昨日は九段下に用事があったので、帰りに築土神社と靖国神社に寄ってきました。築土神社に参拝していつも思うのですが、高いビルの間に本殿があって、神様も落ち着かないのではないかと。コンクリートの本殿は似合わないな。
昨年春、千葉県香取市(旧小見川町)の将門伝説として、「白井の里」と「城山公園」を訪ねてみました。
旧小見川町白井の里に行くには、JR佐原駅前から神里経由・小見川行きバスで「白井入口」で下車します。なお、便数が少ないのでよく調べる必要があります。
【星宮神社・八幡宮・白井城址】小見川町白井
バスを降りて、南西に白井の里(白井集落)を目指します。「星宮神社」と、その丘陵の奥にあります「八幡宮」は、将門が勧請したといわれています。『城館跡分布調査報告書』では、星宮神社と八幡宮がある比高30mの台地を「白井城址」としています。周囲は切り立ったような崖で、土塁や虎口などが見受けられ、城にふさわしい場所ではありますが、やはり麓の民家で聞いたところ、城址としての由来は聞いたことがないとのことでした。
【玉井戸】小見川町白井
星宮神社から南に下ると「玉井戸」があります。この井戸は、将門が掘った井戸といわれていて、常陸の「神の池」(現鹿島港)まで続いていて枯れたことがないと伝えられています。白井の里に、将門の子が屋敷を建てて住み(星宮神社のあるところ?)、玉井戸から朝夕、水を汲ませたといわれています。
【王宮台】小見川町白井
玉井戸から南東400mに、「大宮台貝塚」「大宮台古墳」の案内板があります。この説明に《大宮台貝塚は平将門伝説の残る砦跡でもあり、下総地方屈指の縄文時代の貝塚である》とあります。この貝塚周辺は多くの貝殻が散らばっており、この地が「王宮台」といわれ、将門の館(城)があり、最奥の古墳の墳頂には祠があり「将門の墓」ではないかといわれています。なおも、この周辺には、御門、王塚、宮の下、君が谷などの地名が残されています。
続いて、「城山公園・興世王墳墓」を訪ねてみました。
【城山公園(小見川城址)・興世王墳墓】小見川町小見川
JR小見川駅から北西・成田線沿いに、城山公園(小見川城址)があります。駅前の交差点を左折して黒部川を渡ると、前方に台地が見えてきます。この台地上にある城山公園を過ぎて、県立小見川高校を目指します。「興世王墳墓」といわれる城山2号墳(前方後円墳)は、校門入り口右手にあります。杉の木に覆われているため、墳頂付近は昼間でも薄暗く、横穴式石室の天井石と考えられる石が露出しています。「興世王墳墓の碑」と刻まれた石碑が建てられていて、碑文によると《承平天慶の頃皇子崇仁王征夷の使命を帯びて下総に下り……大和興世の悲願むなしく此の地に憤死す……》とあります。ちなみにこの碑は、昭和32年に高橋氏によって建立されましたが、地元では教育委員会を含めて全く根拠のないものだとしています。
「小見川城址」
http://www.photohighway.co.jp/AlbumTop.asp?key=1587291&un=27875&m=0
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1577/omigawaj.htm
「興世王」
http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/okiyoou.html
http://www.ne.jp/asahi/enjoy/oyama-yuuki/rekishi-tairamasakado-4.htm
/取材:源六郎/平将門関連書籍/将門奉賛会/
昨年春、千葉県香取市(旧小見川町)の将門伝説として、「白井の里」と「城山公園」を訪ねてみました。
旧小見川町白井の里に行くには、JR佐原駅前から神里経由・小見川行きバスで「白井入口」で下車します。なお、便数が少ないのでよく調べる必要があります。
【星宮神社・八幡宮・白井城址】小見川町白井
バスを降りて、南西に白井の里(白井集落)を目指します。「星宮神社」と、その丘陵の奥にあります「八幡宮」は、将門が勧請したといわれています。『城館跡分布調査報告書』では、星宮神社と八幡宮がある比高30mの台地を「白井城址」としています。周囲は切り立ったような崖で、土塁や虎口などが見受けられ、城にふさわしい場所ではありますが、やはり麓の民家で聞いたところ、城址としての由来は聞いたことがないとのことでした。
【玉井戸】小見川町白井
星宮神社から南に下ると「玉井戸」があります。この井戸は、将門が掘った井戸といわれていて、常陸の「神の池」(現鹿島港)まで続いていて枯れたことがないと伝えられています。白井の里に、将門の子が屋敷を建てて住み(星宮神社のあるところ?)、玉井戸から朝夕、水を汲ませたといわれています。
【王宮台】小見川町白井
玉井戸から南東400mに、「大宮台貝塚」「大宮台古墳」の案内板があります。この説明に《大宮台貝塚は平将門伝説の残る砦跡でもあり、下総地方屈指の縄文時代の貝塚である》とあります。この貝塚周辺は多くの貝殻が散らばっており、この地が「王宮台」といわれ、将門の館(城)があり、最奥の古墳の墳頂には祠があり「将門の墓」ではないかといわれています。なおも、この周辺には、御門、王塚、宮の下、君が谷などの地名が残されています。
続いて、「城山公園・興世王墳墓」を訪ねてみました。
【城山公園(小見川城址)・興世王墳墓】小見川町小見川
JR小見川駅から北西・成田線沿いに、城山公園(小見川城址)があります。駅前の交差点を左折して黒部川を渡ると、前方に台地が見えてきます。この台地上にある城山公園を過ぎて、県立小見川高校を目指します。「興世王墳墓」といわれる城山2号墳(前方後円墳)は、校門入り口右手にあります。杉の木に覆われているため、墳頂付近は昼間でも薄暗く、横穴式石室の天井石と考えられる石が露出しています。「興世王墳墓の碑」と刻まれた石碑が建てられていて、碑文によると《承平天慶の頃皇子崇仁王征夷の使命を帯びて下総に下り……大和興世の悲願むなしく此の地に憤死す……》とあります。ちなみにこの碑は、昭和32年に高橋氏によって建立されましたが、地元では教育委員会を含めて全く根拠のないものだとしています。
「小見川城址」
http://www.photohighway.co.jp/AlbumTop.asp?key=1587291&un=27875&m=0
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1577/omigawaj.htm
「興世王」
http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/okiyoou.html
http://www.ne.jp/asahi/enjoy/oyama-yuuki/rekishi-tairamasakado-4.htm
/取材:源六郎/平将門関連書籍/将門奉賛会/
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