タイトル通りに、後土御門天皇が即位して3年後に応仁の乱が勃発している
後花園天皇の第一皇子として嘉吉2年〈1441〉に生誕された。
嘉正5年〈1464〉に父・後花園天皇から譲位を受け、翌6年に即位している
しかし御在位36年間のほとんどは、京都の争乱に明け暮れる日々だった。
文正2年〈1467〉御霊林の戦いで、応仁の乱の火蓋が切られると・・
将軍・足利義政は天皇と上皇を自邸の室町殿に移して保護します
応仁の乱期間中の10年間は天皇と上皇は将軍とともに暮らすのです
そんな争乱の中でも、義政は酒盛りをするような生活を送ります
天皇は文明8年〈1476〉に土御門殿に戻るのですが・・・
朝廷の財政は大変に厳しく、困窮をきわめ行事も行えない有様です
しかし、義政の御台所・日野富子の援助によって
漸く 節会を実施したほどでした。
天皇は59歳で失意の中、急に崩御されます
後土御門天皇の亡骸は深草北陵に葬られています
この後、後柏原天皇・後奈良天皇・正親町天皇・後陽成天皇が深草北陵に葬られます
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