新宿 壹新会

新宿・壹新會のブログです。
神輿会の年間活動を綴っています。
合言葉は、半纏忘れても風呂道具は忘れるな!

三の酉 前夜祭

2008年11月30日 | その他
金曜日の話になりますが、
麻布本村神輿会の方々と三の酉前夜祭に出かけました。

前夜祭でも花園神社は大賑わいでした。

この日もご奉仕をしている方を発見!

遅くまでお疲れ様です。

昨日で酉の市は終了しました。
また一年間繁盛するとですねぇ~

忘年会のお誘い

2008年11月25日 | 連絡事項
会員の皆様、日を追うごとに寒くなってきましたが、
いかがお過ごしでしょうか?

すでに周知のことと思いますが、
麻布本村神輿会様より忘年会のお誘いをいただいております。

日程は以下の通りです。
日にち:12月6日(土)
場所:「湯浅」にて。
時間:18時~
※二次会はカラオケを予定しているそうです。

【湯浅の場所はこちら】

この地図はスクロールします。
自分の見やすいように調節して下さい。

返事は会長までお願いします。

総会と忘年会のお知らせ

2008年11月07日 | 連絡事項
会員の皆様、お疲れ様です。
すでにご周知のことと思いますが、総会と忘年会のお知らせです。

【総会】
11月30日(日)15時15分~17時15分
地域センター11F
15時に会長事務所集合

(議題)
第一号議題 平成20年度会計報告
第二号議題 平成20年度会計監査報告
第三号議題 平成21年度計画案
第四号議題 任期満了による役員改選の件
その他 平成20年度 神輿渡行について反省など

総会なので、欠席する方は委任状が必要になります。
11月15日までに会長へ委任状を提出して下さい。

【忘年会】
12月14日(日)16時30分集合
ホテルニューオータニ新館40F 「トップ・オブ・ザ・タワー」
会費6,000円/人
半纏持参
場所はこちら↓


二次会
昨年と同じ場所で「へろへろ」
20時15分~
会費3,000円/人
場所はこちら↓歌舞伎町1-4-8歌舞伎町らんざんビル2F


ついこの間まで・・・祭りだ!祭りだ!と騒いでいたかと思うと、
もう忘年会だなんて・・・早っ、1年あっという間ですね。
皆様、当日は体調バッチリで臨んで下さいね

出欠の連絡は会長まで。

以上、宜しくお願いいたします。

一の酉

2008年11月06日 | その他
昨日、花園神社で酉の市(一の酉)が行われていました。

とても賑わっていました。


神輿蔵が開いていました。
ライトアップされていて、本社も雷電も輝いていました

祭礼中は色々と慌しいので実感しませんが、
こうしてオフシーズンに客観的に見ると・・・やはりデカイです。
よくこれを担いでいるなぁ~と思ってしまいました

【酉の市の由来】(花園神社パンフレットより抜粋)
古来東京の年中行事、
庶民信仰の代表として有名な十一月のお酉さまは、
もと武蔵国南足立郡花又村(今は足立区花畑町)にある鷲神社に
その起源があるとされている。
同社のご祭神は、その昔日本武尊が関東ご平定のおり、
花又の地に駐留せられ、尊が伊勢ののぼのに御病歿後、
まもなくここに神社をつくりお祀りしたと伝えられる。
この地は奥州街道の要地なので後三年の役(1083年)に、
兄源義家を慕って清原一族平定に向かった新羅三郎義光が、
同社に立寄って、カブト弓矢を奉納し、
戦勝を祈願した故事から、武神として尊崇され、
江戸時代特に日本武尊の御命日と言われる十一月の酉の日に、
江戸在住の武家は綾瀬川を船で上り、
町人は徒歩か馬を利用して列をなして詣でたが、
江戸より遠隔の地の利に恵まれぬため、
やがて千住の赤門寺に「中トリ」が設けられ、
また浅草竜泉寺には「初トリ」が行われて
吉原を背景とするこの浅草の大鳥さま、
大鷲神社と隣接の鷲在山長国寺が繁昌するようになった(1788年)。

「酉の市」
関東だけの行事で西は静岡浜松ぐらいに限られている。
もとは徳川家康の駿河国の行事であったのを、
家康江戸入府とともに伝来したものともいう。
そして前述の起源と結びついて東国武士の信仰から、
のち庶民の別けても商人の守り神に転化されたと思われる。
新宿大鳥神社は花園神社の境内に鎮座され、日本武尊を奉祀し、
古く徳川時代から尾州徳川家において祀ったと伝えられ、
社紋も「鳳凰の丸」である。
当日は開運熊手守、福財布、破魔矢が授与され新宿の発展に伴い、
年々参拝人を増やし今は浅草おトリさまと共に山の手随一の盛況を呈している。

「お鳥さま」
東京の古い年中行事に、十一月の酉の日のお鳥さまの信仰がある。
えぶす・大黒・おかめ・金銀財宝を飾った熊手が賑やかに買い求められてゆくお鳥さまの鳥は取に通ずるとして、
庶民の信仰は理屈抜きで縁起を祝うところから単純に生まれた。
酉の市が十一月であることは、古くは新嘗祭の時期であり、
農民としては新穀収穫の祭りであり、感謝の祭りであったと思われる。
それが都市の発生、商工業の隆盛と相俟って、
商人の信仰がその上においかぶさったことは、
地方における恵比須講祭の発達と軌を一つにする、
開運出世はもとより、財福招来の信仰がここにある。