市民大学院ブログ

京都大学名誉教授池上惇が代表となって、地域の固有価値を発見し、交流する場である市民大学院の活動を発信していきます。

今日の話題「コモン・ストックから人的投資へ(1)」2014年7月27日

2014-07-27 16:12:56 | 文化経済学
「コモン・ストック=才能の差異から学び合う場をつくるには」池上惇

説得力の拡充

 人びとが分業しながら、それぞれの才能を開発し、互いに、才能を評価しあう力量を持つようになる。この力量こそ、それぞれが生産したモノを交換する「呼び水」になる。
 動物は獲物をめぐって殺しあわねば生きられない。
 これに対して、人間は私益を追求する中で、相手を説得し、あなたの才能を生かした生産物を産み出す力量を評価する。そして、その力量を活用して「わたくしの欲しいものをくれ。」そうすれば、私の才能を生かしてモノを産み出し、「君にも望むものをあげよう」と申し出る。これによって、文化的に共生し、各自の文化資本を生かした共生の文化社会を構築できる。
これは、人類が産み出した知恵であり、素晴らしい説得力である。
 ここでは、各自は私益追求を入り口(出発点)としながら、才能(実践の中で形成した智慧)を生かしあい、学び合う。そして、交換が実現すれば、それぞれの生産物が持つ有用性や効用を各人が活用する。
 この入口と出口の中間に各自の才能の束として、「共同(きょうどう)財(ざい)」(共生文化資本)が成立する。
 よくぞ、スミスは、この目に観えない「束」を発見したものだ。凄い眼力である。よく「行間を読め」などというが、スミスは行間を読む力があったのだ。
 では、各自の才能は、生産物の交換という行動によって活かしあうだけにとどまるのか。
 それとも、商品、生産物交換、市場などの次元とは別に、独自に、才能を開発する場を持つことが出来るものなのか。

実践知と学校知の総合化

 もしも、このような「独自の場」があるとすれば、それはなにか。
 『国富論』の第三部、資本の蓄積、第四部、財政を通読してみると、スミスは、二つの局面で、個々人の才能を開発する機会、そのような場づくりについて触れている。
 ひとつは、財政を用いた教育の場づくりであり、もう一つは、資本蓄積過程における設備や土地への投資とならぶ、「人的能力への投資」である。
 前者は「学校知」ともうべき、基礎的教養や、「読み書き算盤」といもいうべきもので、学校制度の中で養われる。
 後者は、生産の現場を踏まえた「実践知」というべきもので、現場の仕事が提起する「必要」に対応して人的能力投資が行われる。そこでは、企業・自営業などの経営資源を人的能力に配分し、設備投資と並ぶ重要な投資活動として位置付けている。
 これらの実践知と学校知が人的能力の向上に貢献すると、設備投資に並ぶ、高い生産性を実現できる。これがスミスが拓いた展望である。
 もしも、この研究結果が間違いでなければ、財政を通じた教育制度への社会の資源御配分と、事業組織における人的能力投資への資源配分は、その社会の基盤となるべき「社会的生産性」を高めるであろう。
 その生産性は、各事業所における個別の生産力の高まりにつながり、さらには、各事業者の人的能力における才能の開発をもたらして、生産物の質を高め、需要に応答する生産システムの構築に貢献するであろう。
 残念なことであるが、このようなスミス人的能力開発論を評価して、継承することのできた経済学者は少数にとどまる。シジウック、マーシャル、などケンブリッジ学派の系譜は、人的能力の開発を重視したが、この伝統はケインズによって遮断された。
 むしろ、異端と呼ばれた、ラスキン、モリス(後に、G.D.H.コールが継承した)、そして、ロンドン大学によって生み出された新潮流、ウエッブ夫妻や、ライオネル・ロビンズ、その継承者であった、ピーコック、ボウモルなど、文化経済学者たちこそ、スミス理論の事実上の継承者であった。
 また、1940年代以降は、アメリカを中心とした教育経済学がスミスの再評価から出発して経済学に大きな影響を残したし、フランスのブルデユーが支配階級による高等教育への投資と、このなかで、教育教養知が独占される過程として、文化資本概念を位置付けている。
 日本では、西欧の流れとは独立して、尊徳や梅岩、方谷らが、実践知を基礎とした塾や個別の教養教育を通じて、「結=ゆい」の文化的伝統を生かした学び合い、育ちあいの思想を産み出している。1990年代から文化経済学の日本における研究者は、才能の開発や相互活用を、文化資本論として展開しはじめ、そのなかで、日本の研究成果を踏まえて、スミスの「コモン・ストック」論を高く表した。福原義春、植木浩、池上惇、植田和弘、中谷武雄らの研究成果である。 
 2014年、7月23日に、大阪国際交流センターで、都市創造性学会の国際会議があり、中谷先生が代表されて、Accumulation and Reproduction of Cultural Capital for Urban Creativity, Paper to be presented at AUC 3rd Conference in Osaka, Japan、Session C : Culture and Creative Millieu, 23rd July 2014 として報告された。
 日本文化経済学における文化資本研究の国際学会への登場である。この学会は、佐々木雅幸先生が、国際的な創造都市ネットワークを構築する活動と並行して、フランス、イタリア、スペイン、アメリカなどの研究者と共に設立された。この学会も、新しい時代の始まりとなるのかもしれない。次回から、中谷先生が報告された共同研究の内容をご紹介する。 Ikegami ©2014

今日の話題「智慧の森をつくりだすには(9)」2014年7月26日

2014-07-26 02:30:57 | 文化経済学
「コモン・ストック(共生文化資本)の自覚と智慧の森」池上惇

目に観えない共同(きょうどう)財(ざい)の発見

 A.スミスの『グラスゴウ大学講義』のなかに、「コモンストック=common stock」という学術用語が出てくる。京大で助手を拝命していたころ、おや、と思った。
 共同(きょうどう)財(ざい)という術語に惹かれたのである。いまでは、この語は、「共生文化資本」と呼ぶことにしている
当時は、原本を横において、高島・水田訳の昭和22年出版、紙の質が極端に悪い、よみずらい本を手掛かりに、第二編、第5節「分業を発生せしめるものは何か」を読んでいた。その時のことである(A.スミス著、高島善哉・水田洋訳『グラスゴー大学講義』日本評論社、1947年、332ページ以下。引用中の訳文は現代かなづかいに転換した)。
 そのころの私は、多くの経済学研究志望者がそうであるように、なぜ、分業や交換が起こるのだろうか、と、一生懸命に考えていた。ほかの動物ではありえないことを、なぜ、人類は実行するのか。その根拠を知りたい。
 分業を経済学の基本原理としたのは、A.スミスが最初だから、なにか、書いていないかな、と思うのは当然である。『国富論』では、人間は交換性向を持っていると書いてあるだけで、さっぱり理解できなかった。
 そこで、グラスゴウ大学講義ならば、法的な枠組みや契約の本質を究めているはずだから、何か、あるだろう。そのはかない期待感である。
 言うまでもないことであるが、現代経済学の常識では、市場で商品を取引する人びとは、私益を追求していて、相互に孤立している。互いに相手のことは、「営業の秘密」というヴェールに包まれて知ることが出来ない、と、されている。交換がなぜおこるのか、などは、一切説明されない。
 そして、互いの協調や協力の関係は独占禁止の原則によって禁止されている、とみなされる。全く、取りつく島がない。そのようなことに疑問を持つなと云わんばかりの断定的態度である。
 では、協調関係や協力関係が存在しないにもかかわらず、互いに、自由に営業し、商品を生産して交換した人々は、結果として、互いの智慧や創意工夫の存在を自覚せずに、その成果を活用して互いの有用性とし、より豊かになる。こういうことが起こる。
 最初は意図しなかったが智慧の森(互いの才能を生かす関係性)が生まれ、その成果を利用できる。
このことが分かれば、人々は、自覚的に智慧の森を産み出し、さらに一層、分業や交換を活用し総合化して豊かになろうとするだろう。
 ただ、共同(きょうどう)財(ざい)(共生文化資本)の存在は、これを自覚して、商品取引の場から、多様な才能を持つ人々の対話や交流の場に移し、研究開発やイノベーションを呼び起こさないことには、より大きな世界を拓くことはできない。
 スミスの時代には、商人、学術人、芸術家などのサロンが港町に生まれてあらたな学芸が誕生する場となった。この動きが学校や大学に波及することこそ、スミスが期待した展開であろう。しかし、その後の大学は、知による支配の中心となり、特権的な知的エリートの選抜機会に留まるところも多い。人類が、共同(きょうどう)財(ざい)を自覚的に活用するには、各自の持つ実践知や才覚がぶんかしほんとして自覚され、文化資本を生かしあった、創造産業地域の研究が不可欠である。
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商品交換の「入口と出口の間に」智慧の森(共生文化資本)がある

 人間、各自は私益を追求して、分業し交換しているのだが、そのなかに、私益を超えた共通の利益や共通の資産・財産(文化資本の共生状態)が生み出される。この不思議なことがおこるのはなぜか。
 スミスによれば、人間以外の「動物は、才能を持っていても、それをいわば共同(きょうどう)財(ざい)としたり生産物を交換したりすることはできない。したがってかれらの才能の差異は、彼らにとって何の役にも立たない。人類においては、全く事情が異なる。すなわち彼らはその幾多の生産物を量または質に応じて交換することが出来る。こうして哲学者と運搬人は、互いに利益を与え合うのである。運搬人は哲学者のために荷物を運ぶことによって有用であり、そのかわり哲学者が蒸気機関を発明することによって、運搬人はより容易に石炭を運ぶことが出来る。」(同上、335-336ページ。)
 動物は獲物をめぐって殺しあわねば生きられないのに対して人間は私益を追求する中で、相手を説得し、「わたくしの欲しいものをくれ。そうすれば君にも望むものをあげよう」と申し出る。私益追求を入り口(出発点)としながら、出口では互いの共生を実現する。
 この入口と出口の中間に「共同(きょうどう)財(ざい)」(共生文化資本)が成立する。
 これを自覚的に活用するには、相当な試行錯誤の期間が必要であった。とくに、日本では、そうである。
 ここでは、互いの才能の差異を生かしあうのだから、才能の差異が智慧の森が共同(きょうどう)財(ざい)(共生文化資本)として成り立っている。
 関係者は誰もが智慧の森をつくろうと意図したわけではないが、最初は、意図しないで、無意識に実践したことが、結果として、貴重な共同(きょうどう)財(ざい)(共生文化資本)を産み出したのである。
 そして、目には見えないが、人々の関係性としての智慧の森。この共同(きょうどう)財(ざい)(共生文化資本)があればこそ、ここでの創意工夫、創造性が高まりあえば、個性的な才能が生む便益も、単なる効用や有用性ではなく、商品の「なりたち「おいたち」を評価の基準とする、「固有価値」への志向が生まれてくる。
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現代の説得本能と固有価値の発見

 スミスは、交換本能の本質は、人間が「説得本能=principle to persuade」を持っているからだという。
 説得本能というのは、スミスによれば、次のようなものである。
「説得しようとして何か議論を持ちかける場合には、つねにその議論が適当な効果を与えることが期待されている。もし、一人の人が月について何かを主張すれば、たとえその主張が真理でなくても、彼は、反駁されることにある不安を感じるであろう。
 そして彼が説得しようと努力してる人が、彼と同じように考えているならば、彼は非常に喜ぶだろう。そこで、我々は、主として説得力を養成すべきであり、実際我々は期せずしてこれを養成している。われわれの全生活はこの説得力の行使に費やされるから、互いに取引する手じかな方法が疑いもなく出来上がるに違いない。」(同上、337ページ)
 人々が互いの才能の差異を生かしあう場を「説得の機会」として開発する力量を持っているからだ。これは、人間が生まれながらに持っている。
 スミスの時代には、このような方法は、商品の品質や価格に関する合意の形成であると考えられていた。
 いま、説得は、職人、商人、愛好家の三者の関係性の中で、商品のなりたち、おいたちを研究し学習しあう過程を伴う。説得から学習や研究への道が拓かれてきて、智慧の森の存在が自覚される。
 マーシャルが提起した「智慧の森」の概念は、スミスとの連続性を取り戻す中で、共同(きょうどう)財(ざい)(共生文化資本)創造の場が、産業地区から創造産業地域へと展開してゆく。銀座、金沢、神奈川、京都、遠野などの研究は、このことを示唆しているようだ。スミスの偉大な貢献は、伝統を今に生かそうとする現代文化経済学の発展にも大きな影響を及ぼしているのである。
 Ikegami ©2014

智恵のクロスロード第5回「市民と経済学」と「国家論」阿部弘

2014-07-20 16:27:52 | 市民大学院全般
「市民と経済学」と「国家論」担当の阿部弘です。
* 「市民と経済学」の今年度の講義要綱は「市民」とは何かをその中身である「人間」とは何かを問題にしていく。「ジンカン」と発音することも、この日本の社会ではあり得るからである。このような考えがでてくる背景には日本の社会には「個人」という規範が存在しないということがある。「市民」は「個人」が基本になって成り立つ、というのがヨーロッパにおける考えである。さらに「市民社会」はこの「市民」が成員であるから、日本のような社会はそうではなくなってしまう。「間人社会日本」の思想が存在する一因である。この社会は「イエ社会」であり、自分の意見を主張して生活体系を築きあげようとするのではなくて、仲間意識や「ムラ」意識で生活しようとす形である。

* 次に「国家論」であるが、この論は何学なのか。私の講義は「経済学」としてのものである。そもそも「経済学」というタームは東洋社会でもヨーロッパ社会でも人間の社会・政治生活と結びついて形成されてきた。経世済民論、エコノミィー・ポリティク(ポリティカル・エコノミー)、ウィルトシャフト・ウィッセンシャフト、など皆同じである。つまり どれも「経済学」である。そうであれば当然「国家学(論)」はこの意味での「経済学」なのである。ヨーロッパではこれまでの「国家学」の整理とその発展を模索しだした。主にドイツであるが。その基調は「経済」との結びつきを「国家学」の骨格にしようとしていることである。

# 私の「クロスロード」No.1 は以上の問題提起とします。よろしくご批判ください。

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市民大学院の講義計画

7月22日(火)17時半 繁昌文化研究学 西端先生
7月23日(水)18時  研究指導
7月24日(木)16時  市民と経済学 阿部先生
       17時半 国家論 阿部先生
7月30日(水)14時  文化経済学 中谷先生(2コマ、17時まで)
7月31日(木)16時  地球環境と住民運動 シャピロ先生
       17時半 都市未来学 シャピロ先生
8月 6日(水)14時  観光経済学 金井先生
       16時  ラスキン学 内藤先生
       17時半 文化政策・文化経営学 池上先生
8月10日(日)観光政策学特別講義「奈良の社会福祉事業における修行僧の足跡を探る現地研修ツアー」近藤先生 in奈良
*参加希望の方はホームページ(http://bunkaseisaku.jp/)のお問い合わせからお申込み下さい。

智恵のクロスロード第4回「ファッション産業におけるイノベーションと模倣的戦略論」中谷武雄

2014-07-11 15:15:19 | 文化経済学
智恵のクロスロード:文化経済学第2回           中谷武雄
ファッション産業におけるイノベーションと模倣的戦略論
1 創造と模倣、または模倣と創造
 市民大学院・文化経済論の今期の講義では、富澤修身『模倣と創造のファッション産業史:大都市におけるイノベーションとクリエイティビティ』(ミネルヴァ書房、2013年)を教科書として採り上げた。書名にある模倣と創造が「本書の大テーマ」(160頁)であるとともに、その順序に興味を引かれた。通常(の経済学)では、創造と(ほんのちょっぴりだけの)模倣という扱いであろう。またメインタイトルの言葉が、サブタイトルではカタカナになり、イノベーションとクリエイティビティと繰り返されて、模倣が削除されている。
 イノベーションにおいて、模倣が創造(性)に先立って強調されるべきこと、少なくとも模倣の重要性を創造とともに強調することが1番で、しかし産業史・イノベーション史研究では、模倣的戦略論を援用・活用しながらも、やはりクリエイティビティ(とその成果たるクリエーション)の肝要性を確認することが、ファッション産業史研究における本書の1つの重要な結論であり、文化経済学でも共有すべきポイントである。
 ファッションは、個人のアイデンティティの発現の場であり手段であるとともに、流行(モード)という社会的現象でもある。ファッションの世界では、個性(独自性・差異性)の発揮と共に社会性(コミュニケーション・コミュニティ)が同時に実現されなければならない。「ファッションのビジネス化では、創造も普及も不可欠なプロセスである。したがって、ファッションがその1要素として流行性(価値観の共有)を有する限り、ファッションは普及過程でコピーを含まざるをえない」(66頁)。
模倣と創造の関係は、ファッション産業では微妙である。ファッション産業(史)は、「模倣」「コピー」「売れ筋追求」であれ、イノベーションにおける創造の問題とともに、模倣にも着目しなければならないことを明らかにする。「ファッションは流行ですから。コピーしないと売れません。しかし、コピーだけでも売れません」。韓国での著者による聞き取り調査での1コマが紹介されている(同上)。この問題については、現代社会論として哲学や社会学、経済学・経営学でも消費社会論や消費者選択論でも言及されてきた。

2 ファッション産業と模倣的戦略論
 本書の貢献は、産業経営論の視点から、そしてファッション産業領域であるがゆえに、模倣問題を模倣戦略論、二番手戦略、追随型発展の特徴として、「後発性の利益を求めるコピー行為」として、倫理性や(著作権)法遵守(コンプライアンス)の領域を超えて、模倣=コピーを経営戦略上の方策として、その意味と意義をも論じるところにある。「競争力である短納期というスピードがコピーと密接に結び付く」点に着目する(同上)。韓国・ソウル・東大門市場における繊維産業集積の発展は、米国製品のリバースエンジニアリングによる日本の高度経済成長の分析にも対応する点がある、と示唆されている。
 模倣=コピー問題を、模倣戦略論として、創造的模倣の意義を積極的に提議する視点から展開する主張は、セオドア・レビット「模倣戦略の優位性:製品開発におけるオプション理論的発想」(森百合子訳、『Diamond ハーバード・ビジネス・レビュー』26-11、2001年11月、特集:T. レビットのマーケティング論。Levitt, Theodore (1966), Innovative Imitation, Harvard Business Review, 44-5, Sept-Oct.)に負う、として参照を求めている(66頁注117:79頁)。
 「いわゆる「新製品」が多くの人の目に留まるのは、それが市場に出回ってかなりの時間が経ってからである。目に留まるのは、それが新鮮であるからではなく、あくどい模倣者の数が多いからである。/消費者が気づく新製品は通常、模倣なのである。すでに時間が経った後の新しさであって、革新的でタイムリーなものでは決してない」(レビット (2001) 100頁)。特定の1社が常に創造的イノベーションに成功してトップランナーであり続けることは困難である。全資産をそれにつぎ込むにはリスクが多すぎる。現実的な経営感覚としては、模倣戦略も採用し、他社の新製品動向を注意深く観察し、ヒット商品が誕生したら、タイムリーに「模倣品」を開発・販売できる体制を構築しておくことである。模倣戦略へのたゆまぬ計画的な資金配分が重要であると強調される。
 レビットは、「早い段階での模倣が容易な産業の典型」として、アパレル産業を例示する(富澤:67頁)。「事業の立ち上げにまつわる問題も少なく、必要な資本もわずかで済み、製品を迅速にコピーできる業界ならば、早い段階での模倣も可能である。アパレル産業などはその典型である」(レビット(2001)103頁)として、計画的な模倣思考が、魅力的なイノベ―ティブ思考と同様に正当化される根拠は、ファッション産業において顕著であり、模倣の重要性の根拠、模倣戦略の正当性がファッション産業では明確であるという。

3 ファッション産業と美的イノベーション
 「イノベーションは革新(新規)と共に普及性をも有している。前者については研究は多いが、後者については少ない。普及は模倣ないし学習過程であるから、イノベーション研究には模倣過程の研究をも含むことになる。そして、革新と模倣が繰り返されてきた領域こそ、ファッションの世界であった。一見すると革新(新奇)性と対極にある模倣性を組み込んだ本書の研究により、著者はイノベーション研究に一定の貢献をなし得たと考える」(269頁:最終文段)。
 本書は以上のような結論で終わる。終章は本書のまとめとして5点に触れる。最後の5節は、「美的イノベーション:大イノベーションと小イノベーション」として、以下の5点に触れる(267頁以下)。ファッションにおける創造と模倣は、美的イノベーションという観点で論じることが必要であり、重要でもある。イノベーション史に模倣の論点を提議するのは、美的イノベーションという視点である。(これは「社会の文化化」にも通じる。)
①模倣と創造は共存している
 繊維ファッションは流行性を有しているので模倣は排除されない。「 (価値ある)創造から模倣へ」と「模倣(学習)から創造へ」の2つの道が並存し、相互に作用する。創造の芽を育て、模倣から創造へ飛躍するには、時代を先取りし、新たなスタイルを提案するデザイナーの大きな意志(構想力)と、着用者の大きな共感が必要である。
②大きな節目・価値観の大転換に対応する
 時代によって美の基準は異なる。具体的なファッションは社会的欲求と密接に結びついていて、この基準を形にするため美的イノベーションが繰り返される。ファッションの世界でも、新しさ・顕示性→モダニティ(現代性)→ダイバーシティ(多様性)→サステナビリティ(持続可能性)、とキーワードは転換してきた。
③創造と都市は結びついている   
 創造は都市内の文化施設、産業連関によって支えられ、衣料商品として受け入れられる大きな需要を必要とする。大きな節目は都市の盛衰と結びついている。パリは顕示性とモダニティ、ニューヨークはモダニティとダイバーシティを体現した。サステナビリティはどの都市と結びつくか、どの都市のどの生活者が先導するか、が今後のファッションを左右するであろう。
④都市間関係(競争と補完)は模倣と創造を軸に展開する
 大きな節目が提議する大きな課題に有効な解答を準備する都市が共感を獲得して主導権を握る。それ以外の都市は追随しつつローカルな対応で主導権を握る。都市間関係は、競争と補完を軸に、大きな節目に導入と模倣が行われる美的イノベーションにおいて、競争が繰り返されて、変化・変動する。
⑤生活者は美的イノベーションで主体でありデザイナーと共に車の両輪の役割を果たす
 デザイナーが提供する形や価値と時代が合わなくなると、生活者がイノベータとして模索を始め、これにデザイナーが気づいて価値観を形にし、共感者に向けて量産して提供する。これからの社会の鍵であるサステナビリティは、賢い生活者と供給サイドとの連携によって実現する。賢い生活者が支払権限を賢く行使することがカギである。これを理解した供給サイドと需要サイドとが協調して新しい社会を構築する。
 生活者のイノベータとしての役割が強調されて本書は閉じられる。ファッションは価値観、人生観、生活スタイルと密接に結び付く。ファッション産業はこの視点を見失ってはならない。この視点が見失われて暴走するのがファストファッションである。
 消費者=生活者をイノベータと捉える視点は、イノベーションにおける模倣の役割を、創造性とともに強調する視点とも相通じる。創造と模倣の相乗作用、学習過程としての模倣、創造的模倣戦略の位置づけなど、ファッション産業は、経済界におけるイノベーション、クリエイティビティ研究に、新たな一石を投じるであろう。

*前回では毎週の情報発信を目指すなどと大言壮語したが、第2回目を準備する中で、隔週発信も容易でないことが実感された。7月上旬に松山で文化経済学会の大会があり、ラスキンの固有価値論に関わる報告のコメントの対応に追われ、2回目は1月近く間があくことになった。不手際を反省するとともに、今後は月2回(隔週発信)を目指したいと考えている。

今日の話題「智慧の森をつくりだすには(8)」2014年7月10日

2014-07-10 23:59:58 | まちづくり
「遠野の魅力を再生・発展させるには」池上惇

 私は、地域の比較研究をしていて、特に強く感じることがある。
 それは、どのような地域統計にも出てくることであるが、総務省統計局の「国勢調査」による「高等教育卒業者比率」である。これは、地域によって著しい格差があり、概ね、これが低いと人口流失が激しい。
 2000年の数値が最近でも表示されているが、全国平均値は、26.8%、遠野市は11.3%で、全国的に見て最低水準に近い(週刊東洋経済臨時増刊『地域経済総覧2012年版』2011年、395-397ページ)。
人口減少率は、2006年から2011年の5年間で見て(住民基本台帳要覧、同上、298-301ページ)、遠野、6.4%減少。全国平均は、0.6%の減少である。これは深刻な数字である。
 高等教育卒業者比率の低水準と、と人口減少率の間に、どのような因果関係があるのかは、もうすこし、研究を深めてみないと、分からない。
 これまでのヒアリングや実態の観察から感じられるのは、高校卒業後の進路を高校生に聞くと、遠野の場合には、「スーパーやコンビニでもよいからキラキラしたものが身の周りにあるほうがよい」という生徒が多いと聞く。
 私どもの目から見ると、高校までの遠野の教育水準は、おそらく、日本一であろうと思う。そのわけは、幼少のころから、遠野物語を身近に聞きながら暮らし、小学生ともなれば、いくつかの物語を暗唱して、人々に語ることができる。さらに、遠野には、多様な手仕事、農工などものづくりの伝統があって、 それを担う職人の技も教育課程で学修することができる。例えば、優れた農業技術や技能、綾織という羊毛を紡いで織物に仕上げる職人技も身に着けている。これは、いわゆる「よみ・かき・そろばん」を基礎にして高い文化的伝統と、産業文化の伝統を身に着けていることを示している。
 このことは、学校教育が知識だけでなく、体験学習を重視ており、この地の人々は、地域社会における多様な職人能力を次世代に伝えることに高い関心を持っていることをも示している。肉と、都市部から農村部への人口移動を担っているには、大学卒の社会人が多いということであった。その理由は、大都市における仕事の空しさと、農山漁村における健康で知的な生活、あるいは手仕事の魅力であるように思える。いわば、農村部における職人仕事に魅力が出てきているのである。
 しかし、いま、農村部で職人仕事を体験しているはずの人々は、自分の子供にさえ、後継者としての誇りや歓びを伝え得る状況にはない。むしろ、厳しい苦労はさせたくない、という気持ちが強い様に思う。その結果、例え、不安定な就業条件であっても、キラキラする都市地域で仕事を求める傾向が強いように思う。農家所得の水準が低下して土木工事の賃料の方が時間単価に換算すると高くでる地域もある。
 そうなると、農村部に居住する次世代の各位に、地元の職人仕事に魅力が出る状況を創りだして、地元にあって職人仕事を継承する人材を増加させ、同時に、都市からのアイターンなどを受け入れる体制づくりが必要になってくる。
この体制づくりには、何が必要なのだろうか。
 ひとつは、創意工夫によって、職人仕事の質を高め、仕事が歓びとなるように研究や学習を重ねることが必要である。このような学習の場をつくること。
そして、もう一つは、各地の職人と交流するシステムを産み出して、仕事の改善と並んで、交流による市場の開発や再生の可能性を広げてゆくことである。
前者は市民大学院のような場、遠野みらいカレッジのような場を必要とする。
後者は、京都と遠野の創造産業地域のあいだの交流を通じて、学び合いの中で、職人産業の市場を相互に開発する構想が必要である。
 このような交流による市場の開発には、各地域の文化的伝統と習慣を今に生かすことによって、一旦は、失われた市場を再生する試みが不可欠だ。
そのためには、
①伝統を今に生かす美しい空間」を町や村の典型的な場を発見して保存し活用すること。
②「そこで暮らすことを通じて、よき伝統や習慣を体得する人々の存在」が実感でき共感が広がるようにすること。
 この二つが目標となる。
 遠野や京都には、このような空間を産み出そうとする意欲が感じられる。今日は遠野について。
 遠野には山口地区と呼ばれる文化庁認定の里山空間がある。遠野物語を柳田国男に伝えた佐々木先生の御生家があり清流が流れ美しく穏やかな民家と森、水田が広がる。故郷村には竈や囲炉裏を生かした森の中の家、馬の居所が家屋の一角を占める、人との共生空間がある。
 遠野の人々にとって、馬は近代的な機械以上の働きをする貴重な財産である。とくに「馬搬」(馬で切り出した木を運ぶ技術・森林の生態系を傷つけずに、機械による運搬システムのたいして経済的に対抗できる)は、遠野で生き残っただけでなくて各地の切り出し樹木の運搬手段として広がりを見せている。農耕に馬を活用し肥料として馬糞をつかい、子供たちに健全な免疫力を育てる環境づくりにも、馬が欠かせない。馬によって運搬した木材や、馬を育てた厩舎の木材を活用して家具などをつくれば、健康な環境づくりにも貢献するとされている。いま、馬搬職人が馬の飼育を担当しながら馬とともに、家族が生活できる「曲りや」とよばれる住居を再生する動きもある。交通手段にも馬車を使いたいという提案もある。遠野市民にとって、「馬と共生する文化」は、伝統を今に生かした空間づくりを通じて、山仕事や農作業を生み出し、住居をつくり、家具をつくり、健康を生み出す環境を作り、環境にやさしい交通手段を生み出す。
 このような展望を持ちながら、遠野らしい暮らし方を再生産しつつ、次世代に継承する独自の活動として、里山ネットワークづくりや、心のネットワークづくりによる「民泊」のひろがりがある。市民や退職された自治体の公務員が遠野文化の保存と活用を目指してはじめられたこの活動は、年間、民泊受入数が3000人規模に達する大きな事業活動に発展した。当初は遠野の農業・牧畜の体験学習をともなう農家や畜産家が民泊を受け入れていたが、現在では、遠野の民話の伝承、民謡や舞踊、郷土芸能をともに楽しむ場、遠野文化と、各地からの来訪者の持つ文化の交流の場、諸外国からの来訪者との交流の場となった。ここでは、遠野の方言を理解し、標準語を理解する民泊受け入れ家族が、多様な言語を持つ人々との交流を通じて、互いに学びあい、育ちあう場が生まれている。来訪者と受け入れ側をつなぐのは、双方の要望や個性に配慮しうる優れたコーディネイターの存在であり、アイターンとして結婚し定住された人材に負うところが多い。
 遠野文化には、他者を排除せず、受容して、ともに、学びあい育ちあう「結い」の心がある。この伝統文化の起源は縄文時代、アイヌの生活習慣の中にあった。「心のネットワーク」の名称には、アイヌ語で遠野の最高峰を表現する言葉が使われていた。遠野の民話には、「結い」を多様な生き様として表現するものが多い。それには、困ったときのお互い様、認知症のもつ超能力、仕事を教えてくれるカッパ、理想郷に迷い込んで新たな文化に触れる幸運な人、馬への愛を貫く人への共感、子供を食べるような飢餓への恐怖と、乏しいものでも分かちあって生きる人々、戦慄するような厳しさの中でたゆまず生き抜く人々など。
 このような高い文化を継承し、このような雰囲気の中で育った高校生がなぜ、遠野を去り、他の地で、就職や進学を果たし、なぜ、遠野に帰ってこないのか。
 なぜ、キラキラしたものに惹かれるのか。これが次の課題である。