醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  678号  月影や四門四宗もただ一つ(芭蕉)  白井一道 

2018-03-22 13:25:20 | 日記

 
 月影や四門四宗もただ一つ 芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「月影や四門四宗もただ一つ」。芭蕉45歳の時の句。『更科紀行』。「善光寺」との前詞がある。
華女 この句を読むと月明りにすべてが癒され阿弥陀様のところにいける。そんな気持ちになれる句なのかなと思うわ。
句郎 善光寺に参ったときの芭蕉の思いを詠んだ句なんだろうな。
華女 善光寺の境内に入ると芭蕉は霊感に撃たれたんじゃないのかしら。
句郎 仏の慈悲を体感したということかな。
華女 仏さまが私に寄り添ってくれているという体感ね。
句郎 私は安心して生きていけるという気持ちになったということ。
華女 そうよ。女は子供がいれば、生きていけるという話を聞いたことがあるわ。
句郎 それはどういうこと。
華女 愛するものがいれば、生きていけるということよ。女一人というのは弱いものよ。でもね、愛する子供がいれば生きていけるのよ。女の強さは愛する者がいるということなのよ。
句郎 月明りに仏を感じた芭蕉は一人でも生きていけると実感した句が「月影や四門四宗もただ一つ」だということなの。
華女 そうよ。自分に寄り添ってくれる者がいれば、生きていけるのよ。子供は母に常に寄り添ってくるでしょ。
句郎 夫婦喧嘩をするとたいていの場合、子供は母親の味方をするというからね。
華女 そうでしょ。母親というものは無条件で自分の子供を愛しているものなのよ。
句郎 なるほどね。男は区別することがあるのかもしれないな。長男と次男とか、長女と次女とかね。
華女 母親にとって子供は皆同じ、一つなのよ。無条件にね。
句郎 「四門四宗もただ一つ」とは、仏様はただ一つだということを芭蕉は言っているということかな。
華女 そうよ。芭蕉は仏様が自分に寄り添ってくれていると言うことを善光寺に参って体感したというなんでしょ。仏さまは一つだと実感したのよ。それは善光寺という寺が醸しだす霊的世界に芭蕉は包まれたからなのよ。
句郎 仏教は宗派によって仏様が違うということは本質的にはないんだろうからね。
華女 仏さまにも廬舎那仏とか、薬師如来、大日如来、阿弥陀如来と、たくさんいるでしょ。でも仏様は一つなんだと芭蕉は善光寺で実感したことを詠んだ句が「月影や四門四宗もただ一つ」だったのよ。
句郎 全宇宙を月が照らしているんだと芭蕉は感じたのかもしれないな。
華女 そうなのよ。死に際しても仏様が寄り添ってくれていると感じるとすべての人に優しく感謝することができるのよ。私には弟がいるのよ。母は弟を愛していたのよね。母と一緒に弟は生活した期間は二〇年間ぐらいじゃないかと思うのよ。それでも母が死ぬとき、弟に母は「生きていてよかったよ。永遠にさよなら」と言って死んでいったみたいよ。
句郎 そうなんだ。芭蕉は月明りに照らされていれば、生きていて良かったと周りの人に感謝して死んで生けるということな。