掌道(しょうどう)日記

掌道鍼灸整骨院の院長が筆まかせに綴ります。

数学嫌いな人のための数学(小室直樹)

2010-01-20 10:36:47 | Weblog
形式論理学とは、以下の三つが極意である。「同一律」AはAである。「矛盾律」AはBである。AはBではない。これら二つの命題が成立することはできない。ともに成立しないこともできない。「排中律」矛盾の中間はない。
形式論理学に依れば、判決(判断の一種である)は、勝つか負けるか(刑事判決まらば、検事が勝つ「有罪」か負ける「無罪」か)のいずれしかない。勝つと同時に負けるということもなければ(矛盾律)、勝つと負けるの中間もなければ、勝つ、負ける以外の判決もない(排中律)のである。
日本人は、何か紛争(もめごと)があると、裁判を起こさないで調停(和解)に持ち込むことを好む。調停の精神は、近代資本主義裁判の論理とは違って、形式論理学ではない。つまり、判決で勝ち負けを決めることは好まれず、黒白を決めぬところに妙味があるとされる。換言すれば、勝ち負けの中間、あるいは勝ちでもなければ負けでもないように措置されるのである。
今、世間を賑わしている事も、どこで折り合い(手打ち?)(落とし所?)をつけるかを模索しているのかなあ~? 

謹賀新年!

2010-01-01 22:56:04 | Weblog
本年も宜しく御願い致します。2010年念頭のブログは、「日本のこころの教育」境野勝悟著よりの抜粋文を紹介させて頂きます。「今日は」の意味も、「さようなら」の意味も、その挨拶だけを独立させて考えてしまうと、その真意がつかめなくなります。(略文)この「今日は」の「今日」という言葉は、現在では、きのう、きょうという意味での「今日」となっていますが、実は、古くは太陽の意味であったのです。(略文)「今日は」という挨拶は、「やあ、、太陽さん」という呼びかけであったのです。「元気ですか」の元気とは、元の気(エネルギー)という意味ですから、太陽の気をさすことになります。つまり、「今日は、元気ですか」とは、あなたは太陽のエネルギーが原因で生きている身体だということをよく知って、太陽さんと一緒にあかるく生きていますか、という確認の挨拶だったのです。それを受けて、「はい、元気です」と答えます。つまり、「はい、太陽さんと一緒にいきていますよ」と応答するわけです。それから、「さようなら(ば)、ご機嫌よう」となります。「機嫌」とは「気分」とか、「気持ち」という意味です。したがって、「さようなら、ごきげんよう」の意味は、「太陽さんと一緒に生活しているならば、ご気分がよろしいでしょう」となります。「今日は、お元気ですか」「はい、おかげ様で元気です」「さようなら、ご機嫌よう」 これが、わたくしたちの挨拶の基本だったのですね。久々の長文でしたが、2010年は、「明るい挨拶!」を心がけて活きます