醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  660号  城跡や古井の清水先(まづ)訪はん(芭蕉)  白井一道

2018-03-03 11:31:58 | 日記


 城跡や古井の清水先(まづ)訪はん  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「城跡や古井の清水先(まづ)訪はん」。芭蕉45歳の時の句。『笈日記』にある。「喜三郎何某は稲葉山の麓に閑居を占めて、納涼のためにたびたび招かれ侍りしかば」と前詞がある。
華女 「喜三郎」とは、誰なのかしら。
句郎 貞亨五年夏、『笈の小文』の旅の復路。岐阜富茂登の松橋喜三郎宅に寄る。当地の庄屋で稲葉山山麓に別邸を持っていた。ここを訪れた。稲葉山は稲葉山城の跡地で斎藤道三によって築城された。
後に織田信長がこれを受け、全国制覇の拠点とした。山城であるため水の確保が難しく、それゆえ深い井戸が掘られた。
華女 戦国時代に築城された山城の跡を訪ね、今も清水を汲み出すことのできる古井戸を見て、戦国武将を偲んだということなのかしらね。
句郎 古人を偲ぶ。これが芭蕉の俳諧の主なテーマなのかもしれないな。
華女 昔の人を思うということが、芭蕉に句を詠ませているのね。
句郎 「すむ人の心くまるるいずみかな昔をいかに思ひいづらむ」と芭蕉が尊崇する西行が詠んでいる。『山家集』にある歌に芭蕉は刺激されたのかもしれないな。
華女 井戸の水を汲むことは、この井戸の水を飲んだ昔の人の気持ちを推し量ることになると芭蕉は思ったということなのよね。
句郎 芭蕉もまた山城に残る古井戸の水を汲み、喉を潤したとき、昔の武将たちはどんな気持ちでこの水を飲んだのかなと感慨にふけったのかもしれないな。
華女 水がなければ人は生きていくことできないでしょ。だから井戸には昔の人の思いがこびり付いているのよ。
句郎 今は昔、井戸端会議なんていう女将さんたちのダべリングがあったからな。
華女 そのような日常会話が当時の女の人たちの心を癒し、豊かにしていたんだと思うわ。男の人たちにとっても足軽のような武士にとって井戸端は足を洗い、体を洗い、喉を潤し、日常会話を交わした場所だったんじゃないのかしら。
句郎 今は日常会話が無くなってきている時代だからな。人間にとって、なんでもないような日常会話が無くなると精神を病むようだからな。
華女 あらっ、日常会話とは、そんなに大事なものなの。
句郎 どうもそのようだよ。極悪犯罪人が独房に入れられると日常会話がすべてなくなってしまう。すると月日の観念がなくなり、時間の観念が無くなって来ると心を病み始めることがあるようだよ。
華女 人は人と繋がっていないと人であるという意識が薄れてくるということがあると言うことなのかもしれないわ。
句郎 芭蕉は昔の人との繋がりを求めて山城の跡に残る古井戸を訪ねたのかもしれないな。
華女 昔の人を偲ぶことによって今の自分を知るというか、今を知ろうとしていたのかもしれないわ。
句郎 だから芭蕉の俳句は文学になっているということがいえるのかもしれないな。
華女 文学とは、人間を知るというか、心を知るためのものが文学というものなのね。