その日、結局ジェシルは退院手続きを取らなかった。
ビビ人の男性看護士のビルが夕方の回診のために病室の扉の前に立っていた。いつもは笑顔の爽やかな青年で、ビビ人特有の人懐っこさもある。しかし、今はその顔がこわばっている。ビルは深呼吸をすると、無理やり笑顔を作り、扉のタッチパネルを押した。扉が開いた。
病室に入り、ジェシルを見るなりその表情が曇った。ジェシルは不機嫌な顔のままで天井を見つめていたからだった。
「ジェシルさん…… ご気分がすぐれませんか? それとも何か病院の対応にご不満でも……」
ビルは警戒しながら恐る恐る聞く。ジェシルの事を、見た目はとっても美人で可愛いが、犯人逮捕に一切の情を挟まない鬼捜査官で、怒らせると何をしでかすか分からない危険人物と教えられていたビルは、泣き出しそうな気分だった。くじ引きで担当になってしまったことを恨んでいた。
ジェシルは頭をビルに向け、ぎろりと睨む。ビルは引きつった笑みを無理やり作った。
「あなた、名前は?」
叱るような口調でジェシルが言う。
「ぼ、ぼくはビル……」
ビルはかすれた声で答えた。
「ビルか…… で? 何しに来たの?」
「何って…… 夕方の回診ですが……」
「回診……」ジェシルはつぶやく。それから、険しい顔つきが緩やかになり、ビルがどきりとするほどに可愛い笑顔を作った。「そうだわ。実はね、頭が痛いのよ。良く眠れるような薬ってないかしら?」
「え? ありますよ」
ビルの緊張が少し緩んだ。……本当に、こんな可愛くて美人な娘が鬼捜査官なんだろうか? みんな悪い噂に振り回されているだけなんじゃないか? ビルは思った。ビルはいつもの爽やかな笑顔を浮かべた。
「そう? じゃあ持って来てくれるかしら、ビル?」
ジェシルはウインクして見せる。ビルの心臓が高鳴った。……なんて可愛いんだ! ああ、ジェシルの担当になったのは喜びだ! ビビの神、テンマ・ビビに感謝だ! ビルはジェシルをうっとりとした眼差しで見ていた。
「どうしたの? わたしの言う事が聞こえなかった?」ジェシルが言う。急に機嫌の悪い顔つきになる。手元にあった小説本をビルに投げつける。「ボケってしてないで、早く持ってきなさいよ!」
投げつけられた本を抱えると、ビルは慌てて病室を飛び出した。通路で同僚のキャシーと鉢合わせをした。
「あら、ビル、どうしたの? そんな蒼い顔をして?」キャシーはニケ人女性特有の、頬から左右に三本づつ生えた毛をくるくると動かし、きょとんとした顔をビルに向ける。それから、病室の名札を見て、納得したように頷いて見せた。「ビル、あなた、ジェシル捜査官を怒らせたんじゃない?」
「そうかも知れない……」ビルは泣きそうな顔でキャシーを見た。「なあ、頼むから、交代してくれないか? 良く眠れる薬がほしいそうだ」
「あら、担当はあなたでしょ? 頑張ってよ」
「いやだ! 怒らせちまったんだぞ! 今度行ったら、八つ裂きにされて頭を食われるに決まっている!」
ビルはそう言うと、走り去って行った。床にジェシルが投げつけた本が落ちた。
「やれやれ……」
キャシーはつぶやきながら本を拾った。タイトルは「愛のベラン・エアポート」だった。
「これって、純愛小説じゃない! ビルが読むわけないから…… ジェシル捜査官が読んでたのかしら?」
キャシーは本を片手にナースセンターの薬棚へ行った。
「……宇宙パトロール捜査官、か……」
キャシーはつぶやきながら薬を選ぶ。それから主任立ち合いで、持ち出し票に必要事項を記入する。
「ジェシル捜査官の担当、くじで当たったビルじゃなかった?」主任が記入された項目を見ながら言う。「どうしてあなたが?」
「何でも、ジェシル捜査官の逆鱗に触れたらしいです」
「そうなの…… あなたも気を付けてね」
「はい、わかりました」
キャシーは答えた。……こんな純愛小説を読むんだから、根はやさしいロマンチストに違いないわ。キャシーはジェシルを全く怖れてはいなかった。
キャシーはジェシルの病室の扉を開ける。手に小説本と錠剤の入った容器を持っている。病室に入ると、ジェシルが布団をめくり上げながら何か探し物をしているようだった。
「ジェシル捜査官……」
「あら?」ジェシルは手を止めて振り返る。噂以上に美人で可愛らしい、キャシーは思った。「あなたは? ビルは?」
「わたしはキャシーと言います。ビルは、あなたに怒られた、もう怖くて戻れないって言ってましたので、わたしが替わりました」
「え? 怒ったっけ? まったく記憶にないんだけど」
「これを投げつけたんじゃないですか?」
キャシーは「愛のべラン・エアポート」の本をジェシルに渡した。
「あら、どこへ行ったかと探してたのよ、ありがとう」ジェシルは本を受け取るとうなずいた。「ああ、そう言えば、お願いしたのにボケって突っ立てたから、ちょっと注意したわ」
「注意ですか……」キャシーは、明日の命が無いって顔つきだったビルを思い出した。「……ところで、ジェシル捜査官もそんな純愛物を読むんですね」
「え?」ジェシルは本の表紙を撫でながら笑う。「そうよ、だって、女の子だもん」
二人は笑った。思った通り良い人だ、キャシーは思った。
「それと、ビルが言ってた、良く眠れる薬です」キャシーは容器を手渡した。「飲んで寝れば朝までぐっすり」
「途中で起きたりはしない?」
「そうですね。ただし、一錠だけにしてくださいね。二錠飲むと永遠に起きられなくなっちゃいますから」
「強い薬ね」
「日々激務の捜査官には、これくらいじゃないとぐっすりは無理でしょうからね」
「ありがとう」
ジェシルはにっこりと笑う。……女のわたしでもドキッとしちゃうわ…… 頬を赤く染めて頬の毛を激しく回転させながら、キャシーは病室を出て行った。
「何よ、いきなり出てっちゃって……」ジェシルは不思議そうに首をかしげる。「ま、良いか…… これでゆっくり眠れるわ。そして明日には退院して、ニンジャ野郎をとっ捕まえてやるわ!」
つづく
ビビ人の男性看護士のビルが夕方の回診のために病室の扉の前に立っていた。いつもは笑顔の爽やかな青年で、ビビ人特有の人懐っこさもある。しかし、今はその顔がこわばっている。ビルは深呼吸をすると、無理やり笑顔を作り、扉のタッチパネルを押した。扉が開いた。
病室に入り、ジェシルを見るなりその表情が曇った。ジェシルは不機嫌な顔のままで天井を見つめていたからだった。
「ジェシルさん…… ご気分がすぐれませんか? それとも何か病院の対応にご不満でも……」
ビルは警戒しながら恐る恐る聞く。ジェシルの事を、見た目はとっても美人で可愛いが、犯人逮捕に一切の情を挟まない鬼捜査官で、怒らせると何をしでかすか分からない危険人物と教えられていたビルは、泣き出しそうな気分だった。くじ引きで担当になってしまったことを恨んでいた。
ジェシルは頭をビルに向け、ぎろりと睨む。ビルは引きつった笑みを無理やり作った。
「あなた、名前は?」
叱るような口調でジェシルが言う。
「ぼ、ぼくはビル……」
ビルはかすれた声で答えた。
「ビルか…… で? 何しに来たの?」
「何って…… 夕方の回診ですが……」
「回診……」ジェシルはつぶやく。それから、険しい顔つきが緩やかになり、ビルがどきりとするほどに可愛い笑顔を作った。「そうだわ。実はね、頭が痛いのよ。良く眠れるような薬ってないかしら?」
「え? ありますよ」
ビルの緊張が少し緩んだ。……本当に、こんな可愛くて美人な娘が鬼捜査官なんだろうか? みんな悪い噂に振り回されているだけなんじゃないか? ビルは思った。ビルはいつもの爽やかな笑顔を浮かべた。
「そう? じゃあ持って来てくれるかしら、ビル?」
ジェシルはウインクして見せる。ビルの心臓が高鳴った。……なんて可愛いんだ! ああ、ジェシルの担当になったのは喜びだ! ビビの神、テンマ・ビビに感謝だ! ビルはジェシルをうっとりとした眼差しで見ていた。
「どうしたの? わたしの言う事が聞こえなかった?」ジェシルが言う。急に機嫌の悪い顔つきになる。手元にあった小説本をビルに投げつける。「ボケってしてないで、早く持ってきなさいよ!」
投げつけられた本を抱えると、ビルは慌てて病室を飛び出した。通路で同僚のキャシーと鉢合わせをした。
「あら、ビル、どうしたの? そんな蒼い顔をして?」キャシーはニケ人女性特有の、頬から左右に三本づつ生えた毛をくるくると動かし、きょとんとした顔をビルに向ける。それから、病室の名札を見て、納得したように頷いて見せた。「ビル、あなた、ジェシル捜査官を怒らせたんじゃない?」
「そうかも知れない……」ビルは泣きそうな顔でキャシーを見た。「なあ、頼むから、交代してくれないか? 良く眠れる薬がほしいそうだ」
「あら、担当はあなたでしょ? 頑張ってよ」
「いやだ! 怒らせちまったんだぞ! 今度行ったら、八つ裂きにされて頭を食われるに決まっている!」
ビルはそう言うと、走り去って行った。床にジェシルが投げつけた本が落ちた。
「やれやれ……」
キャシーはつぶやきながら本を拾った。タイトルは「愛のベラン・エアポート」だった。
「これって、純愛小説じゃない! ビルが読むわけないから…… ジェシル捜査官が読んでたのかしら?」
キャシーは本を片手にナースセンターの薬棚へ行った。
「……宇宙パトロール捜査官、か……」
キャシーはつぶやきながら薬を選ぶ。それから主任立ち合いで、持ち出し票に必要事項を記入する。
「ジェシル捜査官の担当、くじで当たったビルじゃなかった?」主任が記入された項目を見ながら言う。「どうしてあなたが?」
「何でも、ジェシル捜査官の逆鱗に触れたらしいです」
「そうなの…… あなたも気を付けてね」
「はい、わかりました」
キャシーは答えた。……こんな純愛小説を読むんだから、根はやさしいロマンチストに違いないわ。キャシーはジェシルを全く怖れてはいなかった。
キャシーはジェシルの病室の扉を開ける。手に小説本と錠剤の入った容器を持っている。病室に入ると、ジェシルが布団をめくり上げながら何か探し物をしているようだった。
「ジェシル捜査官……」
「あら?」ジェシルは手を止めて振り返る。噂以上に美人で可愛らしい、キャシーは思った。「あなたは? ビルは?」
「わたしはキャシーと言います。ビルは、あなたに怒られた、もう怖くて戻れないって言ってましたので、わたしが替わりました」
「え? 怒ったっけ? まったく記憶にないんだけど」
「これを投げつけたんじゃないですか?」
キャシーは「愛のべラン・エアポート」の本をジェシルに渡した。
「あら、どこへ行ったかと探してたのよ、ありがとう」ジェシルは本を受け取るとうなずいた。「ああ、そう言えば、お願いしたのにボケって突っ立てたから、ちょっと注意したわ」
「注意ですか……」キャシーは、明日の命が無いって顔つきだったビルを思い出した。「……ところで、ジェシル捜査官もそんな純愛物を読むんですね」
「え?」ジェシルは本の表紙を撫でながら笑う。「そうよ、だって、女の子だもん」
二人は笑った。思った通り良い人だ、キャシーは思った。
「それと、ビルが言ってた、良く眠れる薬です」キャシーは容器を手渡した。「飲んで寝れば朝までぐっすり」
「途中で起きたりはしない?」
「そうですね。ただし、一錠だけにしてくださいね。二錠飲むと永遠に起きられなくなっちゃいますから」
「強い薬ね」
「日々激務の捜査官には、これくらいじゃないとぐっすりは無理でしょうからね」
「ありがとう」
ジェシルはにっこりと笑う。……女のわたしでもドキッとしちゃうわ…… 頬を赤く染めて頬の毛を激しく回転させながら、キャシーは病室を出て行った。
「何よ、いきなり出てっちゃって……」ジェシルは不思議そうに首をかしげる。「ま、良いか…… これでゆっくり眠れるわ。そして明日には退院して、ニンジャ野郎をとっ捕まえてやるわ!」
つづく
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