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怪談 幽ヶ浜 10

2020年07月06日 | 怪談 幽ヶ浜(全29話完結)
 翌日の漁に権二が出て来なかった。
「ちっ、権二のヤツ、飲み過ぎだな」鉄は苦笑する。鉄も頭が痛そうだ。「太吉、お前ぇもふらふらになって帰って行ったけどな、実はお前ぇの帰った後も二人して飲んじまってなぁ……」
「へい……」
 太吉は答えた。……あれからさらに飲むなんて、二人とも本当に底無しだな。太吉は呆れると同時に感心していた。
「ま、漁が終わったら様子を見に行くべぇ。太吉、お前ぇも来いよ」
「へい」
 今日も良く魚が獲れた。漁の後の酒盛りもそこそこに、鉄は太吉を連れて権二の家に向かった。家の外に権二の女房のおとらが悄然としてしゃがみ込んでいる。鉄はおとらが見せるそんな姿に、慌てて駈け寄った。
「おう、おとら! どうしてぇ? 権二に何かあったのか?」
「あ、鉄さん…… それに太吉まで……」おとらは弱々しい声で応じた。いつもの豪快さはそこには無い。「うちの人がちょっと変でさ……」
「変? 昨日はオレん所でしこたま飲んだけどよ、そんなのいつもの事じゃねぇかよ。宿酔いのひでぇヤツなじゃねぇのか?」
「それならあたしにだって分かるさ、いつもの事だからね。そんな時は、漁に行って目ぇ覚まして来いって言って追い出すんだけどさ……」
「今日は違うと?」
「そうなんだよ、なんか薄っ気味悪くってさ……」
「おいおい、手前ぇの亭主とっ捕まえて、薄っ気味悪いはねぇだろう」
「そうは言うけどさ……」
「話していても埒が明かねぇ、ちょっと様子を見させてもらうぜ」
 鉄は引き戸を開けて入って行った。太吉もその後に従う。
 小上りに、おとらの着物ですっぽりと頭を覆って伏せっている権二がいた。鉄は砂まみれの足のまま上がると、権二を見下ろす。
「やい、権二、しっかりしやがれ」鉄は、剥き出しになっている権二の向う脛を、爪先で蹴飛ばす。「どうせ宿酔いだろう? いつまでも寝てんじゃねぇよ!」
 しかし、権二は動かない。太吉は足の砂を払ってから上がる。
「……権二さん。オレだ、太吉だ」やはり権二は動かない。「ちょいと失礼しやすよ」
 太吉はそう言うと、権二が被っているおとらの着物を剥いだ。
「鉄兄ぃ、こりゃあ……」
 権二は眠っているのでは無かった。目は開いている。が、焦点が合っていない。いつもは活気のある表情なのに全くの無表情になっている。……たしかに薄っ気味悪いぜ、太吉は思った。着物を被せたのはおとらなのだろう。見ていたくなかったに違いない。
「おい、権二!」
 鉄が片膝を付き、権二の胸倉をつかんで半身を起こした。鉄と視線が合っているのだが、虚ろだった。鉄を通し越した何か別なものを見ている、そんな感じだった。
「やい、権二、しっかりしやがれ!」
 鉄は権二を激しく前後に揺すった。権二は抵抗する事も無く揺すられている。
「どうなんだい……」おとらが心配そうに声を掛けてきた。「昨日、帰って来た時にゃ、あたしは寝てたからさ、どんな様子だったかってのは分かんないんだよ。漁の時間だからって起こそうとするとさ、こんな感じでさ……」
「そうかい……」鉄は権二を揺するのを止め、寝かしつけた。そしてすっと立ち上がる。「……太吉、オレは長を呼んで来るから、ここに居ろ。こりゃあ何かの病かもしれねぇ……」
「病……」おとらが呟く。「まさか、藤吉さんの罹ったヤツじゃないだろうね?」
「そりゃあ無ぇよ」鉄が強く言う。「藤吉とは全然違う。な? 太吉よう」
「へい……」太吉が答える。「じゃ、何かあったらすぐに知らせやすんで」
「頼んだぜ!」
 そう言い残すと、鉄は駈け出した。
「太吉よう……」おとらが聞いてくる。「昨日、どんな様子だったい? 変な所でもあったかい?」
「へい……」太吉は虚ろな眼差しを偶に瞬きしている権二を見ながら答えた。「いつもの権二さんでしたよ。オレは先に帰ったから、その後の事は分かんねぇけど、鉄兄ぃの話っぷりでも、特に変わった様子はなさそうだった」
「じゃあ、鉄さんのところから家までの間で何かあったのかねぇ……」
「かもしれねぇし、帰って来てからかもしれねぇ……」
「そうかい……」
 権二が「怖ぇ嬶ぁ」と呼んでいるおとらだが、そんな様子は微塵も見られなかった。心底、心配しているんだな、太吉はそう思った。  


つづく

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