神国の民草

脱懈怠(神国の民草・代表)の参拝記録

大隅神社

2011年12月04日 | 〔投稿〕 神国の民草・代表 脱懈怠






『大隅神社』

御鎮座地
〒533-0011 大阪市東淀川区大桐5丁目14

御祭神
天照皇大神 応神天皇 別雷大神 天児屋根命 市杵島姫神 伊邪那美神 素盞烏尊
豊受毘売神 大山咋神 宇賀御魂神 菅原道真公

御由緒 
当社の氏地は、もとの大隅島即ち上中島にあたり、後の西成郡中島・大道の両村の範囲である。応神天皇22年(西暦291年)3月、時の帝難波の地に御幸し賜い、この大隅島に離宮を営んで宮居せられ、これを大隅宮と称した。その後、安閑天皇(西暦525年)9月、勅してここに牛を放牧せられた。後鳥羽天皇御悩の時、この地から黄牛の乳を薬料として献上したので、御平癒の後、乳牛牧の地名を賜った。応神天皇崩御の後、里人帝の御徳を慕い、宮址に神祠を建てて帝を御奉祀したのが起源であるといわれている。爾来当社はこの地の産土神として尊崇せられてきたが、一とせ淀川が氾濫した際、賀茂明神の御神体が漂着して霊光を放った。里人は喜び迎えて、これを産土神祠に合祀したものと思われる。これより社名を賀茂神祠と改め、社殿を二つに分けて一つには別雷大神を御奉祀し、一つには従来の応神天皇の他に、天照皇大神・伊邪那美神・素盞烏尊・豊受毘売神・天児屋根命・大山咋命及び菅原道真公の八柱を合祀し、その名を伊邪那美神社外七座社と称した。

感想等
当社を訪れた際、幹線道路から入り組んだ場所に御鎮座されているため、なかなか鳥居を見つけることができなかった。昔の境内はとても広かったようであるが、市への払下げ等により住宅地に変わってしまい現在は小規模になってしまっている。
当社の周辺は住宅街。実際、当社の鳥居と一般の住宅との距離はほんの僅かしかなく、夕方前という時間も起因してか、たくさんの人々がこの細い道を徒歩・自転車・自動車で鳥居なんぞ見えないかの如く行き交っていた。
歴史あるこういった神社にもっと日本人は参拝に行くべきである。

最新の画像もっと見る