父・後土御門天皇の突然の崩御を受けて践祚、しかし即位式は21年後に
先帝の崩御を受けて践祚〈せんそ〉され、後柏原天皇誕生が明応9年〈1500〉
応仁の乱が終結して23年も経っているにも関わらず、尚その影響は続いていた
応仁の乱の後遺症は甚大で、朝廷の経済は逼迫して即位の礼の費用もなかった
何しろ先帝・後土御門天皇の葬儀が、崩御から43日後にやっと挙行と云うありさま
この時期の京都の経済状況は想像を絶するものがあったのである
元旦の節会やその他の朝廷の儀式も中止されている中、即位式どころではなかった
この間、幕府などによる献金も行われたが、費用を賄うほどの額には達せずに・・・
践祚の後22年目にして、幕府の献金などでようやく即位礼が執り行われた
応仁の乱以降、公家たちは地方離散に追い込まれ、大名の庇護下にあった
後柏原天皇は伊勢神宮に平安を祈り、疱瘡の流行時には般若心経を諸寺に納めた
仏教の信仰厚く書道にも優れた天皇は大永6年4月に63歳で崩御された
後柏原天皇をはじめ、10名の天皇さまが葬られている【深草北陵】〈ふかくさのきたのみささぎ〉
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