日曜日という曜日のせいか、駅構内は家族連れが多い。
まだ、父さんが生きていれば、僕も家族と一緒に笑顔でどこかへ遊びに行っていただろう。見ていて、羨ましいという感情が噴き出してくる。
そういえば、小学時代の同級生だった直樹君と幸子ちゃんは、今頃どうしているだろうか。僕が施設に入れられて以来、一度も連絡をとっていない。今度、暇を見て、会いに行きたいという衝動に駆られる。
幼き頃から美しかった幸子。今では中学二年生になっているので、あれからどう変わったのか知りたい。
気心の知れた直樹君。彼も、僕の事を心配してれくれているだろうか。いや、あれから何年も経っているのだ。すっかり忘れられてしまったかもしれない……。
よく僕を可愛がってくれた隼人兄ちゃん。確か僕と四つぐらい年が離れていたので、今、大学生なのかな。それとも働いているのかな。まだ、約束のお子さまランチはご馳走になっていないが、僕も頼めない年齢になってしまった。
「……!」
すっかり忘れていた事を思い出す。
そういえば、僕は母さんのバックにあった金を僕の財布に入れて、施設のロッカーにずっとしまいっ放しだった。あれから何も使っていないので、十万円以上の金がある……。
今度貴子と知子に何かご馳走してあげよう。そして直樹君と幸子ちゃんに会いに行こう。
駅のホームは、まだそんなに人がいない。辺りを見渡すと、藤岡が階段を降りてくるのが目に入った。
落ち着け……。
大きく深呼吸をして、自分を落ち着かせる。
冷静に対処しろ。このチャンスを逃したら、あとはない。
「藤岡さ~ん」
出来る限りの笑顔で近づく僕。藤岡は、僕の横に貴子がいないのが分かると、怒ったような表情になる。
「何でおまえ一人なんだよ?」
「いえ、貴子の奴、さっきトイレに行くって言いまして。きっと緊張してるんですよ」
「可愛いとこあるじゃねえか」
「だってまだ中一ですよ。藤岡さんみたいな有名人と一緒にデートなんて、した事ないですから」
「まあ今日で、大人の女になっちまうけどな」
こんな事を言っていられるのも、今だけだ……。
話をしている間、三本の電車が止まり去っていった。電車の乗り換えで大勢の人がホームに集まりだすまで、僕は話を引き伸ばした。
「おい、いくらなんでも遅いんじゃねえの?」
次第にイライラを増す藤岡。
「ちょっと僕、呼びに行ってきますよ。藤岡さんは、電車のほうを見て待ってて下さい。藤岡さんがキョロキョロ辺りを見ていると、あいつ、恥ずかしがってモジモジしだすと思うので……」
「しょうがねえな。早く呼んでこいよ」
「ええ、すぐ呼んできますから。その代わり、ここから動かないで下さいよ?」
「分かってるよ。早く行ってこい」
危なくニヤけそうになり背を向ける。そしてそのままトイレへ向かった。
次に通過するのは特急電車。
この駅には止まらない……。
こっそり振り返ると、藤岡は真面目に電車の通過する側を見たまま、直立不動で立っていた。
予定だと、あと一分ほどで特急はこの駅を通過する。
慎重に足音を立てず、平静を装い藤岡の背後へ近づく。辺りには電車を待つ人で賑わっている。ちょっと後ろを振り向いたぐらいでは、僕に気づかないだろう。
『今度の電車は、当駅を通過します。危ないですので、白線より内側に下がってお待ち下さい』
駅構内のアナウンスが流れる。しかし、誰もそのアナウンスで下がる人間はいない。
「パーッ」
特急電車が、ホームの手前に見えてきた。
今だ……。
僕は力強く、他の人に悟られないように藤岡の背中を押した。
不意に背後から押された藤岡は、ビックリしたような表情を浮かべながら、ホーム下へ転落する。
数秒後、駅構内で電車のブレーキ音と、無数の人間の悲鳴がこだました。
学校の朝礼では校庭で台の上に乗った校長が、藤岡の件で何かを話し、学校全体で黙祷を捧げた。
ざわめく生徒たち。
藤岡グループの人間は、よほどショッキングな出来事だったのか、誰一人、学校に来ていなかった。
駅構内のホーム下への転落。
電車でバラバラに轢かれた遺体。
警察は、事故死と判断。
僕にとって幸いだったのが、藤岡の両親の証言だった。彼は体が弱く、たまに立ちくらみを起こす事があったらしい。駅で電車を待っている間、立ちくらみが起こり、そのままホーム下へ転落という判断がくだされたのである。
誰一人、僕を疑う者などない。
もう理不尽に苛められる事もない。
そして「親なし」と呼ばれる事もないのだ。
これで僕は、二人の人間をこの手で殺した。
母さんは、僕が殺さなければ、僕が死んでいた。
僕が藤岡を殺さなければ、貴子が犯されていた。
誰かしらが犠牲にならないといけないのなら、僕は自分にとって大事なほうを選びたい。
クラスでも、今朝の校長先生の伝えた藤岡転落死の件で、話題が尽きなかった。あれだけやりたい放題の苛めをしながらエバっていた藤岡は、実際みんなから嫌われていた。
藤岡の死で、泣いた人間などいない。
貴子は、彼に狙われていたという事実さえ知らず、これからも変わらずに学園生活を送れる。
もし、努君がこの事を知ったら、どんなに喜ぶだろう。しかし、今となっては、努君がどこにいるのかさえ知らないので、教えようがなかった。
「電車で轢かれちゃうとさ、体中、バラバラになっちゃうんでしょ?」
「らしいね。あの駅のホーム下って、藤岡の血で真っ赤だったらしいんでしょ?」
「いつも誰かしら苛めてたから、その祟りでああなったんだよ」
「電車に轢かれた死体って、全部のパーツが集まらないらしいよ。あちこち細切れになっちゃうから、探すのが大変なんだってさ」
クラスメイトは、好き勝手に藤岡転落死を語っている。人が一人死んだと言うのに、冷たいものだ。いや、僕がこんな事を言える権利などないか……。
盛り上がるクラスの中、一人だけ黒板を真っ直ぐ見ながら黙っている生徒がいた。
ふと、それに気がつくと僕は視線を向ける。
一人だけ黙っている生徒。それは知子だった。
施設にある個人ロッカーに入っている財布をとり、中身を確認してみた。
あの時の金は、全部で十三万三千円。僕は病院に入院してから施設へとバタバタしていたので、すっかりこの金の存在を忘れていたのだ。一万円札十二枚に、五千円札が二枚、千円札が三枚。これだけの大金を目前にすると、月に一度だけもらえる五百円の小遣いが、鼻クソのように見える。
本当は、憎き藤岡もいなくなった事だし、貴子や知子にうまいものでもご馳走したい気分だった。
しかし、今派手にこの金を遣うと怪しまれるだろう。
夕食の時間になって、食堂へ向かう。
貴子と知子は先にテーブルに着き、楽しそうに会話をしていた。僕は、カレーライスの入った皿を受け取ると、隣の席に腰掛ける。
「あ、次郎君。もうじきお小遣いだね」
「あ、ああ、そうだね」
「今、知子ちゃんとさ、次は何にしようかって話し合っていたの」
いつものように明るい貴子。藤岡に狙われていたなんて、夢にも思わないだろう。
逆に知子は、どこか暗く感じた。
「あれ、どうかした、知子?」
「ううん、何でもない……」
知子の表情を見ていると、後ろめたい気持ちになってくる。以前僕は、知子に藤岡を殺したいと喋ってしまった事があった。ひょっとしたら、ここ最近の彼女の様子がおかしいのは、僕のせいかもしれないのだ。
「ごめん、今日、食欲なくなっちゃった。先、部屋に行って休んでいるね……」
好物のはずのカラーライスが半分以上も残っている状態で知子は席を立ち上がり、食堂を出て行ってしまった。
「どうしちゃったのかな、知子ちゃん」
「何か悩みでもあるんだろ」
近い内、彼女と二人きりで話しておいたほうがいい。本能的にそう感じた。
部屋に戻り、色々と考え事をする。母さんを殺した時、僕は何の追及もされなかった。今回の藤岡の件についても同様である。母さんの時と違うのは、知子がひょっとしたら疑っているかもしれないという点だ。
こちらから藤岡の件を話し掛けるのは危険過ぎる。かといって、このまま様子を伺うだけというのも精神的に疲れるだけだ。さり気なさを装い、知子と世間話をする。途中で何故そんな元気がないのと、うまく訪ねればいい。
一番知っておきたいのは、知子が僕を疑っているのかというところである。その部分だけはハッキリさせておきたい。
もし、知子が僕を疑っており、誰かに話をしたらどうするのか……。
僕は、両手を開き、ジッと見つめてみた。この手で二人の命を奪っているのだ。
最悪の場合は、知子をこの手で……。
今日は日曜日。母さんの財布から抜き取った金を使って、貴子と知子にご馳走しようと駅前まで出ていた。
「次郎君、何でそんなにお金を持っているの?」と、貴子は不思議そうに聞いてくる。
「ああ、母さんが亡くなる前にさ、僕に小遣いをくれていたんだよ。ただ、そのあとで母さんが死んじゃったからさ、その金を持っていた事自体、今まで忘れてたんだ」
適当ないい訳をした。できればあの当時の事は、あまり思い出したくないものだ。母さんの死体に、たくさんの蝿がたかり、異臭を放っていたあの部屋……。
「ふ~ん、まあ、せっかくご馳走してくれるって言うんだから、亡くなった次郎君のお母さんには感謝しないとね。知子ちゃんは何を食べたい?」
「う~ん、何だか今日は食欲ないんだよね……」
知子の表情は少し青褪めていた。
「最近、知子、調子悪いの?」
僕から声を掛けてみる。話し掛けていないと、正直不安だった。
「う、うん…。何かこう無気力っていうのかしら……」
「大丈夫だよ、知子ちゃん。おいしいもの食べれば、すぐに良くなっちゃうよ」
いつも貴子は、元気いっぱいである。
「貴子は何を食べたいんだ?」
「う~んとね~…。デパートの中にあるハンバーガーも食べたいし、あ…、ピザもいいなぁ~…。カレーはこの間、食べたばかりだし……」
つい、貴子の大きく膨らんだ胸に目が行ってしまう。これだけの食欲を持つ奴だ。食べた栄養素すべてが、胸に集中でもしているのだろうか。
いや、そんな事よりも、知子の様子が気になって仕方ない。彼女は、僕を疑っているのか?
「知子に合わせて、簡単な軽食にしてもいいよな、貴子」
「どこに行くの?」
「とりあえずデパートの屋上」
ここならちょっとした軽食や飲み物などのセルフサービスの店がある。うまくいけば、知子と二人きりで話す機会が作れるかもしれない。
「え~……」と貴子は残念そうな声を出したが、知子は無反応だった。
「まだ金ならあるんだから、知子がもっと元気いい時に、もっといいところへ連れていってやるよ」
「ほんと?」
「嘘なんかついたってしょうがないだろ。あ、そうだ。貴子は何を食べる? 屋上に行ったらさ。好きなものを食べていいぜ」
「キャッ、じゃあね~…。う~んと、ポテトフライとお好み焼きと、あとはね~……」
「分かった分かった。あとハンバーガーでも何でも好きなもの注文しなよ。知子は?」
「わ、私はジュースぐらいでいいかな……」
「せっかくなんだから食べればいいのに、知子ちゃん」
ここは貴子を先に行かせて、知子と二人で話をしたほうがいいな。
「あ、貴子さ。金を渡しておくから、先に行って適当に食べ物とか頼んでなよ。腹が減ってペコペコなんだろ?」
「えへへ、次郎君たら」
「とりあえず五千円渡しておくから、先に行って好きなの注文してなよ」
「は~い」貴子は元気な声で金を受け取ると、一目散にデパートの入り口へ向かって走り出した。
しばらく貴子の後ろ姿を見ながら、僕たちはお互い黙ったまま歩く。
チラリと知子の横顔を見た感じ、先ほどとさほど変化はない。今なら話をできる。
「なあ、知子」
「ん?」
「最近のおまえ、ちょっと変だぞ? 元気がないというかさ」
「……」
「何か嫌な事でもあったのか?」
「じ、次郎君…。前に藤岡さんが電車に轢かれた時なんだけどさ。あの時、施設にいなかったでしょ? どこに行ってたの……」
「……!」
デパートの入り口へ差し掛かった時、蚊の鳴くような声で知子は言った。
マズい、動揺するな。明るく何かを話せ。僕は自分にそう言い聞かせた。
「ど、どこって急にどうしたんだよ?」
「ううん、別に……」
知子は藤岡の件で、完全に僕を疑っているのだろうか? いや、そんなはずはない。落ち着け。適当に話せばいい。
「確かあの時は、このデパートへ行ってたんじゃないかな。今、学校で流行っているゲームソフトあるだろ? ここのおもちゃ売場なら無料でプレイできるしさ」
精一杯の笑顔で言うと、少しだけ間が空き、知子の目つきが変わった。
「嘘……」
引きつった表情の知子。
「何だよ、一体?」と、怒った口調で言ったものの、内心は心臓がバクバクと音を立てている。
「次郎君の様子があの時、変だったから、私、あとをつけたの……」
一瞬、目の前が真っ暗になったような錯覚を受けた。知子はどこまで知っているのだ?
「あとって何だよ?」
「藤岡さんの亡くなった時間、次郎君も同じ駅に入っていったでしょ?」
ここ数日間の知子のおかしかった様子は、僕自身の行動を疑っていたからなのだ……。
僕が藤岡を押し、ホーム下へ転落させたところまで見たのだろうか? さすがにそこまでは知らないだろう。
デパート一階の化粧品売場を通り過ぎながら、女性独特のポワーンとした匂いが鼻についた。
「何で何も言ってくれないの、次郎君…。教えて? 何でさっきは嘘をついたの? 何であなたがあの時、駅にいたの? 黙ってないで何か言ってちょうだい!」
今までずっと自分の心に秘めていたものに、僕が穴を開けてしまった。秘めたものが少し漏れだすと、知子は一気に捲くし立ててきた。
知子が何を言おうと、僕は黙って聞こうと思う。どの辺まであの日の僕の行動を知っているのかを知りたい。
「次郎君! 何故、黙っているの? 何かやましい事でもあるの? 私、あの日、次郎君が駅に入っていくのをちゃんと見たんだよ」
エレベータ前まで来た。このまま乗ると、あっという間に屋上だ。少し時間を稼がないといけないな。
「階段で行こう……」
「う、うん……」
屋上は七階。ゆっくり上がれば結構な時間がとれる。それまでに何とか知子をうまく説得しとかないとならない。
「次郎君、早く教えて……」
階段の踊り場まで来ると、僕は一端足をとめた。
「まず嘘をついた件だけど、それは謝っておくよ。何故なら、亡くなった藤岡には悪いけど、知子も知っている通り、僕はあいつから散々苛めを受けていた。だから、たまたまあの時、駅にいたという事実をあえて言わなくても良かったんじゃないかなって思っただけ。気分良くないしね。それに何で駅にいたかというとね…。施設に来る前、住んでいた場所の事を思い出してね。正確には当時よく一緒に遊んだ友達なんだけどさ。無性に会いたくなったんだ。今、どうしているのかなって…。でも、あんな事故があったから、行きそびれちゃったけど」
適当な辻褄合わせの割には、うまく言えたかな。
「そう…。ごめんね、変に疑うような事を言っちゃって……」
申し訳なさそうな顔で知子は謝ってくる。もうちょっと話しておくか……。
「いいんだ。あんな大惨事があった時、僕が同じ現場にいたら疑うのも無理ないよ。実際僕は、藤岡の奴を殺したいほど憎んではいたしね。だからってあんな大それた真似、僕にはさすがに無理だよ…。たまたま地元へ行ってみようかなって時に、ああいう風な事が起きるって事は、今日は行くなって事なのかなって思ってね」
「嫌な事を思い出させちゃってごめんね」
「少しは気持ち、楽になったか?」
「うん!」
「じゃあ、良かった。あ、貴子の奴、五千円分すべて食べ物買ってないだろうな?」
軽いジョークを言うと、いつものように知子は目を細めてクスクスと笑ってくれた。これなら問題ないな……。
「次郎君の前に住んでいたところの友達って、どういう感じの人なの?」
「う~ん、どういう感じって言われても、小学校六年の時までしか知らないしなぁ~。直樹君っていう名前で、運動神経抜群で元気一杯の子だったよ。あ、ただ結構臆病なところはあるかな」
昔、ゲームセンターで不良に絡まれた時の事を思い出していた。母さんの財布から金を抜き取り、ゲームに熱中していた僕と直樹君。ゲーム台の上に両替した小銭をたくさん置いていたら、不良に目をつけられトイレへ連れ込まれたんだっけ。
あの時、隼人兄ちゃんが助けに来てくれなかったら、今、僕が持っている大金はすべてあの不良に脅し取られていただろう。
今頃、隼人兄ちゃん、どうしているかな?
「他に仲いい子はいなかったの?」
「あと近所の幸子ちゃんって可愛い子がいたね」
「え、お、女の子?」
いきなり僕の口から出た『幸子』という名前に、知子は敏感に反応した。
「女の子っていっても、家のすぐ傍で化粧品屋をやっている幼馴染でね。異性としてとかそういうんじゃないよ」
「ふ~ん……」
面白くなさそうな知子。ちょっと機嫌をとっておいたほうがいいかな。
「小学以来会ってないけど、今会ったとしても、知子のほうが全然美人だって」
「いやだぁ~、次郎君ったら……」
知子は頬を赤く染めた。何気なく言った台詞が、彼女の乙女心をとらえたのだろうか。
それから屋上に到着するまで、僕たちはひと言も口を開かなかった。
「あ、あれ見て」
そう言うと、知子はクスクス笑った。
屋上の野外に設置されたテーブルの上で、貴子はたくさんの食べ物を並べながら、片手でハンバーガーを頬張っている姿が見えた。
先日知子に嘘の言い訳をした際、思い出した幼馴染みの幸子と直樹君。しばらく会っていないが、今頃どうしているのだろう。直樹君もそうだが、幸子はどれぐらい美しくなったのだろうか。
手持ちの金は、まだたくさんある。
母さんを殺した忌々しい地ではあるが、あの二人には一度会ってみたい。そんな衝動に駆られた。
しかし施設の規律は厳しく、長時間出掛ける事は難しいだろう。
「最近の中学生は、ほんと発育がいいよな。この間、あの子の体育の授業を偶然見てよ。あの揺れ動くおっぱい見ちゃ、やりたくなるだろうがよ」
この手で殺した藤岡が言っていた台詞。僕はまだ、異性とキスさえした事がなかった。身近な異性といえば、貴子と知子になるが、別段女を感じている訳ではない。
そんな僕だが、女に興味がない訳じゃないのだ。セックスや女の裸には興味がある。この環境でなければ、エロ本の一冊や二冊は普通に買っているだろう。
学校の同級生同士で付き合っているのもいる。進んでいる子は、とっくにセックスなど卒業しているのだろう。僕だって、平凡な恋愛を一度ぐらいしてみたい。
「次郎君、この間はご馳走さまね。すごくおいしかったよん」
貴子がニコニコしながら近づいてくる。胸をボヨンボヨンと大きく揺らしながら……。触ったら、とても柔らかそうだ。
馬鹿か、僕は…。貴子の胸を見ながら、一体何を考えているんだ?
どうかしている。きっと、藤岡の台詞から連想し、妙な考え事をしていたせいじゃないか。
「あれ、どうしたの、次郎君?」
「ん、いや、どうもしないよ」
「何か思いつめた顔してたよ」
「もうじきテストじゃん。誰だって思いつめるだろ」
「ゲッ、嫌な事を思い出しちゃったじゃんよー」
天然の貴子。色気よりも食い気が彼女の信条でもある。こいつはずっとこうあってほしいものだ。汚れを知らない貴子を性の対象として見るのはもの凄く悪い事のように思えた。
変な気は起こすなよな……。
似たような境遇の人間が集まる施設で知り合った仲なのだ。これ以上、傷をつけてはいけない。今のままが一番いい形なのだ。
貴子でさえ、女として意識してしまった僕。では、知子は?
長馴染みの幸子の事を話した時、知子の取った態度はあきらかに女独特の対応だった。知子は、俺の事をどう思っているのだろうか?
廊下の奥から知子の姿が見えた。僕に気がつくと、手を振りながら近づいてくる。光の差し込んだ加減からか、知子がいつもより綺麗に見えた。一瞬ドキッとしたぐらいだ。
「もうすぐテストだね。次郎君、ちゃんと勉強やってる?」
「いきなり嫌な事を……」
「クス…、その様子じゃ全然みたいね。今度図書館で一緒に勉強しようか?」
「知子と一緒にか?」
「う、うん…。嫌……?」
頬を赤くしながら、知子はうつむいた。彼女は、僕を男として意識しているようだ。そう思った瞬間、胸の奥が何ともいえない苦しさに襲われた。
「べ、別にいいけどさ。貴子はどうするんだよ? 二人だけでズルいって言うぜ」
「た、貴子ちゃんは、学年が違うじゃない。一緒には勉強できないよ」
「まあ、そうだけど」
「じゃあ、明日一緒に図書館へ行こうよ、ね?」
「あ、ああ……」
ひと通り言いたい事を言って気が済んだのか、知子は駆け足でその場から去っていく。その時、知子のいい匂いが一瞬だけした。
男と女か……。
夜になり、横になってもなかなか寝つけないでいた。黙ったまま薄暗い天井を眺め、知子の顔を思い浮かべる。
明日になれば、知子と二人っきりで図書館へ行く。想像すると、また胸の奥がキュンとした苦しさに襲われる。ただ苦しいだけじゃない。背中が痒くても、手が届かないもどかしさみたいな感覚。いや、それとはちょっと違うな。
僕は、知子を女としていつの間にか意識していた。これが「好き」という感情なんだろうか?
妙にドキドキしている。知子の去り際に嗅いだいい匂い。できればもうちょっと嗅いでみたい。
朝になり、食堂で知子を見掛ける。それだけで胸が苦しくなった。
遠目から見ても、知子は目鼻立ちが整い美人である。学校でもそこそこの人気があるという噂を聞いた事があった。
誰かが、知子と付き合う。知子と一緒に通学路を帰る。想像しただけで、イライラしている自分がいる。
学校が終わり、施設へ戻ると、知子は準備をして待っていた。何だか勉強どころじゃなくなりそうだ。
「次郎君、準備は大丈夫?」
「あ、ああ…。貴子は何してんの?」
「貴子ちゃんは部屋でゲームに熱中してたわ。『図書館に行ってくるね』って言っても、おせんべいを口にくわえたまま、頷いただけ」
「あいつらしいな……」
「じゃ、行こ」
「ああ」
いつもなら貴子も交じった三人での行動だが、僕と知子だけという組み合わせは珍しい。同級生と会ったら恥ずかしいなという思いもあった。
何気ない知子の仕草が気になる。
図書館に到着すると、知子は隣に腰掛けた。昨日気になった知子の匂いが鼻をつく。
「ほら、次郎ちゃん。国語から始めるよ」
「う、うん」
間近で見る知子の横顔。こいつ、こんなにまつ毛が長かったんだ……。
教科書や参考書を見ていても、ずっと上の空だった。
「ここをこうすると、こうなるでしょ? そうすると、あっ!」
消しゴムが落ち、それを拾おうとする知子。柔らかい髪の毛が僕の頬をくすぐる。彼女が体を起こした瞬間、僕は知子をそっと抱きしめていた。
「じ、次郎君……。ど、どうしたの……」
「……」
何も言えなかった。自分でも何故こんな行動をしたのか分からない。
「次郎君……」
僕はいつの間にか知子の唇を奪っていた。抵抗されるかと思ったけど、知子は身動き一つしない。
どのくらい時間が経ったのだろう。僕はゆっくり知子から離れると、「ごめん」とだけつぶやいた。
「ううん……」
うつむいたまま、知子は静かに言う。
「僕、そろそろ帰るよ」
何かとんでもない事をしてしまったような罪悪感が体中を覆い、逃げるようにして僕は図書館をあとにした。
しばらく入口を見つめていたが、知子が出てくる様子はない。そっと唇に手を添える。知子の柔らかい唇の感触が、まだ残っているような気がした。
それから僕と知子の関係がどうなったかというと、何の進展もないまま中学生活を終える。
お互いに異性として意識をしたせいか、自然とそれまでの距離が開いたような感じがする。貴子と三人一緒の時、知子はいつもと変わらなかったが、僕と二人きりになる事はあれ以来なかった。
時々知子の唇の感触を思い出し、トイレでマスターベーションをした。精子を出すまで、何故あの時キスだけで終わりにしちゃったんだろうという後悔を感じた。マスターベーションが終わると、知子をそんな目で見ていた自分に腹が立つ。だからといって自分自身をどう変えていいのか分からず、また数日後には知子を思い浮かべながらマスターベーションをした。
施設の人は義務教育を終えた僕に、母さんと一緒に住んでいたマンションが『時田次郎』名義になっている事を教えてくれた。遠い親戚の人がそういった手続きだけはしてくれていたようだ。実際に顔すら見た事もないけれど。まだ卒業したばかりなので、このまま施設に残っていてもいいらしいが、ここを出てもいいとも説明された。
特に勉強ができた訳じゃない僕は、高校進学を諦め就職をする事に決める。
タイミングよく土木の仕事があり、僕は施設から出る決意をした。何となく知子と顔を合わせるのが気まずく、早く施設を飛び出したいという思いが強かった。
施設を出る際、気に掛かった事がある。それはまた僕が殺人を犯す時が来るんじゃないかという事だ。
母さんと一緒に暮らしていた生まれ育ったマンション。そこで僕は偶然とはいえ、自分の母親を殺してしまった……。
その後、施設に入れられ、同じ境遇のみんなと暮らす事になるが、親がいないというだけで苛めの対象に遭う毎日。
「親なし」と小馬鹿にした藤岡はもういない。僕が殺したから……。
二回住む場所が変わり、その度に誰かを殺している自分がいる。またその忌々しい場所へ、僕は戻ろうとしているのだ。
また何かあるんじゃないか?
そんな妙な不安が頭の中をよぎった。そんな事を考えていると、馬鹿馬鹿しいと思う時もある。しかし現実に僕は、二人の人間の命を奪っているのだ。
知子に対し、何も行動に移せなかったのは、そういった過去の重い事実が心の奥底に沈んでいるからかもしれない。どこかでブレーキが掛かってしまう自分がいた。
こんな人間が、人並みの幸せなど持ってはいけない。そんな思いがどこかにある。
生まれながら僕は呪われているのだ。そう考えないと、精神がおかしくなりそうな時もあった。
施設にある僕の少ない荷物をまとめていると、貴子が部屋にやってきた。
「次郎君。ほんとにここを出て行っちゃうの?」
「ああ、もう決まった事だしね」
「知子ちゃんは、アルバイトをしながら夜学に通うって言ってるし、次郎君もそうすればいいのに……」
いつまでここにいられるか分からないが、知子はここへ残る選択をしたようだ。
「しょうがないって。たくさん稼いだら、貴子にも小遣いぐらい渡してやるからさ」
出来る限り明るい口調で言った。
「いいよ、そんなの……」
「貴子……」
いつも明るいはずの貴子が、目に涙を溜めながら必死に泣くのを堪えている。その姿を見た瞬間、何故かドキッとするものがあった。
「次郎君、もうちょっとここに一緒にいようよ?」
貴子は僕の胸に飛び込み、肩を震わせながら泣き出した。妹的にしか見ていなかった貴子。いつも明るい印象しかない。そんな彼女が泣いている。こんな僕を慕ってくれているのだ。貴子の純粋な言葉は、僕の胸を打った。
そっと優しく抱き締める。知子を抱き締めた時とは、また違う小気味いい感触がした。一体、僕はどうしちゃったんだ?
貴子にまで女を感じている……。
彼女の大きな胸が、体に密着している状態の中、僕は藤岡の台詞を思い出していた。
「最近の中学生は、ほんと発育がいいよな。この間、あの子の体育の授業を偶然見てよ。あの揺れ動くおっぱい見ちゃ、やりたくなるだろうがよ」
前に一度、貴子の揺れ動く胸を見て、股間が熱くなった事がある。今、その大きな胸が目の前にあるのだ。悶々とした感情がこみ上げてくる。
「貴子……。そんなに僕がここを出て行くのが寂しいのかい?」
僕の言葉に貴子は小さく頷いた。貴子のアゴの下に指を入れ、顔を上に向けさせる。真っ直ぐな瞳で僕を見つめる貴子。その表情を見て、か弱い小動物を連想させた。愛しいとさえ思う。
自然と僕は貴子にキスをしていた。貴子は僕の腰に両腕を回してくる。
「……!」
貴子の舌が、僕の口内へ侵入してきた。とろけるような感覚の中、僕は貴子の胸を右手でまさぐりだしていた。
「何してんの、あんたたち!」
知子の悲鳴に近い叫び声で、僕と貴子は我に帰った。部屋の入口には、知子が青褪めた表情で立っている。
「知子ちゃん……」
呆然と知子を見る貴子。
「……」
僕は言葉が出なかった。
「次郎君、あなたは何をしてんのよ! 貴子も!」
知子はヒステリックに叫びながら、僕の体を突き飛ばす。こんな気性が激しい知子は初めて見た。とまどう貴子に平手打ちをして、知子はその場にしゃがみ込んだ。それから肩を震わせながら泣き出した。
僕は、この二人と口付けを交わしている。知子とも、貴子とも……。
知子は、僕が貴子とキスをしたのを見てしまった。
貴子は、僕と知子がキスをしたのを知らない。
何て節操のない男なんだろう。幼い頃見た母さんの姿を思い出していた。
母さんは、知らない男を何人も家に連れ込んでいた。今になって思えば、母さんはきっと寂しかったのだ。僕が三歳の時父さんが亡くなり、ずっと一人で育ててきた。一人でいるという事は非常に寂しいものだ。僕も一人になったから分かる。僕が知子や貴子にしたように、母さんも異性の温もりがほしかったんじゃないだろうか。
あの母さんと同じ血が僕には流れている。だから自然と体が動いてしまったのだろう。
頬を押さえたまま貴子は、泣いている知子を静かに見ていた。こんな状況下に置かれながら、僕は先ほど触った貴子の胸の感触の心地良さを思い出している。
多分、貴子も知子も僕に気があるのだ。だからキスをしても、拒まなかった……。
「ごめん、ごめんね、知子ちゃん」
貴子が知子の肩に手を置き、何度も頭を下げる。
「近寄らないでっ!」
知子は、そんな貴子を突き飛ばし、部屋から出て行ってしまった。僕は尻餅をついた貴子に近づき抱き起こした。貴子は呆然とした表情をしている。
「大丈夫か、貴子」
「知子ちゃん、次郎君の事、大好きだったんだね……」
「え?」
「私はずっと次郎君が好きだった…。今まで誰にも話した事なかったけど……」
胸の奥がむず痒い感覚に襲われ、僕はゆっくり深呼吸をしてみる。
「貴子……」
何て言葉を掛けたらいいのか分からなかった。
「次郎君がここを出て行くのが嫌で溜まらなかった。気がついたら夢中で次郎君の部屋に来てたんだ。だからさっきキスしてくれた時、本当に嬉しかった。知子ちゃんが来るなんて思っていなかったから、このまま時間が止まればいいなあって……」
真剣な表情の貴子。自分のピュアな想いを懸命に語っているのだ。それなのに僕は、貴子の大きな胸ばかり視線が行ってしまう。
もうここに知子は来ないだろう。僕は部屋のドアを閉め、貴子をジッと見ながら近づく。どうかしている。そう思っても、体の芯から湧いてくる性欲には逆らえない。僕の右手が貴子の肩をつかむ。
「じ、次郎君? い、いや……」
唇を再び奪いながら、僕は貴子に襲い掛かった。多少の抵抗はしたが、しばらくすると貴子は僕にしがみついてくる。共に両親のいない環境で育った。一つの空間の中で同じご飯を食べ、共通の時間を過ごしてきた。
僕と貴子は似た者同士なのだ。違う。そんな言葉じゃ言い表せない。言うならば同族だ。
服を脱がすと、貴子の大きな乳房が見える。僕は右の乳首に下を這わせながら、左の胸を手で揉んだ。殺した藤岡が、いやらしい笑みを浮かべてこっちを見ているような気がした。その表情は、「な、次郎。すげーボインだろ」とでも言っているように見える。
パンティの中に恐る恐る手を入れた。
「……!」
指先で感じる貴子の愛液。今まで本でしか見た事がなかったが、今僕はそれを初めて実感している。何とも言えないとろけるような感触。貴子は恥ずかしそうに両手で顔を隠していた。こんなにも女性の中って暖かいものなんだ。指をゆっくり動かすと、貴子の口から「あ」という短い吐息が聞こえる。
股間がギンギンになり、破裂しそうだ。鼻息が荒くなっている。貴子に聞かれたら恥ずかしいと思いながら、僕はズボンを脱ぎ捨て中に挿入した。
ずっと遠い世界のものだと思っていた。学校の友達の話を興奮しながら聞いていたあの頃。いつもセックスってどんな感じなんだろうかと考えていた。
今、僕は貴子とセックスをしているのだ。僕と貴子の性器同士が繋がっている。そう考えただけで、熱いものが全身を駆け巡った。一段と貴子の声が大きくなり、感じているんだと分かる。
あまりの気持ち良さに腰を数回振っただけで、僕は射精してしまった。
「あったかい……」
貴子はそう言って僕に優しく微笑んだ。
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