる『カルマ』のことを正面から捉えているからです。科学的に『和』の道を探求できるから、そういう真意があったと見てよいでしょう。これらのこと、はそのまま実現していれば、もう飛鳥時代からして現代の世の中のようになっていたことでありましょう。
 しかし当時、不調和の豪族主権エネルギーはすさまじく、聖徳太子亡きあと、太子の一族は蘇我氏に滅ぼされてしまいました。その後ようやく【大化の改新】にて、藤原鎌足らの力によって立憲君主の基礎ができてきますが、今度は朝廷内で天智・天武の二元対立、騒乱が起きます。それが治まったころに【大宝律令】ですか?そういう細かい『立憲』による国家運営が実現してゆくことになるのです。ここにきてようやく日本の国の『立憲君主制』は実現した形となります。これ聖徳太子の思いの実現ですね。千葉常胤公のように、生きているうちに【完成】を目にすることはできなかったのですが、死後霊的指導側に回り、国造りというものをずっと進めてきたのだということができるでしょう。
 ところで、聖徳太子は存在しなかったという議論があるのですが、これは私の感覚からしますと『変』ですね。それは聖徳太子の『想い』そのものとコンセプトを、私自身が体験してしまっているからです。この体験をしたものにとっては、史実よりも意識存在の方が『真実』となります。だから確かに存在するのです。それは『今』存在しています。だから過去にも実在したと言う結論を、体験した者は述べてもよいと思います。実証できるかどうかなんて関係ありません。いるのです。
 でもね、聖徳太子ってあまりにも聖人化されすぎていますよね。だから居なかったのではないかと言う議論があるのですが、その聖人化された聖徳太子って、大化の改新に勝った方と負けた方が、双方共に自分たちを正当化するために作り上げた『虚像』なんですね。これが虚像だということは、やはり本物を体験してみるとわかります。聖徳太子は、本当は仏教の聖者じゃないんです。生粋の『国造りスト』であり、どちらかというとイエス・キリストに繋がっております。そのことに関してはあとで述べようと思いますが、とにかく聖人化されすぎた聖徳太子が、本来の聖徳太子とは別人格のニセモノとして一人歩きしてしまっていると言ってもいいでしょう。ニセモノと本物がいます。それは自分が『本物』に近付いてくれば、見えてくるでありましょう。
 そのような聖徳太子なのですが、死後の活躍も盛んですね。それは宗教指導者への指導ということにも顕れてきております。それは一遍上人・日蓮聖人・親鸞聖人・・・この鎌倉仏教三傑が、こよなく聖徳太子を愛し、信奉されたということにも顕れています。存在しなきゃ信奉もしないんですね。意識体としての『聖徳太子』が存在しているのです。それは今の今でもそうです。国家というもの、国というものを、陰から支えに支えるため、日夜活躍されておられます。私が取り上げている国造りの存在たちは、皆々様方そうなんですね。このことに対して、深く深く認識をされていただきたい。大体今の日本人は、この『国体』に対する、それを支えてきた存在に対する認識と畏敬の念が足りなすぎます。その辺に敬意を表してはじめて『開運』もあるはずなのですが、見ようともしない方々が多すぎるのです。そのような方々は、今後根無し草として、悲しい人生を送ってしまうかも知れません。大切なことなのです。どうか深く認識されるよう、このシリーズでは述べておきます<(_ _)> 。
 という聖徳太子なのですが、この太子が完成に導いた『立憲君主制』もですね、時代が下って平安時代中期くらいになりますと、中央の『貴族』共が私腹を肥やす言い訳の道具に成り下がってしまうのですね。もう手のつけられないほどドロドロになってゆきます。当時の人口の3分の2がなんと奴隷階級です。そんなふうにするために聖徳太子が立憲君主制を投げかけたのと違いますね。で、そうなったところで次に送り出されるのが、聖徳太子とは『映し鏡』の法則でマ反対にあるようなキャラクター、『平将門』なのです。将門が何を終わらせる人か言っていませんでしたが、実は聖徳太子の『立憲君主制』です。これによる『弊害』を終わらせることが『天命』だったと言ってもいいでしょう。『自己責任の法則』で自分が壊すのです。聖徳太子も神のハタラキの一部ならば、それに反逆する平将門のそうだと言えるでしょう。それが『呼吸』です。善悪はありません。そういうリズムが働いていると、観ることができるでありましょう。

 ということで今回は聖徳太子を中心にお話ししましたが、この聖徳太子の意識は、実はキリスト教の七大天使の一人に繋がっているという情報があります。それは私がかつて所属していた幸福の科学の情報が元でありますが、私はなんだかその意識体に郷愁を感じます。イエス・キリストに繋がっておりますし、国造りのスペシャリストのようです。今後私はネット上でのハンドルネームを、その七大天使の一人にしようかと思います。『ハタラキ』をクリアーにしたいのです。どうか宜しくお願いいたします。『はっちゃん』という名前に親しんでいただいた方、ありがとうございましたm(__)m

 その七大天使の一人の名は・・・
 聖徳太子の上位意識の名は・・・

 『シュバンツェル』  <(_ _)>

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/文:シュバン/平将門関連書籍将門奉賛会


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