『塚本神社』
御鎮座地
〒532-0026 大阪市淀川区塚本二丁目2番7号
御祭神
建速素盞嗚尊
御由緒
当社はかねて合祀されていた、富島神社から復祀されて60年ぶりに地元塚本に戻って来られた鎮守の神である。
今の神社のある辺りに慶長14年(1610年)近在の人々によって創建されたと伝えられる牛頭天王社の祠があったと伝えられている。
「牛頭天王」と云うのは京都の八坂神社の御祭神で病気や災厄を除く神様であるが、後の神仏習合(神道で云う神も仏教で云う仏も現れ方が違うが同じであるとの意)で建速素盞嗚尊と合体して農村の守り神として信仰されるようになったが、明治の神仏分離令により牛頭天王を名乗ることができなくなり、以後塚本八坂神社と改めることになり、昭和5年社格は村社に列格された。
江戸時代から明治にかけて鳥居を構え、本殿・社殿・絵馬堂等調った立派な神社となった。ところが、明治39年の神社合祀令によって、塚本八坂神社は中津の富島神社に合祀されることになった。
戦後、氏子の方々の神社復興への熱意が実り、昭和39年7月に富島神社から帰神されて塚本神社と改められ新たに町の守り神として、社殿・社務所も新築され、見事に甦った。
翌年には、伏見稲荷の御分霊を頂き塚本稲荷社も建立され、名実ともに町の氏子の信仰と崇拝の場となり、唯一心の拠り所となっている。
感想等
国家の政策による神仏分離・神社合祀といった神道の近代史を、身近に感じることができる神社である。
当社は運よく復祀することができているが、神社合祀令によって全国の約7万社が取り壊された。同令に強く反対した人物に南方熊楠がいる。