璋子の日記

Beside you

疲れたと言える幸せ

2006年06月14日 19時04分42秒 | 闘病記録、お役立ち日記

疲れた。

もう少し、もう少しと思って、資料に目を通しているうちに、こんな時刻になった。一日が終わるのは、なんて速いのかしら・・・・
午後、浮世のことにかかりっきりとなり、先ほどやっと片付いた。
今月は、月末に株主総会のある会社が多いから、この時期は、毎年、議決権を行使するための資料に目を通すので忙しかった。どの会社でも議決権が数十しかない小口株主だけれど、議案への賛否を考え株主としての責任を果たすとき、リアルの世界が大きく広がって見えたものだった。

株との付き合いは、恋人だったどの男性との交際よりも長い。無論、株とは学生時代からの付き合いだから、子供たちとの付き合いよりも当然、長い。不思議だなあ・・・・と思う。
経済のことを勉強するには、株を買うのが一番だと考えたことから始まったのだから、何て単純な理由からだったのかと。
お陰で人生が消し飛んでしまうかもしれないくらいの、後年、冷や汗がでるような体験もすることになった。

いまのようにインターネットで売買するような時代ではなかったから、朝一番に日経新聞に目を通し、会社四季報その他の情報誌はいつも机の上、短波ラジオを終日つけっぱなし、そんなアナグロ式だった当時、そうした売買の様子は、とても若い女性の趣味などとは考えられないものだったろうと、いまなら分かる。お金を儲けようと考えたこともなければ、友人たちに株の話をしたこともなかったように思う。
おかしな言い方だけれど・・・、自分の考えが正しいか、自分の読みが当たるか、カンが冴えるということはどういうことか、そういうことに関心を持ってしまった。恋愛と似ている。実に個人的な世界で、だからこそ熱中できたのだろうと思う。無論、そのために必要な勉強もした。政治の動きにも敏感になった。
不遜な言い方だろうか、そうして多くのことを、人生で戦って生きていく上で必要なことの多くを、わたくしは、そこで学んだ。
いや、学ばせてもらった。

いま世を騒がせているライブドアーや村上ファンドのような発想は、わたくしには最初から無い。もっとも、世間で騒がれるような売買額ではないから世を騒がすようなこともなかったけれど、それでも負けたことは、正直一度もなかった。なのに、お金を儲けたという実感もない。儲かった分でまた買うから現金を手にするということがない。つまり、換金してそのお金を株以外のことで使うといった発想も体験もなかったので、・・・・ちょっと他の方とは違うかもしれない。

俗の極みのように言われる株式売買の世界だけれど、
怖いほど奥が深くて、その底が暗くて見えない。スリリングで全身の総毛が立つということをそこで初めて体験した。そんな世界ながら、わたくしはそこで聖なるものと出会うことができた。

換金してお金を手にしたのは、20代の終わりに不動産を買うために使った一回限り。人生でそのただ一回きり。
それを機に株との縁もなくなった。というか、
売買の仕方が180度変わった。それまでの薄氷の上を歩くような集中力と緊張感の時空・・・とは無縁。社会的な経済活動に連動する単なる投資、いや、子供たちのための蓄財に変わった。わたくしが、たとえ死病を患っても、それをお金に換えて使うことはない。

若い頃に株式投資で体験できたこと、それにわたくしは感謝している。
それがあったから、それから数年後の業病との闘病も、後年の、仕事を通しての社会との軋轢の修羅場も全て乗り越えてこれた気がする。
浮世のことを一人でしのいでいくという姿勢を教えてもらえた。

株は、わたくしの仕事とはまったく無縁なので、ちょっと変わった「趣味」と位置づけられるかもしれない。≪自分の時間を心に適ったものに向けて、それに関わって過ごす≫という意味でなら、株も「趣味」と言えなくもない。絵画や音楽同様に、わたくしに人生で出会うべきものと出会わせてくれたという意味でも、極上の「趣味」の一つだったし、映画鑑賞同様に、いろいろの人生をもそこで見せてもらった。

俗世の只中と称される世界で見ることができた「聖なるもの」は、当初の計画通りに学問を純粋培養的に続けていたら、きっと出会えなかった世界かもしれない。女性が学問を続けていけば遠からずして出会う人生の問題を、わたくしはそれで解消できたとも言えるかもしれない。
子供と自分の城、これを、最初に手に入れたのだから。

 

この10年、株主として、毎年6月下旬は東京で過ごすことが多かったけれど、
今年は、そうした予定もない。こちらに居ながらにして議決権行使。
一社くらいは、気分転換で行くかもしれないけれど、当地での株主総会だから、散歩感覚。
いろいろのことが走馬灯のように思い返されてくる。

こうして、「疲れた」と言えるいまの自分を、幸せに思う。
愛猫と遊んでいるときと同じくらいに。

生後2年になるのに、ちっとも大きくならない愛猫。
成長障害かしら、と一時は心配したけれど、
元気だから、それでいい。
この子の、ちょっと足らないところが、
この頃、無性にいとしい・・・・ 

疲れたと言えることは、幸せなことなんだとしみじみ思う。

 



 


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