神国の民草

脱懈怠(神国の民草・代表)の参拝記録

呉服神社

2012年03月11日 | 〔投稿〕 神国の民草・代表 脱懈怠








『呉服神社』

御鎮座地
〒563-0047 池田市室町7-4

御祭神
呉服大神 仁徳天皇

御由緒
第15代応神天皇の御代に猪名津彦命を支那の呉の国に遣わし、機織裁縫の工匠をお需めになった。その時久礼波、久礼志の二人を案内役として呉の国に赴き、呉王に乞うて呉服、綾織、兄媛、弟媛の四人を伴い渡来することになった。帰路九州の筑紫潟に着いた折、兄媛は宗像明神の御望みでこの地に御留りになり、他の媛は摂津の国武庫の浦にお着きになったので、上って猪名の港(現在の唐船ケ渕)に機殿を建て呉服媛をお迎えに致した。
呉服の神女は昼夜怠ることなく布帛を織り、少しも倦み給う事がなかったという。この時より機織裁縫の技術が我国に伝わり、男女貴賤の服装の差別が定まった。尚四季には上妙の衣服を上は天子に献じ下は万民に施された。
仁徳天皇の76年9月18日呉服の大神は御齢139歳にてお隠れになりその御遺体を今にその跡を残す梅室姫室にお納めになられた。その翌年仁徳帝が勅令を以て御神祠をお建てになられた。
この大神が糸を様々にお染め分けになった所を『染殿井』と称し、その糸を掛け晒しになられた松を『絹掛松』と名付けその跡は今も残っている。
大神の御託宣に「我は衣服の神となり人をして寒暑の憂なく、養蚕機織絹布裁縫の道を守護し且つ船路遥かにこの日本に帰化せし故海上の難おも無からしめん」とある。代々の帝殊に御崇敬篤く、円融天皇の御代には鎮守府将軍源満仲公が社祠を修復、又下って後陽成天皇の御代には豊臣秀頼公が片桐且元を奉行に命じて再建の事があり、文政2年には有栖川宮殿下の御祈願所となった。
因みに、呉服大明神の御名はは御醍醐天皇より賜わった御宸翰より起こり、又これにより我国において絹布の類を全て『呉服』と称することになった。
五穀を作る術を授け万民に飢餓の憂の無い事は天照大神の御神徳であると等しく、機械裁縫の道を教えて寒暑の憂無きはこの大神の御神徳に他ならない。この故を以て服飾の業に従い並びにその産物を商う者はおしなべてその祖神たる呉服大神を崇敬すべき事は論を問わぬ事である。他に、商売繁盛・健康長寿・交通の守護神としてもあらせられる。

感想等
御由緒の通り、当社の主祭神である呉服大神は支那の御出身である。古、日本は技術的に後進国であったため、支那をはじめとする大陸からたくさんの技術を輸入した。御由緒は、『機織裁縫』の技術を支那から輸入したことを現代に伝えている。『衣服』が無ければ暑さ寒さを凌ぐことはできず、呉服大神の御神徳は現代においてもとても大きなものである。
しかし、現代の支那に関して、日本が学ぶべきものは何一つない。『南京大虐殺』なるものは全くのデタラメであり、支那だけでなく日本国内の売国新聞によって捏造されたものであることは明白であり、その捏造の主犯である本多勝一は大嘘つきの売国奴であり、日本人として生きる価値がないほどの大罪犯である。
想像して欲しい。狂った左翼たちが支持する支那主張の『30万人を超える人々』が仮に虐殺されたとすれば、当時現地で取材をしている大勢の欧米人に見つかってしまい、瞬く間に世界に知れ渡り国際的に非難されているはずである。また、これだけ大多数を虐殺すれば、その遺体を片付けるのに少なくとも3年以上は必要であり、どう考えてもそのような歴史及び事実は地球上のどこにも存在しないのである。にも関わらず、我が国の近年の歴代内閣は、村山談話や野談話といった汚らわしい『売国奴の独り言』を今も踏襲し続け、最近でも藤村という左翼官房長官が同じような発言をしている。
そんな売国思想が罷り通る中での河村たかし名古屋市長の発言は称賛すべきである。これこそ、日本国の政治家としてあたりまえの主張であり、特に『保守』を名乗るような政治家は声高に発言すべきである。『南京大虐殺』『慰安婦』について自信を持って堂々と否定がすることができない『保守』政治家は、『保守』政治家ではなく、ただ単なる『政治屋』『営業保守』であって、即刻『保守』と名乗るのを止めるべきであり、国会から去っていただきたい。
これも原因となっているのは自虐史観の固まりである『日本国憲法』なる占領憲法である。この押し付けられた、原文が英語という恥ずべき『日本国憲法』なる占領憲法が存在する限り、日本人は腑抜けのままで、支那の態度に対抗することはできず、なれの果ては支那の属国になり下がってしまいかねない。そうならないために、即刻『癌病巣』である9条第2項と前文をまず破棄し、その他の条文については、経過措置として残しつつ、『日本国憲法』の無効を確認して、世界に誇る素晴らしき大日本帝国憲法の復活をすべきである。
自民党等が主張する『改憲』は忌まわしき『占領憲法』の追認であって、『日本国憲法』は無効であると確認すべきある。どうしても現代にそぐわない部分については、大日本帝国憲法に修正を加えればいいのである。これについては南出喜久治先生や小山常実先生が主張され、私はこの主張に賛同する。真の日本人であれば、南出先生や小山先生の主張に賛同するはずである。
東日本大震災追悼式において、術後少ししか経過されていない御身体で御臨席された天皇陛下は、国民及び被災地に対してとても温かい御言葉を述べられた。
私はその御言葉と皇后陛下の天皇陛下をお気遣いになるお姿に感動し目頭が熱くなり、改めて天皇陛下を戴く『神国の民草』であることに誇りを感じた。読者の方々も同じ想いを持たれているであろう。
古の支那からは、様々なことを学んだが、現代においてそのことに義理を感じる必要は一切なく、断固とした態度で支那に対して臨むべきである。
当社には、これまた支那とも縁があると言われる恵比寿大神様も御鎮座され、お耳が遠いので『叩き板』を叩くという珍しい作法で参拝する。阪急池田駅より程近い当社を参拝することで、『衣服』の有難さを感じたい。

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