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怪談 黒の森 30 FINAL

2020年05月26日 | 怪談 黒の森(全30話完結)
 新吉が去り、小屋は急にしんとなった。
「……おくみさん」お千加がおくみを見て言う。「わたし、実家へ帰ります…… でも、一人じゃ心細くて……」
「でも、ここまで一人で来たんだろ?」
「そうなんですけど…… その時は自棄になっていて、どうなっても構わないって思っていたもんですから……」
「今は違うのかい?」
「はい…… 命を大事にしなきゃって思うんですよ……」
「うむ、それが正しいのう」坊様は枝で囲炉裏の火を掻いていた手を止めて言う。「お千加さんは生きなきゃならないよ。……藤島さんの分もな」
「はい……」
 お千加は頷いた。また瞳が潤み出す。
「……それじゃあ、わたしと一緒に行こうってのかい?」おくみが言う。「いいのかい? まだ知り合って間も無いんだよ?」
「おくみさんが、嫌じゃなかったらですけど……」
「嫌なもんかね。わたしは戻ったって、あの腐れ亭主にぶん殴られるだけだしさ」
「はっはっは!」坊様が笑う。「決まりじゃのう。二人での道中なら、何も心配はいらんのう」
「ありがとうございます」お千加はおくみに頭を下げた。「実家に着いたら、色々とお世話をさせて頂きます」
「いやいや、こっちこそありがたいんだよ」おくみも頭を下げる。「わたし一人じゃ、何にも出来ないからね。渡りに船って感じだよ」
「そう言う事なら、すぐにでも立つと良いだろう」坊様は言いながら袂から小さな袋を取り出すと、二人に向かって差し出した。じゃりんと小銭の音がした。「道中の足しにでもしなさい」
「そんな! 結構ですよ!」お千加が慌てたように言う。「多少は持っていますので…… それに、実家はここからが左程遠くはありませんから!」
「そうですよ、お坊様!」おくみも加勢する。「わたしも亭主の酒代全部持って出て来たんですから!」
「気にしないで持って行きなさい」
 坊様は笑いながら、無理矢理お千加の手に持たせた。そこそこ重い。
「でも、これじゃ、お坊様が……」
「なあに、どこぞの大きな家の軒下で念仏でも唱えりゃ、お布施が思いの外もらえるから、平気じゃよ」
 坊様は戸惑っているお千加を見ながら呵々と笑った。
「では、ありがたく頂戴いたします……」お千加は袋を捧げ持ちながら頭を下げた。「……では、そろそろ……」
「そうだね、行こうかねぇ……」おくみは坊様を見た。囲炉裏の前にどっかと座っている。「お坊様は、これからどうなさるんで? まさか、ここに住みつこうってんじゃないでしょうね?」
「ははは、それも良いかもな」坊様は笑う。しかし、すぐに真顔になる。「……もう少し、藤島さんの供養をしてから出て行くよ。拙僧の事など気にしないで行きなさい」
 おくみは笠と杖を手にした。お千加も支度をする。
「ほう、旅支度をすると、お二人さんは良く似ておるのう……」坊様が感心したように頷く。「いっそ、姉妹の契りでも交わすと良いのではないかね?」
「そりゃ良いですね」お千加が笑う。「じゃあ、おくみさんは姉さんって事で……」
「嬉しいねぇ。わたしは独りっ子だからねぇ」おくみも笑う。「……じゃあ、行くよ、お千加!」
「あいよ、おくみ姉さん!」
 二人は引き戸の手前で坊様に振り返った。
「お坊様、ずいぶんとお達者で……」
「ありがとうございました……」
 坊様は何度も頷いていた。

 二人は小屋を出た。草木を掻き分けて進んで行くと、道に出た。そこで立ち止まると、二人は森へ振り返った。鬱蒼としていた。掘っ立て小屋へ戻れるかどうか分からない程だ。
「……よくこんな所を通ってあの小屋へ辿り着いたもんだ」おくみは言う。「こりゃあ、森の主が呼び寄せたんだね」
「そうでしょうね……」お千加は森を見ながら言う。「この辺りで何故か道に迷い、あの小屋に辿り着きました。藤島様も、新吉さんも、そう言ってました……」
 おくみは、祠の中の骸の眼窩の青い鬼火と生き物のように動いた黒い霧を思い出して、ぶるっと身震いをした。
「姉さん、どうかしました?」
 お千加が心配そうな顔をする。
「いや、何でもないよ」おくみは笑顔で答えた。そうだった、あれはわたしと坊様とにしか見えなかったんだ。「……それにしても、お坊様のお名前、聞くの忘れちまったねぇ……」
「言われてみれば、そうでしたね……」
 二人は改めて森を見た。どこからか坊様の念仏が流れて来ているような気がした。
「……行こうか」
「……はい」
 二人は並んで歩いて行った。

 昼天の陽射しは強く照らし付け、すべてを明るくして行く。


おしまい


作者註:何とか終えることが出来ました。次の坊様話も考えています。気長にお待ち下されませ。

 


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