草原の四季

椎名夕声の短歌ブログ

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アウトサイダーの歌

2015-03-03 06:44:37 | 和歌・短歌

紀伊國屋書店にジュネは寺山は万引きされて文学は蜜(詞書:大島渚監督「新宿泥棒日記」1969年 ATG配給)

この歌は、藤原龍一郎の「ジャダ(jada)」という歌集(2009年短歌研究社刊)に収録されている。
この歌を雑誌発表時に読んで、作者はなんというロマンチストだろうと思った。歌集の登場人物は多くアウトサイダーだ。

喩のごときこの中山の夕暮れに寺山修司ついに還らず(同上)
ルーレット必勝法を記したる黒き手帳の夢の嬉しさ(同上)
魔都として存在したる上海に浪漫渡世として死にたきに(同上)

これらの歌を作ったのは21世紀となった頃なので、多くは過去の、しかし読者にとって同時代の周知の出来事を素材としており、時事詠の一種ともいえよう。
僕はいつも思っているのだが、時事詠は作歌から何年かたったときに真価が測られる。作歌時点では、その出来事が巷の話題になっていることがあり、その場合巷の気分や常識を基準として読まれがちだからだ。作歌から何年かたったときに、はじめて普遍性を基準として、歌の価値が測られることになるのだ。歌人には巷の気分や常識は眼中にない。
なお、アウトサイダーというだけで興味をそそられるのは、僕だけではないだろう。

空想とギャグで語った僕ちゃんの悪事を信じたぼっちゃんがいた(椎名夕声。短歌人2015年2月号)

うけを外し、思いっきり引かれてしまい、のみならず先生またはケーサツに言おうかぐらいの反応に直面し、悪事をしなかったことを立証するのは極めて困難と気づき、幼くして人生の不条理を悟った次第です。普段悪戯ばかりしているツケが回ったのだ。

寅さんの「男はつらいよ」は、堅気ならざるアウトサイダーな主人公の物語として大人気だったが、シリーズ映画6作目ともなれば、単に「長男と違ってガキの頃からデキの悪いお兄ちゃん」では国民が納得しなくなっていたはずだ。そこでチョイ役の森繁久弥に「あの男は体が悪いんだ。かわいそうに」と一言言わせている。前後の脈絡なく、ぽつりと一言。さすがに山田洋次だ。
視聴者で気が付かない人も多いだろう。それでいいのだ。ことさらに大声で語るべきではない。それに、他人のことを軽々に断定することも慎むべきだ。映画は脚本を中心に、しかし監督の采配が重要なジャンルであり、「地の文」が存在しないという意味では小説よりも短歌に近い。

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