アルバイトの中休み…
ひめがみさまにあいに行かなくてはならなくて…
ガソリンスタンドにまず行こうとしたら…
バッテリーが上がっていて…
JAFを呼んでもいいが…
忙しい時期だろうし…
自分でやることにした…
研究所のソーラーパネルで発電したカーバッテリーと交換し…
エンジンを始動後にまた元のバッテリーに戻しアイドリング蓄電…
ガソリンスタンドで給油後…
またエンジンがかからなくて…
バッテリーが上がり…
念のため持ってきたバッテリーと交換し…
結局…
ソーラーパネルで発電したカーバッテリーで走ることにした…
作品に助けられた…
ひめがみさまにあいに行こうとカーナビで検索した場所をルート案内したが…
辿り着けず…
一度戻り…
HONDAの古河バッテリーをソーラーにつないで作品でみると…
少しバッテリーは元気がない…
また…
ひめがみさまの位置を検索したら間違いに気づいた…
通り過ぎていた…
また…
出発し辿り着きました…
NHKスペシャル メルトダウンFile.5 知られざる大量放出 12月21日
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昨日あるテレビでやっていました…
見るだけでは理解できないので…
打ち出して…
それでも結局よくわかりませんが…
メディアは正しいことを伝えられない…
人間は一人では生きてはいない…
嘘や間違いや一部の利益を守ることが優先された真実かもしれませんが…
大切なことが凝縮された緊張感が込められていることを理解しようと…
その背後のことを思い合うことが進むためには大切で…
恨むことは辞めたんだ…
2011年3月13日…
東北沖に展開していた亜米利加の空母が放射線量の上昇を捉えていました…
東京電力福島第一原子力発電所の事故…
空母は事故で放出された放射性物質のデータをその後も記録をし続けていました…
今回こうした新たなデータを解析するとこれまで知られることのなかった大量放出の実体が浮かび上がってきました…
世界最悪レベルとなった原発事故…
福島第一原発は巨大津波によって全ての電源が失われ3つの原子炉が次々とメルトダウンしました…
さらに1号機と3号機の建物が爆発…
これまで放射性物質の大半は事故発生から最初の4日間で放出されたと考えられきました…
今年公開された所謂吉田調書など国がこれまで行った事故調査はこの4日間が中心でした…
しかし…
その放出は全体の一部にすぎませんでした…
今回新たなデータを解析し専門家と共に映像化…
結果は衝撃的なものでした…
最初の4日間で放出された放射性物質は全体の25%にすぎませんでした…
その後2週間に渡って全体の75%もの放出が起きていたのです…
この知られざる大量放出はなぜ起きたのか…
その原因として強く疑われたのは原発に潜む構造的な弱点でした…
現場で何が起きていたのか取材を元に再現…
事態は収束に向かうどころか寧ろ悪化していたのです…
人々の帰還を阻む深刻な汚染…
その新たな原因がみえてきたのです…
事故から3年9ヵ月…
今浮かび上がる原発事故の新たな真実です…
福島第一原発の事故の影響で大規模な停電が続いていた…
2011年3月15日…
事故発生からの4日間で次々とメルトダウンした3つの原子炉…
現場は事故の収束を急いでいました…
原子炉は尚も高い温度の状態が続いていました…
このまま圧力が高まり原子炉を覆う格納容器が大きく損傷すれば…
大量の放射性物質が放出され兼ねません…
原子炉を冷やすために行われていたのが消防車による注水です…
本来消火用の設備だった配管を使って原子炉に水を注ぐという全く想定していなかった対応でした…
事故対応の最前線免震重要棟です…
この頃600人を越す社員たちが一時的に避難していたため吉田所長以下およそ70人が事故対応に当たっていました…
(3月15日免震重要棟…)
消防車からの注水が本格化したことで現場は最悪の事態は切り抜けたと感じていました…
ところが…
新たな情報は原子炉の在る建物から放射性物質の放出が続いているというものでした…
消防車による注水が届いていない可能性が浮かび上りました…
現場の放射線量が高いため消防車は無人の状態で丸2日間注水を続けていました…
消防車は順調に水を送り出していました…
一方…
中央制御室に確認に向かった運転員たち…
水は原子炉に届いているのか…
バッテリーを使って水位計を復旧します…
すると…
顕わになった3号機の危機…
現場は原子炉で起きている事態をつかみきれずにいました…
原子炉の中で何が起きていたのか…
消防車による注水が一部別の場所に抜けていた…
複雑の配管の途中にあるポンプ…
本来動いているはずのこのポンプが止まっていたため水が別の場所に流れ込んでいた…
その後の東京電力の検証で抜け道は1号機から3号機合せて18ヵ所にのぼっていたことが明らかになっています…
そして今回新たな取材から実際に原子炉に注がれていた水の量に関する手掛かりもみつかりました…
東電の内部資料に記された数字は1時間当たり1㎥(1t/h)…
つまり1トン…
これに対して当時消防車から送り出していた水の量は1時間当たりおよそ30トン(30t/h)…
現場の誰もが想像しえなかった僅かの量でした…
この水の量は原子炉にどのような影響を与えていたのか専門家と読み解きます…
専門家による3号機のシュミレーションです…
メルトダウンによって核燃料の43%が溶け落ちたものの半分以上は中心部に残っている状態でした…
溶け残った核燃料のメルトダウンを防ぐためには全て水に浸す必要がありました…
しかし…
実際には水は僅かしか入っておらず注がれた水が直ぐに蒸発してしまう状況でした…
皮肉なことにこの僅かな水を注ぎ続ける状態がかえって事態を悪化させていたのではないかと専門家は指摘します…
核燃料を覆っている特殊な金属(ジルコニウム)を使って実験します…
まず1,200℃まで加熱します…
ここに僅かな水を蒸発させて流し込みます…
金属は冷やされるどころか急速に温度が上がっていきます…
僅か2分で温度は78℃上昇しました…
これは核燃料を覆っている金属と水蒸気が化学反応を起こし激しく熱を出すためです…
表面の温度が急上昇すると亀裂が生じ放射性物質が漏れ出します…
メルトダウンを止めるはずの水が逆に放出を長引かせていたのです…
今回明らかになった全体の75%を占める大量放出…
3月15日の午後からおよそ2週間続いていました…
その間原子炉内部では消防車による注水が原因で放射性物質が出続けていました…
それが格納容器の隙間からジワジワと漏れ出し長期間の放出に繋がっていたとみられています…
今回新たに入手したデータをもとに原発周辺の汚染をシュミレーションした映像です…
帰還困難区域となっている北西方向に深刻な汚染が広がっています…
これまでこの汚染の大半は事故発生から4日間の放出で広がったと考えられてきました…
しかし…
専門家と共に時間ごとの汚染の広がりを詳細に調べたところ驚くべき事実が明らかになりました…
これは15日正午までの汚染の状況だけを抜き出したものです…
放射性物質は広範囲に広がっているものの汚染はそれ程集中していません…
15日の午後以降翌朝までの時間帯をみてみると…
北西方向に放射性物質の濃度が極めて高い場所が現われました…
この汚染を齎したのが今回新たにわかった全体の10%占める放出だったのです…
なぜ放出が起きたのか…
再び専門家と読み解きます…
専門家が注目したのはこの時間帯に放出された放射性物質の種類です…
なぜかこの時間帯だけ放射性ヨウ素131が大量に放出されていたのです…
格納容器から直接漏れていたとすれば放射性ヨウ素131ばかりがこれ程大量に出るはずがないと専門家は言います…
では…
どこから放出されたのか…
15日午後以降の記録を徹底的に洗い直すと放出の少し前…
3号機である操作が行われていたことがわかりました…
ベントです…
この時間…
3号機では格納容器の異常が検知されていました…
ベントは圧力が高まった際に格納容器を守るための操作です…
格納容器内部の蒸気を水に潜らせ放射性物質の量を1,000分の1に下げたうえで外に放出するというものでした…
しかし…
ベントの後で敷地内放射線量が急上昇していたのです…
ベントでは格納容器の下に貯められた水に放射性物質を取り込みます…
しかし…
水が高温になるとその機能を失い大半の放射性物質を逃してしまうことがわかりました…
ただその場合でもここまで大量のヨウ素131が出るのは考えにくいと専門家は指摘します…
そこでベントによる放出経路を全て調べることにしました…
注目したのは30mに及ぶ地下の長い配管です…
実はこの配管はベントで放射性物質を出す際…
最終的なフィルターの役目も果たします…
ここまでに水で捉えきれなかったヨウ素131などの放射性物質が配管の内側に吸着されます…
記録によれば3号機はそれまでに4回のベントを行っていました…
大量放出は5回目のベントのタイミングで起きていました…
それまでのベントで配管に溜まった大量のヨウ素131が5回目のベントで一気に放出されたのではないか…
地下の配管の構造を再現し実験で確かめます…
放射線を出さないヨウ素(ヨウ化セシウム)を管に入れます…
ヨウ素が混じった蒸気を格納容器側から流し込みます…
この時ヨウ素が配管に付着します…
しかし…
予想外のことが起きました…
ベントを繰り返すうちに水が溜まり始めたのです…
その状態でベントによる蒸気が流れ込むとどうなるか…
蒸気が水を押し込みます…
しかし…
水によって押し戻されます…
暫く水と蒸気が押し合う状態が続きます
そして…
水は加熱され霧状となり外部に押し出されていきます…
排出されたヨウ素の量を測ると1回目の10倍以上になっていました…
地下に埋設された配管は水が貯まりやすい構造になっています…
ベントを繰り返すうちに配管は水で満たされ付着したヨウ素が水に大量に取り込まれていたとみられています…
5回目のベントによる蒸気がここに流れ込み…
本来配管に留まるはずの大量のヨウ素131を一気に放出したと専門家はみています…
ベントを繰り返したことで起きたとみられる10%の大量放出…
事故の収束が長引く中で浮かび上がった思わぬ事態でした…
事故から5日が経ち尚もメルトダウンが続く3つの原子炉…
現場が急いでいたのは津波によって失われた電源の復旧です…
電気があれば強力なポンプを使い原子炉に大量の水を注ぐことができるからです…
核燃料を冷やすことがでれば放射性物質の放出も抑えることができます…
その一方で原子炉とは別の懸念も膨らみ始めていました…
1号機から4号機の燃料プール…
核燃料を冷やして保管するための設備です…
冷却装置が止まっていたため水が蒸発し核燃料は最悪メルトダウンする恐れがありました…
現場が最も不安を抱いていたのが4号機プールです…
ここには最も多い1,500体を越す核燃料が保管されていました…
4号機は3号機から流れ込んだ水素による爆発で天井が吹き飛んでいました…
プールの核燃料がメルトダウンすれば東日本全体に深刻な汚染が広がる可能性もありました…
しかし…
プールの周辺は放射線量が高く水が在るかどうか近づいて確認することができずにいました…
3月16日午後…
燃料プールの状況を確認するため自衛隊のヘリコプターが原発上空に向かいました…
この時撮影された映像です…
3号機は爆発の瓦礫が積み重なり水蒸気を噴き上げています…
その隣に見えてきた4号機…
免震重要棟にもその映像が直ぐに届けられました…
爆発で崩れた壁の隙間…
そこから一瞬…
光の反射が見えました…
プールの水面ではないか…
当時の東電内部でのやり取りを記した内部資料です…
「SFP(=燃料プール)には、水があるように見える!」
プール周辺の放射線量のデータも入ってきました…
毎時100ミリシーベルト(100msv)…
それはプールにまだ水が残っていることを示す数字でした…
プールの映像を確認した後…
東京電力は作業の優先順位を決めていました…
翌朝の現場での作業は電源復旧を急ぐ計画になっていたのです…
3月17日朝(午前7時)…
電源復旧を担う応援部隊が福島第一原発に向かっていました…
関東各地から400人を越す電気工事の技術者が集められていました…
しかし…
福島第一原発の手前10㎞地点で…
最優先と位置づけられたはずの電源復旧…
何故か直ぐに始めることができません…
急遽進められていたのが自衛隊ヘリによるプールへの放水でした…
さらに地上からも…
放水中はケーブルが濡れる為電源復旧作業はできません…
なぜプールへの放水が優先されたのか…
この頃事故の指揮命令系統に大きな変化が生じていました…
東京電力本店に設置された政府・東京電力事故対策統合本部…
事故対応の判断を本部が下すようになりました…
プールへの放水は本部が急遽決定したものだったのです…
東京電力では原発事故の際…
対応の優先順位を現場が決定することが原則です…
本店は物資の補給など現場の支援する役割です…
しかし…
統合本部が設置された3月15日以降…
その役割は逆転し東京の本部から現場に指示が出るようになっていたのです…
プールを優先するという本部の判断の背景には何があったのか?
事故直後亜米利加が日本に送り込ん専門家だチームの代表(米国・原子力規制委員会)チャールズ・カストー氏…
カストー氏は総理大臣官邸で自衛隊ヘリから撮影された4号機の映像を見せられたと言います…
亜米利加・原子力規制委員会の当時の議事録…
「Unit 4 spent-fuel pool,it's likely dry,...」
4号機の燃料プールは干上がっているようだ…
「which probably mean it's by now likely bried out f...Unit 3.」
激しく蒸気を出している3号機のプールも水がないだろう…
限られた情報しかない中で亜米利加は最悪のシナリオを想定していました…
原子炉に加え4号機のプールでメルトダウンが起きる恐れがあるとして…
日本政府が指示した範囲よりも遥かに広い80㎞圏内からの避難を呼びかけていた…
自衛隊ヘリによる放水の前日…
亜米利加は日本政府に強い危機感を伝えました…
東亜細亜地域の責任者だったカート・キャンベル元国務次官補…
キャンベル元国務次官補が危機感を伝えたのは藤崎一郎元駐米大使です…
プールを優先するという統合本部の判断は国内外の危機感重く受けとめた結果だったのです…
その後も電源復旧作業はプールへの放水の度に中断を繰り返します…
その間にも放射性物質の放出は続いていました…
3月21日には南向きの風に運ばれ関東一圓を汚染…
東京の水道水の一部からも放射性物質が検出されたのです…
4号機プールへの放水が終わり電源復旧作業が本格化したのは3月22日…
キリンと呼ばれるポンプ車でプールへの安定的な放水ができるようになったためでした…
4号機の燃料プールの様子がカメラで直接捉えられたのは4月…
プールに水が在るという決定的な証拠でした…
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昨日あるテレビでやっていました…
見るだけでは理解できないので…
打ち出して…
それでも結局よくわかりませんが…
メディアは正しいことを伝えられない…
人間は一人では生きてはいない…
嘘や間違いや一部の利益を守ることが優先された真実かもしれませんが…
大切なことが凝縮された緊張感が込められていることを理解しようと…
その背後のことを思い合うことが進むためには大切で…
恨むことは辞めたんだ…
2011年3月13日…
東北沖に展開していた亜米利加の空母が放射線量の上昇を捉えていました…
東京電力福島第一原子力発電所の事故…
空母は事故で放出された放射性物質のデータをその後も記録をし続けていました…
今回こうした新たなデータを解析するとこれまで知られることのなかった大量放出の実体が浮かび上がってきました…
世界最悪レベルとなった原発事故…
福島第一原発は巨大津波によって全ての電源が失われ3つの原子炉が次々とメルトダウンしました…
さらに1号機と3号機の建物が爆発…
これまで放射性物質の大半は事故発生から最初の4日間で放出されたと考えられきました…
今年公開された所謂吉田調書など国がこれまで行った事故調査はこの4日間が中心でした…
しかし…
その放出は全体の一部にすぎませんでした…
今回新たなデータを解析し専門家と共に映像化…
結果は衝撃的なものでした…
最初の4日間で放出された放射性物質は全体の25%にすぎませんでした…
その後2週間に渡って全体の75%もの放出が起きていたのです…
この知られざる大量放出はなぜ起きたのか…
その原因として強く疑われたのは原発に潜む構造的な弱点でした…
現場で何が起きていたのか取材を元に再現…
事態は収束に向かうどころか寧ろ悪化していたのです…
人々の帰還を阻む深刻な汚染…
その新たな原因がみえてきたのです…
事故から3年9ヵ月…
今浮かび上がる原発事故の新たな真実です…
福島第一原発の事故の影響で大規模な停電が続いていた…
2011年3月15日…
事故発生からの4日間で次々とメルトダウンした3つの原子炉…
現場は事故の収束を急いでいました…
原子炉は尚も高い温度の状態が続いていました…
このまま圧力が高まり原子炉を覆う格納容器が大きく損傷すれば…
大量の放射性物質が放出され兼ねません…
原子炉を冷やすために行われていたのが消防車による注水です…
本来消火用の設備だった配管を使って原子炉に水を注ぐという全く想定していなかった対応でした…
事故対応の最前線免震重要棟です…
この頃600人を越す社員たちが一時的に避難していたため吉田所長以下およそ70人が事故対応に当たっていました…
(3月15日免震重要棟…)
消防車からの注水が本格化したことで現場は最悪の事態は切り抜けたと感じていました…
ところが…
新たな情報は原子炉の在る建物から放射性物質の放出が続いているというものでした…
消防車による注水が届いていない可能性が浮かび上りました…
現場の放射線量が高いため消防車は無人の状態で丸2日間注水を続けていました…
消防車は順調に水を送り出していました…
一方…
中央制御室に確認に向かった運転員たち…
水は原子炉に届いているのか…
バッテリーを使って水位計を復旧します…
すると…
顕わになった3号機の危機…
現場は原子炉で起きている事態をつかみきれずにいました…
原子炉の中で何が起きていたのか…
消防車による注水が一部別の場所に抜けていた…
複雑の配管の途中にあるポンプ…
本来動いているはずのこのポンプが止まっていたため水が別の場所に流れ込んでいた…
その後の東京電力の検証で抜け道は1号機から3号機合せて18ヵ所にのぼっていたことが明らかになっています…
そして今回新たな取材から実際に原子炉に注がれていた水の量に関する手掛かりもみつかりました…
東電の内部資料に記された数字は1時間当たり1㎥(1t/h)…
つまり1トン…
これに対して当時消防車から送り出していた水の量は1時間当たりおよそ30トン(30t/h)…
現場の誰もが想像しえなかった僅かの量でした…
この水の量は原子炉にどのような影響を与えていたのか専門家と読み解きます…
専門家による3号機のシュミレーションです…
メルトダウンによって核燃料の43%が溶け落ちたものの半分以上は中心部に残っている状態でした…
溶け残った核燃料のメルトダウンを防ぐためには全て水に浸す必要がありました…
しかし…
実際には水は僅かしか入っておらず注がれた水が直ぐに蒸発してしまう状況でした…
皮肉なことにこの僅かな水を注ぎ続ける状態がかえって事態を悪化させていたのではないかと専門家は指摘します…
核燃料を覆っている特殊な金属(ジルコニウム)を使って実験します…
まず1,200℃まで加熱します…
ここに僅かな水を蒸発させて流し込みます…
金属は冷やされるどころか急速に温度が上がっていきます…
僅か2分で温度は78℃上昇しました…
これは核燃料を覆っている金属と水蒸気が化学反応を起こし激しく熱を出すためです…
表面の温度が急上昇すると亀裂が生じ放射性物質が漏れ出します…
メルトダウンを止めるはずの水が逆に放出を長引かせていたのです…
今回明らかになった全体の75%を占める大量放出…
3月15日の午後からおよそ2週間続いていました…
その間原子炉内部では消防車による注水が原因で放射性物質が出続けていました…
それが格納容器の隙間からジワジワと漏れ出し長期間の放出に繋がっていたとみられています…
今回新たに入手したデータをもとに原発周辺の汚染をシュミレーションした映像です…
帰還困難区域となっている北西方向に深刻な汚染が広がっています…
これまでこの汚染の大半は事故発生から4日間の放出で広がったと考えられてきました…
しかし…
専門家と共に時間ごとの汚染の広がりを詳細に調べたところ驚くべき事実が明らかになりました…
これは15日正午までの汚染の状況だけを抜き出したものです…
放射性物質は広範囲に広がっているものの汚染はそれ程集中していません…
15日の午後以降翌朝までの時間帯をみてみると…
北西方向に放射性物質の濃度が極めて高い場所が現われました…
この汚染を齎したのが今回新たにわかった全体の10%占める放出だったのです…
なぜ放出が起きたのか…
再び専門家と読み解きます…
専門家が注目したのはこの時間帯に放出された放射性物質の種類です…
なぜかこの時間帯だけ放射性ヨウ素131が大量に放出されていたのです…
格納容器から直接漏れていたとすれば放射性ヨウ素131ばかりがこれ程大量に出るはずがないと専門家は言います…
では…
どこから放出されたのか…
15日午後以降の記録を徹底的に洗い直すと放出の少し前…
3号機である操作が行われていたことがわかりました…
ベントです…
この時間…
3号機では格納容器の異常が検知されていました…
ベントは圧力が高まった際に格納容器を守るための操作です…
格納容器内部の蒸気を水に潜らせ放射性物質の量を1,000分の1に下げたうえで外に放出するというものでした…
しかし…
ベントの後で敷地内放射線量が急上昇していたのです…
ベントでは格納容器の下に貯められた水に放射性物質を取り込みます…
しかし…
水が高温になるとその機能を失い大半の放射性物質を逃してしまうことがわかりました…
ただその場合でもここまで大量のヨウ素131が出るのは考えにくいと専門家は指摘します…
そこでベントによる放出経路を全て調べることにしました…
注目したのは30mに及ぶ地下の長い配管です…
実はこの配管はベントで放射性物質を出す際…
最終的なフィルターの役目も果たします…
ここまでに水で捉えきれなかったヨウ素131などの放射性物質が配管の内側に吸着されます…
記録によれば3号機はそれまでに4回のベントを行っていました…
大量放出は5回目のベントのタイミングで起きていました…
それまでのベントで配管に溜まった大量のヨウ素131が5回目のベントで一気に放出されたのではないか…
地下の配管の構造を再現し実験で確かめます…
放射線を出さないヨウ素(ヨウ化セシウム)を管に入れます…
ヨウ素が混じった蒸気を格納容器側から流し込みます…
この時ヨウ素が配管に付着します…
しかし…
予想外のことが起きました…
ベントを繰り返すうちに水が溜まり始めたのです…
その状態でベントによる蒸気が流れ込むとどうなるか…
蒸気が水を押し込みます…
しかし…
水によって押し戻されます…
暫く水と蒸気が押し合う状態が続きます
そして…
水は加熱され霧状となり外部に押し出されていきます…
排出されたヨウ素の量を測ると1回目の10倍以上になっていました…
地下に埋設された配管は水が貯まりやすい構造になっています…
ベントを繰り返すうちに配管は水で満たされ付着したヨウ素が水に大量に取り込まれていたとみられています…
5回目のベントによる蒸気がここに流れ込み…
本来配管に留まるはずの大量のヨウ素131を一気に放出したと専門家はみています…
ベントを繰り返したことで起きたとみられる10%の大量放出…
事故の収束が長引く中で浮かび上がった思わぬ事態でした…
事故から5日が経ち尚もメルトダウンが続く3つの原子炉…
現場が急いでいたのは津波によって失われた電源の復旧です…
電気があれば強力なポンプを使い原子炉に大量の水を注ぐことができるからです…
核燃料を冷やすことがでれば放射性物質の放出も抑えることができます…
その一方で原子炉とは別の懸念も膨らみ始めていました…
1号機から4号機の燃料プール…
核燃料を冷やして保管するための設備です…
冷却装置が止まっていたため水が蒸発し核燃料は最悪メルトダウンする恐れがありました…
現場が最も不安を抱いていたのが4号機プールです…
ここには最も多い1,500体を越す核燃料が保管されていました…
4号機は3号機から流れ込んだ水素による爆発で天井が吹き飛んでいました…
プールの核燃料がメルトダウンすれば東日本全体に深刻な汚染が広がる可能性もありました…
しかし…
プールの周辺は放射線量が高く水が在るかどうか近づいて確認することができずにいました…
3月16日午後…
燃料プールの状況を確認するため自衛隊のヘリコプターが原発上空に向かいました…
この時撮影された映像です…
3号機は爆発の瓦礫が積み重なり水蒸気を噴き上げています…
その隣に見えてきた4号機…
免震重要棟にもその映像が直ぐに届けられました…
爆発で崩れた壁の隙間…
そこから一瞬…
光の反射が見えました…
プールの水面ではないか…
当時の東電内部でのやり取りを記した内部資料です…
「SFP(=燃料プール)には、水があるように見える!」
プール周辺の放射線量のデータも入ってきました…
毎時100ミリシーベルト(100msv)…
それはプールにまだ水が残っていることを示す数字でした…
プールの映像を確認した後…
東京電力は作業の優先順位を決めていました…
翌朝の現場での作業は電源復旧を急ぐ計画になっていたのです…
3月17日朝(午前7時)…
電源復旧を担う応援部隊が福島第一原発に向かっていました…
関東各地から400人を越す電気工事の技術者が集められていました…
しかし…
福島第一原発の手前10㎞地点で…
最優先と位置づけられたはずの電源復旧…
何故か直ぐに始めることができません…
急遽進められていたのが自衛隊ヘリによるプールへの放水でした…
さらに地上からも…
放水中はケーブルが濡れる為電源復旧作業はできません…
なぜプールへの放水が優先されたのか…
この頃事故の指揮命令系統に大きな変化が生じていました…
東京電力本店に設置された政府・東京電力事故対策統合本部…
事故対応の判断を本部が下すようになりました…
プールへの放水は本部が急遽決定したものだったのです…
東京電力では原発事故の際…
対応の優先順位を現場が決定することが原則です…
本店は物資の補給など現場の支援する役割です…
しかし…
統合本部が設置された3月15日以降…
その役割は逆転し東京の本部から現場に指示が出るようになっていたのです…
プールを優先するという本部の判断の背景には何があったのか?
事故直後亜米利加が日本に送り込ん専門家だチームの代表(米国・原子力規制委員会)チャールズ・カストー氏…
カストー氏は総理大臣官邸で自衛隊ヘリから撮影された4号機の映像を見せられたと言います…
亜米利加・原子力規制委員会の当時の議事録…
「Unit 4 spent-fuel pool,it's likely dry,...」
4号機の燃料プールは干上がっているようだ…
「which probably mean it's by now likely bried out f...Unit 3.」
激しく蒸気を出している3号機のプールも水がないだろう…
限られた情報しかない中で亜米利加は最悪のシナリオを想定していました…
原子炉に加え4号機のプールでメルトダウンが起きる恐れがあるとして…
日本政府が指示した範囲よりも遥かに広い80㎞圏内からの避難を呼びかけていた…
自衛隊ヘリによる放水の前日…
亜米利加は日本政府に強い危機感を伝えました…
東亜細亜地域の責任者だったカート・キャンベル元国務次官補…
キャンベル元国務次官補が危機感を伝えたのは藤崎一郎元駐米大使です…
プールを優先するという統合本部の判断は国内外の危機感重く受けとめた結果だったのです…
その後も電源復旧作業はプールへの放水の度に中断を繰り返します…
その間にも放射性物質の放出は続いていました…
3月21日には南向きの風に運ばれ関東一圓を汚染…
東京の水道水の一部からも放射性物質が検出されたのです…
4号機プールへの放水が終わり電源復旧作業が本格化したのは3月22日…
キリンと呼ばれるポンプ車でプールへの安定的な放水ができるようになったためでした…
4号機の燃料プールの様子がカメラで直接捉えられたのは4月…
プールに水が在るという決定的な証拠でした…