愚公、山を移す
愚公移山
『列子』
むかし、愚公という老人がいた。 家の前に太行(たいこう)、王屋(おうおく)という二つの山がそびえ立っていて、出入りに不便で仕方がない。あるとき、愚公は思い立って、山を切り崩しにかかった。息子と孫と三人がかりでモッコをかつぎ、北の海に土を捨てに行くのだが、一往復するのに半年もかかったという。
それを見て近くに住む知叟(ちそう)という利口者が笑ったところ、愚公はこう答えたと言われる。
「わしが死んでも息子がいる。息子には孫ができる。孫がまた子供を作り、子々孫々受けついで絶えることがない。一方、山は今以上高くならない。平らにできないことがあるものか」
この「愚公、山を移す」の寓話が言わんとしているのは、①長期的視野、②ユックリズム、の二つである。愚公のように、長期的な展望の上に立って、あせらず、あわてず、着実な前進を心がけることが、結局は成功の近道なのかもしれない。
以上、「中国古典一日一言」より
あせらず、あわてず、ゆっくりやりましょう
なんてそれは賢人にはあてはまるかもしれませんが、
凡人(私)は焦って、慌てて、バタバタしています。
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