璋子の日記

Beside you

自殺の研究

2006年06月15日 21時58分23秒 | 闘病記録、お役立ち日記

今日、自殺対策基本法が成立した。
読んでみたけれど、釈然としない法律だ・・・

自殺マニュアルという一時出回った本が、拙宅にもある。
家庭内暴力や不登校、登校拒否や引きこもりになったお子さんを抱えて、あちらこちらの教育相談機関を渡り歩いてこられた親子が、「紹介された」ということで、いまでも相談に見える。
親と話している間、子供に別室で好きにしていていていいと言うと、たいていの子供が、この本を手に取って読んでいる。

苦しいとき、出口が見えないトンネルの中にいるとき、
子供に限らず、大人も、死にたくなるのは同じだろう。
わたくしもそうだから、よく分かる。

だから、わたくしは、死にたいと言う人間には、死ぬなとは言わない。
ただ、目の前で死なれるのは困る。
自殺幇助などということを考えるからではない。
何の力にもなれなかったという無力感を抱いて生きるのが、いやなだけだ。同じ時代に同じ街に住み暮らし、縁あってこうしてそばにいる相手に自殺されるのはたまらないから、いっしょに考える。死ななくてすむ方法や、死にたい気持ちよりも生きていたいという気持ちになるにはどうしたらいいかしらと。

幸い、その「自殺マニュアル」を拙宅で手に取った子供で、
自殺した子供は一人もいない。

自殺について書かれた本は、情死いわゆる心中も含めて昔からよく読んできた。自分が自殺するときのために読み始めた。ませた子供だったと思うけれど、小学校の6年生のときが最初。
死にたい、であろうと、死んでやる、であろうと、どうすれば死ねるのか、
自殺の方法にどういったものがあるのかを知らなかったからだ。

いつか、自分がそうした情況になったときのために、
どんな自殺の方法があり、そのときはどうしたら楽に死ねるかなあ・・・・
ということを考えたから。

いまでも、考える。そのせいか、そのための情報には敏感。
おかしなものだけれど、いまだって考えている。

心弱いときには、楽な死に方ってないものかと思うし、
心弱くないときには、周りの人に悲しみも含めてマイナスの感情などの悪影響を及ぼさない死に方ってどんな死に方だろうと考える。

肉体の痛みが激しいときは、クリスチャンじゃないのに、
神様が迎えに来てくださることを願うし、
心が死に向かうほど弱くなったときには、なぜか拷問や戦争の本を読み、「人間って、こんなむごいことまで出来るのか」と戦慄し、
「こんなことは許せない」と激しい義憤にかられ、
最後は、詩歌を読んで気持ちを慰める・・・・・

そんなわたくしだけれど、いま、生きていたいと思う自分を、
わたくしを愛してくれる人たちのために、
わたくしが愛している人たちのために、

幸いなことだと思っている。

けれど、そのわたくしという人間はどういう人間だろうかと省みるとき、
やはり、自殺の研究はやめられない、なあ・・・・
と思う。

 

 

まだ未成年の娘とこの子たちがいるので、無論、
願薔薇ナイト・・・。

 

 


 

 

 

 

 

 


 

 

 


 


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