駅近に住むシニアシングルお気楽生活

63歳で熟年離婚
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家族のこと

2022-09-24 14:28:54 | 家族

昨日の「旧宅売却決定!」はたくさんの方に読んでいただいたようです。ありがとうございます。

私にとって、大きなお金が入ってくることになりますが、私の生活は変わりません。今日はそれについて書こうと思います。

(こちらの画像はお借りしました)

彼岸花がきれいに咲いています。田んぼの端にびっしり咲いている真っ赤な彼岸花は、見とれてしまうほど美しい。

残暑がいつまでも続いたのに、季節を間違えず咲く彼岸花は本当にお利口

 

私は今、長男と一緒に住んでいます。

別居を決めた時、一緒に家を出ました。

かなり大人ですが、自立自活できていません。

発達障害という障害があるから。

学力の方は遅れはなく、大学も卒業しました。

でも、就職はできませんでした。

職業訓練に行ったときはかなりいい調子だったので、期待したのですが、その後アルバイトやパートに行っても主に人間関係で問題を起こし、長続きしないのです。

そのうち私にも暴力をふるうようになり、長い間、引きこもっていました。

それを元夫に知らせたりもしましたが、全くの無視。今、思うと、あちらは愛人との生活があったのでもう息子のことはどうでもよくなったのでしょう。(これも、私の方から離婚調停を申し立てた理由の一つです。)

大学卒業後、ますます社会と離れていくような息子の状態・・・なんとか説得し、心療内科を受診しました。

そこでアドバイスを受け、障害年金を申請することにしました。

ただ、発達障害だけではなかなか年金を受給するのは難しいと言われました。でも、申請はできるはずです。就職していないので厚生年金はないけれど、大学卒業時から、国民年金は私がずっと払ってきました。

申請書等は労務士さんの力が必要ということがネットでは書かれていましたが、かなりの費用がかかるらしい。それは、私には出せないかもしれない・・・とにかく自力でまずは提出してみよう。

そう考え、一生懸命書類を書きました。息子の状態を書く欄には、育児日記を見直しながら細かく、正直に、そして後悔しないように書きました。

数か月後、受給の連絡。

心療内科の先生には「お母さん、頑張りましたね」と言っていただき、一つのハードルを越えたように感じました。

昔は「お前の育て方が悪いから、息子がこうなんだ」とさんざん言われ、私もそうなのだと思い込んでいました。確かに家を出たころの私は、夫婦関係・息子のことなどで、悩み、かなり病んでいたと思います。

心療内科では、息子より私のほうが心配だといわれたこともありました。そして、「お母さん、あなたのせいではないんですよ。よくここまで一人で頑張ってきましたね」と言われた時には、それまで、ずっとずっと緊張したままだった気持ちが初めて緩んだように感じ、号泣してしまいました。

現在、息子は家を出て暮らすための準備をしています。

近い将来私がいなくなった時にどうやって生きていくのか。それが大きな課題です。公的な力も借りていかなければならないと思うのですが、その中で私にできることは、いくらかのお金を残しておくことだと思うのです。

まだまだ道は遠いけれど、これからも悩んだり、くじけたりの繰り返しだろうけど、今は「何とかなるだろう」と思いつつ、息子が生きていける準備をしていこうと思っています。

コメント
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