『蒲田神社』
御鎮座地
〒532-0002 大阪市淀川区東三国二丁目18番12号
御祭神
宇賀御魂大神 別雷大神
御由緒
摂津の国の蒲田の里に暮らしていた人々は、この地に二柱の神様を御迎えしてお祭りした。土地開発、鎮護に大きな御神徳を発揮せられる別雷大神、衣食住の道を開き守護下さる宇賀御魂大神である。二柱は里の人々の心の支えとなり、その霊徳を仰ぎ感謝の祈りを捧げながら、日々精進したところ里は豊かになり、代々守り伝えられてきた。
別雷大神は、藤原時代前期の頃に、京都の上賀茂神社の御祭神である別雷大神の御分霊をお乗せして播州へ御渡りになる船が、この地を通りかかった時につむじ風に遭遇され、この蒲田の杜で一時風除けをされたことから、お祭り申し上げることになった。
足利時代には当地は仏生院村と称されたり、当社は字室に存在していたことから室の社と、また御祭神の宇賀御魂大神を稲荷大神とも称えるところから稲荷神社とも並び称せられていた。明治24年12月12日より当時の地名(大阪府西成郡中島村大字蒲田)の字名を冠称して蒲田神社となった。
現在、当社境内の古大木は樹齢1000年余と言われる1株と600余年を経ていると言われる社前の切株、外に数百年を経た2株が現存し、以前は大樹繁茂し昼でも暗い状態であったと伝えれていて、室社と呼ぶに相応しい防風の役目を果たしていたことが分かる。このことは、上記の別雷大神をお乗せ申し上げた御座船がこの地を風除けの適地として選ばれた理由でもある。
感想等
蒲田神社は地下鉄御堂筋線東三国から100mに御鎮座され、都会の喧騒から神域に一歩踏み出せば、上記御由緒の名残が見られるたくさんの木々に囲まれた鎮守の森である。境内には所々に植木が栽培されていたりと、蒲田神社神職による手作り感が垣間見られ、適切な言葉ではないかもしないが「アットホーム」であると私は思う。
しかしながら、周辺住民からの蒲田神社神職への評判は芳しくなく、実際に私が「御由緒書」を頂いた際の蒲田神社神職の態度もその評判通りであった。さらに、「御由緒書」は、ほとんどの神社で無料もしくは約100円というところ、蒲田神社では200円(カラー印刷で綺麗な冊子であるが)ということも低評価に拍車をかけるのだ。これは支払いたくないというわけでは決してなく、他社とほとんど変わらぬクオリティであるのになぜ?という疑念を抱かせるものなのである。
御祭神はとても霊験荒たかな神々であらせられるだけに、大変残念である。失礼を承知であえて申し上げた。