草原の四季

椎名夕声の短歌ブログ

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第1回目は斉藤斎藤

2012-11-04 10:34:56 | 和歌・短歌

第1回目は斉藤斎藤について好意的に書く。
なお、ツイッターは昨年、mixiは先月をもってめでたく(つまり、それは半ば意図的に)休眠に入り、ついにここだけとなったことを冒頭報告しておく。
さて、何かとお騒がせな斉藤斎藤が、今回は執筆者名見え消しという裏技を繰り出してくれた。まずは、天晴れ!
この背景として、例のマスノ君とペンネームについてひと悶着あったことが言われているが、動機などどうでもよい。
今回巷で問題視されているのは、一連の作品のなかに岡井隆の作品が1首まぜてある点だ。法的または倫理的に問題ではないかとの指摘。
しかし、斉藤斎藤はそういうことに詳しい男なのだ。事件性がなくなるよう十分計算してあるに違いない。
一連の作品のなかで、その作品が浮いているという意見もあったが、僕は気にならなかった。
短歌を見て誰の作品かわかるケースのほうが少ないのだ。わかったからって、どうってことない作品も歌壇に多い。
浮いているかどうかという視点で見ると、つぎの作品のほうがよっぽど浮いている。

原子力利用して結核菌撲滅出来ぬのか胸痛む日はひたすら思ふ

他の作品が知で書いているのに対し、これだけ情で書いている。おまけに、これだけ旧かな使いだ。
浮いてはいるが、斉藤らしいテイストはある。
まあ、作品の出来はどれもそれなりだ。
あっと驚くということが重要なのだ。歌人として、そういうことをやるのは意外に疲れるはずだ。歌人としてという意味は、真善美の具現者としてという意味だ。
斉藤は、人に迷惑をかけない。眉をしかめさせる程度のものだ。だから、どんどん頑張ってもらってよい。
理科の授業で習っただろうが、作用には反作用、やがて世の中が明るくなる。

驚くつながりで、次のは僕の作品

いつの日か遺跡を掘ると味噌汁の鍋とわたしの骨が出てくる(椎名夕声。短歌人2012年11月号)

間違っても「エジプトの王様じゃあるまいに」という誤読はしないでくれ。遺跡というとエジプト・奈良しか思えないのは、学校教育の失敗だ。全国共通じゃないと入学試験に出せないから、ローカルな遺跡は教えない。去年の大震災で身にしみただろうが、自分の生活圏にある遺跡こそが生き残りのヒントを与えてくれる。遺跡なんてひとつの市町村に20も30もある。僕の家があるところも「○○遺跡」(個人情報なので教えない。漢字2字だ)という名前がついている。お住まいの市役所の社会教育または生涯学習の部署に聞けば、ちゃんと本になっているはずだ。
味噌汁の鍋は、竹の根が密生しているところに、根絶やしにするために埋めた。骨に関しては個人情報になるので教えない。ちょっとリアルで恐いと感じていただければ、作者としては満足。第一「自分の墓が遺跡となる」なんて、どこにも書いてないじゃありませんか。

 

(参考)

 斉藤の今回の試みが、何かを成したということは全くないが、驚きをもって受け止められたことは、意義があったと言えよう。

http://tetsurohamamatsu.blog.fc2.com/blog-entry-236.html

 

(5周年に際して)

ツイッターは現在は再開している。

いつから再開したかは、メディアを使用した日時として検索したら、2015年9月22日で、おおむね記憶と一致する。

また、ツイッターは長文が掲載できないので、mixi日記も便利に使っている。(mixiは無料でIDを作成すれば、誰でも閲覧できる)

mixiを再開したのは、2013年5月頃でツイッターよりかなり早かったが、当時憂さ晴らしに競馬を初めてやるようになったので、その内容になった。

(2018年2月5日記す)

ツイッターとmixiとを、再び休眠。

(後日記す)

このブログのタイトルのうち「四季」は年4回更新を基準と考えていることを暗示している。

コメント
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