醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  677号  朝顔に我は飯食う男かな(芭蕉)  白井一道

2018-03-21 12:55:23 | 日記





句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「朝顔に我は飯食う男哉」。芭蕉39歳の時の句。『虚栗』。「角の蓼蛍の句に和す」との前詞を書く。
華女 この句、何なの。こんなのが芭蕉の句なの。
句郎 名句のようだよ。
華女 全然、分からないわ。前詞の意味も分からないわ。
句郎 実は、僕も分からなかったんだ。だから『芭蕉俳句集』にあるこの句をやり過ごしてしまった。
華女 分かるわ。でも何か、分かり始めたということなのかしらね。
句郎 まず、前詞の意味。「角」とは、弟子の其角のことを言っている。其角の蓼蛍の句に和すと、言う意味かな。蓼蛍の句とは、「草の戸に我は蓼食ふ蛍哉」。『虚栗』に載っている。
華女 「蓼食う蛍」という意味が分からないわ。
句郎 蓼を口に含むと辛く苦いらしい。だから「蓼食う虫も好き好き」という言葉が生まれた。
華女 分かったわ。我は草の戸に住み、粗末なものを食べ、人の心に明かりを灯す蛍のような者ですと言うことでいいのかしら。其角のこの句に和して詠んだ句が芭蕉のこの句なのね。
句郎 問題は「蓼」という言葉に其角が何を意味したのかということなんじゃないのかな。
華女 「蓼」とは、お金にならない俳諧と言うことなのかしらね。
句郎 うん、そうなのかもしれない。俳諧師というのは、芸人の仲間だったんだろうから。身分制社会にあっては、身を落とすということだったのかもしれない。
華女 だから蓼食う虫も好き好きなのね。真っ当な人間だったらしないことをしている。
句郎 そう、蓼食う虫も好き好きと其角さん、居直らなくともいいんじゃないですか、私は、「朝顔に飯食う平凡、普通の庶民です」と詠んだ句がこの句なんじゃないのかな。
華女 気負うことなく、自然体に詠むことが名句になるということなのね。
句郎 そうなのかもしれない。朝顔は万葉の時代から歌に詠まれた花の一つだった。山上憶良は「萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝貌(あさがほ)の花」と「秋の七草」として詠んでいる。また平安時代にあっても「君こずば誰に見せましわが宿の垣根に咲ける朝顔の花」と読み人知らず『拾遺和歌集』とあるからね。この朝顔が江戸時代、町人の花になるんだ。朝顔が町人の家の垣根を飾る花になった。朝顔は育てるのが簡単だった。また成長のスピードが速い。狭い路地に育てることができた。江戸の町人は朝顔に魅力を発見した。朝顔は武家屋敷には似合わない。ごみごみした路地に朝顔は咲く。
華女 身分によって好まれる花があるのね。
句郎 牡丹は町人の家には似合わない。
華女 そうよね。芭蕉には牡丹を詠んだ名句がないという話を聞いたわ。
句郎 そうなのかもしれない。芭蕉は江戸町人の花を愛でた。江戸町人の街中で朝飯が食べられる幸せを感じて生きているんだと詠んだ句が「朝顔に我は飯食う男哉」だった。朝顔は夏の風物詩のように思われているが、秋の花なんだ。古くは憶良が「秋の七草」として詠んでいるようにね。