紫の落書き帳

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YMOの高橋ユキヒロさんが死去

2023-01-15 14:56:30 | 芸能・音楽
嗚呼・・(/ _ ; )

《本文》
伝説のバンド「YMO」のメンバーでドラマーの高橋幸宏さんが亡くなりました。70歳でした。

 高橋さんが最近、亡くなったことを関係者がテレビ朝日の取材に認めました。亡くなった日時や状況は明らかにされていません。

 高橋さんは2020年に脳腫瘍(しゅよう)の摘出手術を受けたことを公表し、治療を続けていました。

 高橋さんは1972年にサディスティック・ミカ・バンドに加入してデビュー。

 1978年に坂本龍一さん、細野晴臣さんと「YMO」、イエロー・マジック・オーケストラを結成し、テクノ・ブームを巻き起こしました。

 代表曲「ライディーン」を作曲したほか、テクノカットや赤い人民服などグループのビジュアルイメージを構築しました。

 デビュー50周年となる去年9月の記念ライブには出演を目指しましたが、かないませんでした。

 YMOの盟友で自身もステージ4のがんで闘病中である坂本龍一さんのツイッターには、追悼を表すとみられるグレー一色の画像が投稿されました。コメントは付けられていません。

ANNニュース

(坂本龍一さんのツイッターより)


※(2023年1月15日15時10分のNHKニュースより)


NHKニュース

※※《続報》(1月15日18時のNHKニュースより)
死亡日は2023年1月11日でした。

《続報の本文》
世界的に人気を集めた音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ」=「YMO」などで活躍した、ミュージシャンの高橋幸宏さんが今月11日に誤えん性肺炎のため亡くなりました。70歳でした。

高橋幸宏さんは東京出身で、1978年に、ミュージシャンの細野晴臣さん、坂本龍一さんとともに音楽グループの「イエロー・マジック・オーケストラ」=「YMO」を結成しました。

YMOは、コンピューターやシンセサイザーといった当時最新の電子楽器を使った斬新な音楽性で“テクノポップ”という新しい音楽のジャンルを築き、高橋さんはドラマーとして活躍して大ヒット曲の「ライディーン」の作曲も手がけました。

YMOは1983年に解散するまで海外でもコンサートを重ねて人気を集め、高橋さんのドラムは、正確なリズムとシンプル、かつ多彩な表現で演奏の土台を担いました。

また、YMOがコンサートなどで着用し、グループの象徴的なファッションとなった赤い人民服は高橋さんがデザインしたもので、音楽家としての顔を持つ一方ファッション・デザイナーとしても長く活動し、みずからブランドを立ち上げるなど幅広い活動を続けてきました。

2020年8月には、脳腫瘍の手術を受けたことを公表し「できるだけ早い時期に皆さんの前に立てるよう努めていきたい」とコメントしていました。

所属事務所によりますと高橋さんは、今月11日に誤えん性肺炎のため、自宅で亡くなったということです。





cf.紫の落書き帳 2020.8.31

※2023年1月15日15時37分追加

※※2023年1月15日18時24分追加


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