AAAA快適生活研究所

いろんなことに上手になったり、不便を軽減したりすることをお手伝いする「処」

オリンピック報道

2021-07-31 15:54:08 | 日記

「オリンピック開催を反対してきたメディアが、オリンピックを開催した途端にオリンピック競技内容を報道している、けしからん。」という論調を時々見かける。

両者(オリンピック開催反対報道とオリンピック競技報道)は別次元の話であり、矛盾はしていない。

オリンピック開催の是非は、社会的、経済的判断であり、コロナ禍の下では社会的に許容できないというのが、オリンピック開催反対のメディアや個人の理由である。競技者一人一人に何か問題があるから反対ということではない(中にはそういう反対者のいるかもしれないが主流ではない)。

オリンピック競技報道は、競技者の見せ場を報道しているものであり、ある意味競技者個人(団体)に対する応援のようなものである。特に無観客で行われている今回のオリンピックは、自分の晴れ舞台を見てもらっているということを競技者に知らせ、モチベーションを上げるという意味でも重要であると思う。

また、人々の知る権利を満たすためには重要であろう。特に日本人はオリンピックを開催するための費用を負担している税金の納税者であるから、どのように税金が使われているかを知る権利もある。

ということで、「今まで散々反対していたメディアが競技が始まったとたん手のひらを反すように競技を中継している。」という論は的外れである。

とはいいつつ、私は熱心なスポーツ支援者ではないため、オリンピックの競技報道は殆ど見ていない。開会式も、妻が見ていたものを横目で眺めていたくらいで、ほとんど見てはいない。私が開会式の録画を見ないと言ったので、妻は今日、録画を消したようである。

 

 

 


下界にもどった

2021-07-31 15:41:59 | 日記

昨日、山から下界に戻った。食料品が切れたからである。

コロナがなければ、地元のスーパーに買い足しに行くのであるが、このご時世である。下界に帰還することにした。

山では、家の中で25~26度くらい。朝方は21度なんて日もあった。勿論クーラーなんてないし、必要もない。

体を動かせば暑いが、本を読んだりPCを操作している分には暑さは感じない。

下界はとにかく暑い。手元の寒暖計で、今32度。うだっている。

山がいい。

 


山の生活

2021-07-28 09:53:18 | 日記

先週の土曜日から山に来ている。土曜日は下界は32度であったが、山は26度。今朝方は屋内で21度で肌寒いくらいであった。

ここは標高750メートル。100メートルほど行ったところに人がいるが、それほど親しくないのでめったに会うことはない。今回も1度も会ってはいない。親しくしていた方が同じように100メートルほどのところにいたが、この方はここ数年いらっしゃらなくなった。

ここの最寄りのスーパーまで車で片道30分はかかるため、ここには普段よく利用するスーパーで食料品などを買い物してから来る。それ以降はまず人に会うことはない。コロナとは無縁の世界であり、世の喧騒から逃れるにはこれ以上の地はない。

今は緑と雑草の季節であり、快適な環境である。ただし、エンジン刈り払い機を使って草刈りをするが、これが老体には大変である。

特に植えたわけではないが、近くに甘茶の木(?)がある。いつの間にか生えて大きくなった。

別の角度からとったもの。

花を接写するとこんな感じ。

別の花の接写。

近くに大きな毛虫もいた。体長5㎝くらいはある。これが蛾になるか蝶になるのかはわからない。蝶になって欲しいと思うが、多分蛾になる。

この土地に合う植物と合わない植物があり、甘茶とグミは大きく育っている。グミの実は1度だけジャムにしたことがあるが、毎年大半、虫や鳥に食べられてしまう。水仙もよく育っている。近くに大きな山桜の木があり、毎年花をつけて楽しませてくれる。

よく育つ植物がある半面、ダメな植物もある。アジサイ(甘茶はこの仲間らしいが)は育ってはいるが花が咲いたのを見たのは1度だけである。どこにでもよく咲いているコスモスは全く育たなかった。チューリップはモグラにやられて全滅した。

ここは浮世離れしているため、読書が捗ると思いきや、草刈りやいろんなところの補修で結構時間がかかり、思ったほど読書は進まない。大量に本を持って来て、読まずに持ち帰る。学生時代と変わらない我が習性である。

などと言いながら、もう少しここにいる予定である。

 

 


オリンピック中興

2021-07-20 20:07:35 | 日記

近代オリンピックの創始者であるピエール・ド・クーベルタン男爵は次のようなことを言っているという。

(1) 自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそがアスリートの義務であり、最も大切なことである。

(2) オリンピックで最も重要なことは、勝つことではなく参加することである。同様に、人生において最も重要なことは、勝つことではなく奮励努力することである。肝要なのは、勝利者になったということではなく健気に戦ったということである。

(3) スポーツを通じて世界は一つになる

(4) オリンピックは、単なる世界選手権大会ではない。それは平和と青春の花園である

(5) スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する

近代オリンピックはこれらのクーベルタンの考えを反映したものであり、それは今のIOCのオリンピック憲章の中にも表現されていると思う(全文を読んでいないから「思う」とした)。

オリンピックを国際的な祭典として発展させてきたIOCの努力には敬意を払うが、その中でクーベルタンの精神が見失われてしまったのではないか。

国際的な祭典を動かすためにはお金や組織が必要である。しかし、それは必要最小限であるべきだろう。

オリンピックが国威発揚のために利用されるようになり、まず上の(2)が失われ、大規模化するにつれて(4)、(5)が見失われてきたのではないか。

今回の東京オリンピックは不幸が重なり、今までとは違うオリンピックになることは間違いない。

巨大化し過ぎ、商業化し過ぎた現在のオリンピックをもう一度クーベルタンの理念に戻って見つめなおすチャンスではないか。

組織は1度作るとその組織の論理で動きだす。誰か(何か)が止めないと暴走することもある。

今回のオリンピックが止めるチャンスではないかと思う。オリンピックを止めろというのではなく、一度立ちどまって、わが身を振り返るという意味である。


忖度の日本

2021-07-20 06:49:02 | 日記

毎日新聞の電子地域版(茨城)に

「持ち込み飲料はコカ・コーラ社」 学校観戦で通知、苦情殺到

(https://mainichi.jp/articles/20210719/k00/00m/040/258000c)

という記事があった。コカ・コーラ社は東京オリンピック最上位スポンサーの「ワールドワイドオリンピックパートナー」であるということを受けて、組織委員会が地元の小中学生限定でサッカーを観戦する鹿島市の市教育委員会に「コカ・コーラ社製以外のペットボトルは持ち込み禁止で、それ以外はラベルをはがして」という依頼し、教育委員会が市立学校の教職員に「(持ち込む)飲料はペットボトルの場合、コカ・コーラ社製の飲料でお願いします」という文書を配付したことで騒動が起こったようである。

あきれてものが言えない(ブログは書くが)。飲料会社が大会のスポンサーであるということと、参観者が会場にどんな飲料を持ち込むかとは全く独立の話である。仮に、参観する子供たちがスポンサーから招待されていたとしてもである。大げさに言えば、これは最近コロナ禍で話題になっている、「私権の制約」である。教育に携わる者がこんなことをやってはいけない。そんなこともわからないようでは、教育者なんかやめっちまえ!!である。立派に(きちんと)教育に携わってくれている教員は多いと思うが、年を取るとどんどん劣化するようである。

不祥事の多いオリパラ組織委員会であるが、ちゃんと考えているのか(今までの事件を見ていると、考えていないんだろうな)。組織委員会はスポンサーの営業に堕したのか。もし報酬をもらっているのであれば、返納して欲しいほどである。企業がスポンサーになってお金を出すのは、「オリンピック」という名前が広報上意味があるからである。それをどう使うかは各企業に任せられるべきで、組織委員会の仕事では(まったく)ない。

組織委員会さん、ちゃんと仕事してね。