行きの保土ヶ谷バイパスは、上の空だったことは覚えている。
頭に過るのは母親の表情だ、どのように感じて、どのように今思っているのか。
弟は作業所に送り、父親と二人で癌センターに向かった。
コロナというものは、とてつもなく厄介であり、親族でさえ患者に簡単に合わせてくれない。
母親の検査入院中、僕は2回か届け物を渡しにいったのだが、母親が入院しているところの階まで行き、そこで看護師に荷物を渡す。
コロナじゃなかったら会えたのだが、、、何処か遠くに行ったような存在に感じた。
癌センターにつき看護師に呼ばれ、僕と父親は母親の病室に入った。
久しぶりに再開した母親は、これまでの以上に顔が黄色っぽくなっていた。
笑顔はなく、何かを覚悟した表情だった。
母親と会って直ぐに担当医が来た。
単刀直入の言葉だった。
膵臓癌です。
既に癌を切れる状ではなく、抗がん剤も打てる状態ではない。と、。
ビルルビンという数値だったと思うが、その数値がとてつもなく高かった。
高いまま、抗がん剤を打つと肝臓に想像もできない負担が掛かるとのことだった。最早切ることが癌に対して、どうするか、、。数値を下げて抗がん剤を打つしかない。
と、いう状態だった。
母親は厳しい表情はしていなかったが、先生の話しをただ聞いていた。
担当医から週一回検査しましょう。
そして、、様子をみましょう。とのことだ。
いわば、お手上げということだ。
母親は退院し、自宅に一緒に帰った。
また書きますー。
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