「荒廃した地域や都市に眠っている固有価値を発見して文化資本化する道(1)」
池上惇(市民大学院世話人代表)
文化と経済の因果関係をめぐって
昨今、各地の職人や、デザイナー、経営者、企業のCSR部などの各位から、「文化経済学を学びたい」というご要望を承ることが多くなってきた。
わたくしのように、文化経済学を「人生における幸福を、文化と経済の相互関係から解明する学術」であると、考えている人間にとっては、この上なく、ありがたいことである。
この世の中には、「文化と経済は、水と油のように交流できない」という人々が多い。そうではなくて、反対に、「文化があってこその経済である」「経済あっての文化である」と、主張される向きもある。
前者は、文化と経済の間には、因果関係はないという主張である。
後者は、両者の間に、密接な因果関係があるとの主張に他ならない。
文化と経済の間に、因果関係があるのか。
もしも、あるとすれば、どちらが先かは別にして、経済が文化を生み出し、文化が経済を生み出すという関係がなりたつであろう。両者は互いに交流しあい、響きあって、より高い文化、より高い経済を生み出しつづけることになる。
両者の間に、因果関係がないとなれば、経済は、文化と独立した独自の発展の道をたどることになろう。そして、この道は、無限の可能性があるのか、あるいは、閉塞した袋小路のようなところに行き着くのか。この点は、いつまでも、論争が続いている。
わたくしは、長らく、経済学・財政学の研究者であったが、経済の歴史を勉強するなかで、経済的な富を最大化しようとする国家は、富の源泉である{地域と人心}を荒廃させて、税収を減少させ、財政危機に直面して自己否定の状況となり、崩壊してゆくとの事実に直面した。
例えば、日本の古代国家は、貴族に富を集中させる仕組みを生み出して、重課で庶民を苦しめ、納税のための債務を累積させて、農地や土地からの離散を進めた。
このような「物質的富の上層階級への集中・庶民への重税と過重債務・国家の崩壊」というパタ-ンは、以後、平安時代、武家時代、徳川幕藩体制、明治国家、を通じて、規模や様式は変化するが、根本的な特徴は共通していた。ことによると、今も、このパターンを再生しているのかもしれぬ。
このパターンは、洋の東西を問わず、古代エジプト、ギリシャ、ローマ、中世社会、資本主義社会、社会主義社会にも、共通していた。どうやら、われわれ、人類は、経済至上主義ともいうべき、富の集中が権力の集中と並行して進む社会を体験し、同じような崩壊の危機を迎えてきたらしいのである。
これに対して、経済から文化が生まれる社会、文化が経済発展につながる社会などを構想して実践した人々が、「生命生活の再生を基本とする文化社会づくり」に取り組み、大きな成果を上げているのであるが、残念ながら社会の多数派となって、 安定したシステムを構築するに至らず、文化よりも物質的な富を重視する「物質的富の集中派」に支配権を譲ってきた。
文化を優先する社会を構想すると、その社会は、文化的な社会なので、物質的な富は、私有財産として集中せずに、私有財産でありながら、社会の人々が支援しあうための「みんなの活用できる資金・みんなで生かしあう土地」として、民間主導の社会ファンドとなり、交通インフラや、植林事業、寺社再生などの共通基盤づくりと、人々の経済的な自立や、独立小生産者の共生などの傾向を生み出す。
日本では、行基、空海、蓮如、尊徳などの実践は、括目すべき成果を上げたので、これを、現代に継承して、「文化が主導する経済社会」を構築できれば、重税と過重債務の体制から脱却できる可能性がある。
文化経済学は、文化主導の経済が、「文化資本が生み出す‘文化的な財’」というかたちで、永続的に発展するという法則性を、初めて、明らかにした。
ここでは、文化的な伝統と習慣が文化資本を生み出し、文化資本が「文化的な財」の供給を通じて、新たな文化的伝統と習慣をつくりだす。この文化と経済の因果関係は、常に、開かれていて、永続的な発展が可能である。
これを、世界で最初に明らかにしたのは、二宮尊徳であり、ついで、J.ラスキン、W.モリス、長らくの中断ののちに、W.G.ボウモル、D.スロスビーらによって明らかにされてきた。
いま、多くの人々、とくに、文化資本を持ちながら、新たな伝統や習慣を生み出す潜在力を持つ人々が、文化経済学に高い関心をもたれるようになった。時代が、いま、かわりつつあるのかもしれない。
©Jun Ikegami
池上惇(市民大学院世話人代表)
文化と経済の因果関係をめぐって
昨今、各地の職人や、デザイナー、経営者、企業のCSR部などの各位から、「文化経済学を学びたい」というご要望を承ることが多くなってきた。
わたくしのように、文化経済学を「人生における幸福を、文化と経済の相互関係から解明する学術」であると、考えている人間にとっては、この上なく、ありがたいことである。
この世の中には、「文化と経済は、水と油のように交流できない」という人々が多い。そうではなくて、反対に、「文化があってこその経済である」「経済あっての文化である」と、主張される向きもある。
前者は、文化と経済の間には、因果関係はないという主張である。
後者は、両者の間に、密接な因果関係があるとの主張に他ならない。
文化と経済の間に、因果関係があるのか。
もしも、あるとすれば、どちらが先かは別にして、経済が文化を生み出し、文化が経済を生み出すという関係がなりたつであろう。両者は互いに交流しあい、響きあって、より高い文化、より高い経済を生み出しつづけることになる。
両者の間に、因果関係がないとなれば、経済は、文化と独立した独自の発展の道をたどることになろう。そして、この道は、無限の可能性があるのか、あるいは、閉塞した袋小路のようなところに行き着くのか。この点は、いつまでも、論争が続いている。
わたくしは、長らく、経済学・財政学の研究者であったが、経済の歴史を勉強するなかで、経済的な富を最大化しようとする国家は、富の源泉である{地域と人心}を荒廃させて、税収を減少させ、財政危機に直面して自己否定の状況となり、崩壊してゆくとの事実に直面した。
例えば、日本の古代国家は、貴族に富を集中させる仕組みを生み出して、重課で庶民を苦しめ、納税のための債務を累積させて、農地や土地からの離散を進めた。
このような「物質的富の上層階級への集中・庶民への重税と過重債務・国家の崩壊」というパタ-ンは、以後、平安時代、武家時代、徳川幕藩体制、明治国家、を通じて、規模や様式は変化するが、根本的な特徴は共通していた。ことによると、今も、このパターンを再生しているのかもしれぬ。
このパターンは、洋の東西を問わず、古代エジプト、ギリシャ、ローマ、中世社会、資本主義社会、社会主義社会にも、共通していた。どうやら、われわれ、人類は、経済至上主義ともいうべき、富の集中が権力の集中と並行して進む社会を体験し、同じような崩壊の危機を迎えてきたらしいのである。
これに対して、経済から文化が生まれる社会、文化が経済発展につながる社会などを構想して実践した人々が、「生命生活の再生を基本とする文化社会づくり」に取り組み、大きな成果を上げているのであるが、残念ながら社会の多数派となって、 安定したシステムを構築するに至らず、文化よりも物質的な富を重視する「物質的富の集中派」に支配権を譲ってきた。
文化を優先する社会を構想すると、その社会は、文化的な社会なので、物質的な富は、私有財産として集中せずに、私有財産でありながら、社会の人々が支援しあうための「みんなの活用できる資金・みんなで生かしあう土地」として、民間主導の社会ファンドとなり、交通インフラや、植林事業、寺社再生などの共通基盤づくりと、人々の経済的な自立や、独立小生産者の共生などの傾向を生み出す。
日本では、行基、空海、蓮如、尊徳などの実践は、括目すべき成果を上げたので、これを、現代に継承して、「文化が主導する経済社会」を構築できれば、重税と過重債務の体制から脱却できる可能性がある。
文化経済学は、文化主導の経済が、「文化資本が生み出す‘文化的な財’」というかたちで、永続的に発展するという法則性を、初めて、明らかにした。
ここでは、文化的な伝統と習慣が文化資本を生み出し、文化資本が「文化的な財」の供給を通じて、新たな文化的伝統と習慣をつくりだす。この文化と経済の因果関係は、常に、開かれていて、永続的な発展が可能である。
これを、世界で最初に明らかにしたのは、二宮尊徳であり、ついで、J.ラスキン、W.モリス、長らくの中断ののちに、W.G.ボウモル、D.スロスビーらによって明らかにされてきた。
いま、多くの人々、とくに、文化資本を持ちながら、新たな伝統や習慣を生み出す潜在力を持つ人々が、文化経済学に高い関心をもたれるようになった。時代が、いま、かわりつつあるのかもしれない。
©Jun Ikegami