新宿 壹新会

新宿・壹新會のブログです。
神輿会の年間活動を綴っています。
合言葉は、半纏忘れても風呂道具は忘れるな!

一の酉

2008年11月06日 | その他
昨日、花園神社で酉の市(一の酉)が行われていました。

とても賑わっていました。


神輿蔵が開いていました。
ライトアップされていて、本社も雷電も輝いていました

祭礼中は色々と慌しいので実感しませんが、
こうしてオフシーズンに客観的に見ると・・・やはりデカイです。
よくこれを担いでいるなぁ~と思ってしまいました

【酉の市の由来】(花園神社パンフレットより抜粋)
古来東京の年中行事、
庶民信仰の代表として有名な十一月のお酉さまは、
もと武蔵国南足立郡花又村(今は足立区花畑町)にある鷲神社に
その起源があるとされている。
同社のご祭神は、その昔日本武尊が関東ご平定のおり、
花又の地に駐留せられ、尊が伊勢ののぼのに御病歿後、
まもなくここに神社をつくりお祀りしたと伝えられる。
この地は奥州街道の要地なので後三年の役(1083年)に、
兄源義家を慕って清原一族平定に向かった新羅三郎義光が、
同社に立寄って、カブト弓矢を奉納し、
戦勝を祈願した故事から、武神として尊崇され、
江戸時代特に日本武尊の御命日と言われる十一月の酉の日に、
江戸在住の武家は綾瀬川を船で上り、
町人は徒歩か馬を利用して列をなして詣でたが、
江戸より遠隔の地の利に恵まれぬため、
やがて千住の赤門寺に「中トリ」が設けられ、
また浅草竜泉寺には「初トリ」が行われて
吉原を背景とするこの浅草の大鳥さま、
大鷲神社と隣接の鷲在山長国寺が繁昌するようになった(1788年)。

「酉の市」
関東だけの行事で西は静岡浜松ぐらいに限られている。
もとは徳川家康の駿河国の行事であったのを、
家康江戸入府とともに伝来したものともいう。
そして前述の起源と結びついて東国武士の信仰から、
のち庶民の別けても商人の守り神に転化されたと思われる。
新宿大鳥神社は花園神社の境内に鎮座され、日本武尊を奉祀し、
古く徳川時代から尾州徳川家において祀ったと伝えられ、
社紋も「鳳凰の丸」である。
当日は開運熊手守、福財布、破魔矢が授与され新宿の発展に伴い、
年々参拝人を増やし今は浅草おトリさまと共に山の手随一の盛況を呈している。

「お鳥さま」
東京の古い年中行事に、十一月の酉の日のお鳥さまの信仰がある。
えぶす・大黒・おかめ・金銀財宝を飾った熊手が賑やかに買い求められてゆくお鳥さまの鳥は取に通ずるとして、
庶民の信仰は理屈抜きで縁起を祝うところから単純に生まれた。
酉の市が十一月であることは、古くは新嘗祭の時期であり、
農民としては新穀収穫の祭りであり、感謝の祭りであったと思われる。
それが都市の発生、商工業の隆盛と相俟って、
商人の信仰がその上においかぶさったことは、
地方における恵比須講祭の発達と軌を一つにする、
開運出世はもとより、財福招来の信仰がここにある。