父親の性格を文字にしたら、そうとうキツイ人間に感じるかもしれないが決してそういうタイプな人ではない。
優しい一面はもちろんある。外に遊びに行くことはなく、仕事が終わったらしっかりと家に帰る。
そして、弟の面倒はきっちりとみる。やはり仕事のストレスは大きいのだろう。
特殊溶接工というのは大変な仕事とのことだ。
父親は気象衛星、ロケットの細かな部品を一人で作っている。
後継ぎもいなく毎日家族の為にせっせと働いてくれている。
じゃあ、お前が継げばいいだろ。と言われるのだ如何せん興味がないのだ。
どうも、僕の性格はとても欠陥的らしく人の言うことを聞かない。
学生時代に戻りたい、という人はよくいるが僕は二度と戻りたくない。
友達関係とかが理由ではなく、席にじっとしているのが嫌だった。
じっと席に座り、同じようなことを聞いている空間が僕にとって地獄であった。
なのでよく図書室にマンガを見に行ったり、保健室のベッドに勝手に寝ていたのだ。
身体を動かすのが大好きなので、じっと座っているのが堪らないのだ。
またADHDということも理由に上げられるはずだ。
今はパーソナルトレーナーという仕事をしている。僕の性格にはあっているとここ最近思い始めたのだ。
我が家は、勉強しろ、いい大学にいけ、一流企業に就職しろ。など高度経済経て生まれた感性は一切ない。
母親は地方から高校卒業してすぐに東京に出てきた。父親は定時制の学校を通いながら仕事するような人だ。
父親はかなり不遇な経験してきた。父親は三人兄弟の末っ子で、姉二人がいる。
小さい頃にアパートが燃えるほどの火事を経験しており、飼っていた動物は全て死んでしまった。
また、お父さんは小さい頃に蒸発し、38歳で病気でこの世を去った。
また、お母さんはそこから内縁旦那とトラブルを抱え、父親達で血みどろの争いがあった。
そして、僕の弟が知的障がいだ。
様々な経験を積んだはずだ、自ら事業を起こし今こうして頑張っている。
決して口に出さないがそうとう辛かっただろう。
何よりも一番辛かったのは母親が亡くなったときのはずだ。
父親のお母さんが亡くなったときは毅然とした態度をとっていたが、母親が亡くなったときは、号泣していた。
父親があそこまで涙を流すのは、人生で初めてみた。
ショッキングであるが、当たり前だとすぐに自負した。
きっと色々と後悔したはずだ、もっと優しくしていれば、良かったとも思ったはずだ。
旅行なんて一切行ったことの家族であったし、引っ越しもしていない小さな家だ。
何よりも、母親にキツイ態度を当たったこともあった。
誰も悪くはないのだろう。だが直せてことは山ほどあった。
弟の嫌々病が原因で、母親は少し痩せたのだ。でも、テレビを見るとさっきの辛さは嘘のように大爆笑している。
だからこそ、あそこまで頑張ってくれたのだろう。
でもある時、限界が来たときがあった。
朝いつものように嫌々病が発動した。ある時弟が母親に対して物を投げたのだ。
少し暴力っぽいことをし始めた。どこで覚えたか分からないが、母親ほ背中をバチンと叩くこともあった。
何度も何度も僕自身、弟を叱ったのだが治ることはない。
どうしようもなく、母親は涙を流した。
もう、どうすればいいか、、、と。
その姿はその後数回見た。
本当に家族は難しい、今は弟を施設に入れること考えているが中々空きがない。
もっと昔から本気で考えていたら、きっと家族の人生は大きく変わっただろうと考えている。
その頃から僕は母親の様子を見ながら、弟を朝送ったり。また母親の負担を減らす為に、母親の買い物には車で付き合ったりしていた。
でも疲れていたのは、間違いはない。
それを知人に相談したところ家族の為に弟を施設に入れることをおすすめしてくれた。
だが、両親的には現実的な提案ではなかったかもしれない。
結局実行に移すことはなかった。
そして、もう一つ。猫を飼っていみたら言われたのだ。
また書きますー。
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