善を見れば則ち遷(うつ)り、過(あやま)ちあれば則ち改む
――見善則遷、有過則改
『易経』
「則ち」はこの場合、すぐに、ただちに、といったニュアンスが強い。「遷る」は移行すること。だから「善を見たらただちに学びとり、過ちがあればただちに改める」となる。こういう機敏さもまた、君子の条件なのだという。
善を見る機会は、いろいろある。本を読んで古人のすぐれた善行に触れる。周囲の人々の善行に感動する。そんな機会は、けっこう多い。だが、「いいなあ」と思うだけでは、 なんにもならない。自分もそのレベルに近づこうと努力することが肝心なのだという。それがつまりは「遷る」に他ならない。
また、過ちは誰にでもある。過ちを犯したからといって、悲しむ必要はない。肝心なのは、早くそれに気づいて改めること、そして同じ過ちを二度と繰り返さないことだ。孔子も、「過ちては則ち改むるに憚ることなかれ」と語っている。同じ過ちを繰り返していたのでは、進歩もない。
以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より
今日も一日がんばりましょう。
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