教師ってなんでしょうね。生徒ってなんでしょうね。親ってなんでしょうね。
いきなりの命題で難しいかもしれませんが・・・友人から今朝突きつけられたものです。
私は1i1の可能性は素晴らしいと感じています。小さなことに感動し、ひたむきに自分の出来る努力をする生徒が多いことに喜び、真剣に受け止めようとすることに、教師をしていて毎日が勉強させられます。1i1がいつも学校行事の集合時間にどのクラスよりも早く移動して整列ができることは、一人だけの努力でなく、全員の努力が1つのことに向かって強調しあった結果。強調性があるということ。体育祭で優勝&準優勝できたのは、クラス全員の思いが1つに向かって突き進んだ結果であり、一致団結できた協力、そして努力があったこと。当然そこには偶然の女神も微笑んでくれたかもしれません。前期の成績を生徒に渡した後に、泣いていた生徒、自分の成績が信じられないと驚く生徒がいたことが、教師生活25年以上のなかでうれしい出来事でした。生徒はいままでどんなに努力してきても、その結果に気がつくこと無く、ほめられることもなく、過ごして来たのだろうかと残念におもう一方で、この学校にこれてその可能性を自分が発見できた瞬間に立ち会えたと感じた喜びがうれしい。その生徒に出会えたことにも感謝。当然、そんな素直な子どもを育てた保護者に感謝をします。
昨日教室の近くの廊下に張り出されたワープロ検定の合格者発表をみて、生徒の8割以上が合格してたことよりも、受験した生徒の割合が一番多かったことに誇りを持ちました。1学年で今回受験したのは39名。1i1の38名と普通科の一人です。1つのことに「やるぞ!」とチャレンジしたことへの勇気に熱くなりました。その結果が合格という形になっただけで、次へのチャレンジを後押ししてくれているだけのこと。一歩踏み出せば、さらに一歩前に、ずーっと繰り返されることが人生ですが、その一歩を勇気を持って、一人一人が努力した結果の積み重ねが明日の自分を作り上げて行くと思っています。
教師ってなんでしょうね。・・・ただ、その人の一歩を踏み出す場面に立ち会うのみ。
生徒ってなんでしょうね。・・・自分の可能性にチャレンジする勇者。
親ってなんでしょうね。・・・子どもの成長をただただ喜び、応援する愛。
いろいろな回答があると思います。家族ごとに。今、夏休みを前に、厳しい現実を突きつけられた人も、少しの可能性を感じられた人も、実は大差なく、一人一人がちゃんと努力した結果、着実に一歩前に進んでいるということを感じ取ってほしいと思います。赤点指導を受けるから後退ではなく、赤点指導を前向きに素直に受けられる自分がいることに誇りを持ってください。赤点をとらなかったことに安心するのではなく、自分の可能性を見れたことに気づき、また一歩前に進むことをやめないでください。子どもは常に変化します。不安でしょうがないと感じる人(親も子も)も多いはず。私もまた一人の親であり、不安は常に一杯。いつか自立して自分の手元から離れて行くと確信してもやはり不安です。出来るだけチャレンジしようとしていることには応援したいし、飛び立とうとするときは応援と同時に厳しいことも言います。生徒の保護者と担任の違いはありません。職業の違いだけです。上でも下でもなく、こどもたちの成長をこの目で見届けるだけです。子ども達が強調性を発揮できるなら、大人も出来るはず。
夏休みを目前に、友人が突きつけた命題はかなり難しい問題です。答えがあるのかも分からないし、答えを得られるのかもわかりません。教師がその答えに出会えるチャンスは意外にすくなく、感じ取れるときも10年後、20年後ということも多くあります。友人は私にエールを送ってくれたのかもしれません。50才にもなり、いまだチャレンジと失敗、喜びと不安を10代のように揺れなければならないということに気がつかされました。 1i1の答えはまだまだ先でしょうか。それとも。
いきなりの命題で難しいかもしれませんが・・・友人から今朝突きつけられたものです。
私は1i1の可能性は素晴らしいと感じています。小さなことに感動し、ひたむきに自分の出来る努力をする生徒が多いことに喜び、真剣に受け止めようとすることに、教師をしていて毎日が勉強させられます。1i1がいつも学校行事の集合時間にどのクラスよりも早く移動して整列ができることは、一人だけの努力でなく、全員の努力が1つのことに向かって強調しあった結果。強調性があるということ。体育祭で優勝&準優勝できたのは、クラス全員の思いが1つに向かって突き進んだ結果であり、一致団結できた協力、そして努力があったこと。当然そこには偶然の女神も微笑んでくれたかもしれません。前期の成績を生徒に渡した後に、泣いていた生徒、自分の成績が信じられないと驚く生徒がいたことが、教師生活25年以上のなかでうれしい出来事でした。生徒はいままでどんなに努力してきても、その結果に気がつくこと無く、ほめられることもなく、過ごして来たのだろうかと残念におもう一方で、この学校にこれてその可能性を自分が発見できた瞬間に立ち会えたと感じた喜びがうれしい。その生徒に出会えたことにも感謝。当然、そんな素直な子どもを育てた保護者に感謝をします。
昨日教室の近くの廊下に張り出されたワープロ検定の合格者発表をみて、生徒の8割以上が合格してたことよりも、受験した生徒の割合が一番多かったことに誇りを持ちました。1学年で今回受験したのは39名。1i1の38名と普通科の一人です。1つのことに「やるぞ!」とチャレンジしたことへの勇気に熱くなりました。その結果が合格という形になっただけで、次へのチャレンジを後押ししてくれているだけのこと。一歩踏み出せば、さらに一歩前に、ずーっと繰り返されることが人生ですが、その一歩を勇気を持って、一人一人が努力した結果の積み重ねが明日の自分を作り上げて行くと思っています。
教師ってなんでしょうね。・・・ただ、その人の一歩を踏み出す場面に立ち会うのみ。
生徒ってなんでしょうね。・・・自分の可能性にチャレンジする勇者。
親ってなんでしょうね。・・・子どもの成長をただただ喜び、応援する愛。
いろいろな回答があると思います。家族ごとに。今、夏休みを前に、厳しい現実を突きつけられた人も、少しの可能性を感じられた人も、実は大差なく、一人一人がちゃんと努力した結果、着実に一歩前に進んでいるということを感じ取ってほしいと思います。赤点指導を受けるから後退ではなく、赤点指導を前向きに素直に受けられる自分がいることに誇りを持ってください。赤点をとらなかったことに安心するのではなく、自分の可能性を見れたことに気づき、また一歩前に進むことをやめないでください。子どもは常に変化します。不安でしょうがないと感じる人(親も子も)も多いはず。私もまた一人の親であり、不安は常に一杯。いつか自立して自分の手元から離れて行くと確信してもやはり不安です。出来るだけチャレンジしようとしていることには応援したいし、飛び立とうとするときは応援と同時に厳しいことも言います。生徒の保護者と担任の違いはありません。職業の違いだけです。上でも下でもなく、こどもたちの成長をこの目で見届けるだけです。子ども達が強調性を発揮できるなら、大人も出来るはず。
夏休みを目前に、友人が突きつけた命題はかなり難しい問題です。答えがあるのかも分からないし、答えを得られるのかもわかりません。教師がその答えに出会えるチャンスは意外にすくなく、感じ取れるときも10年後、20年後ということも多くあります。友人は私にエールを送ってくれたのかもしれません。50才にもなり、いまだチャレンジと失敗、喜びと不安を10代のように揺れなければならないということに気がつかされました。 1i1の答えはまだまだ先でしょうか。それとも。
ンで調べて見たんで
すが、何もひっかか
りませんでした?
どうすればいいです
かね(゜∇゜)
気になります