まさアキの ないしょばなし

関東在住、定年過ぎ、おやじ、オリックスファンです。

浪人時代その他 の たくさんある自分

2021年12月31日 07時39分40秒 | 日記

1 予備校に通っていた、リアル浪人時代(昭和54年4月~昭和56年3月)

2 大学三年生になれなかった留年時代(昭和58年4月~昭和59年3月)

3 自動車メーカーを辞めて遊んでいた時代(昭和62年6月~昭和63年2月)

4 三鷹のコピー会社を辞めて遊んでいた時代(平成3年11月~平成4年2月)

5 うつ病時代その1(平成20年8月~12月)

6 うつ病時代その2(平成24年8月~12月)

7 うつ病時代その3(平成29年8月~11月)そして退職

8 公益法人職員を辞めて遊んでいた時代(平成29年12月~平成30年3月)

 

まあ、一言でいうと、あっしは怠け者ですね。

あと、世の中と中々折り合えない不器用さも持ち合わせています。

よく、公益法人職員を25年も続けることが出来たって思います。

現在、60歳と9か月、家族と周囲の協力のおかげで

つつがなく、令和3年の暮れを迎えることに感謝ですね。

 

 

  

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(漫才の)昭和のいるこいるさん 楽しませてもらいました

2021年12月31日 07時35分00秒 | 日記

「ヘーヘーホーホー」「そんなもんだしょうがねぇ」などの

とぼけた相づちで知られた漫才師の昭和こいる

(しょうわ・こいる、本名庄田太一〈しょうだ・たいち〉)さんが30日、

前立腺がんで死去した。77歳だった。

群馬県生まれ。

1966年に獅子てんや・瀬戸わんやに入門して

漫才コンビ花園のいる・こいるを結成、

後に昭和のいる・こいると改めて76年に漫才コンクールで最優秀賞。

86年から東京の寄席で活躍した。  

相方のいるさんが話題を振るたびに「よかったよかった」「しょうがねぇ」

と素っ気なく応じるやりとりが笑いを呼び、

2000年代に入ってテレビ番組などで人気が出た。

のいるさんが病気のため、近年は漫談などで舞台に立っていた。

 

NHKラジオの「真打ち共演」って寄席番組、87年の仕事辞めた浪人時代から

よく聞いていたので、昭和のいるこいるのことをよく知っています。

好きだったな。ご冥福をお祈りします。

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いい天気で感謝です

2021年12月31日 07時14分00秒 | 日記

昨日の午後は比較的暖かくて、郁子と買物に出かけると

水分の無くなった灰色の雪雲が通過し、くらあくなった。

寒気が入ってくるねと、郁子に教えた。

そのあとは末っ子と一緒に郁子のおせち料理に協力して

夜遅くまで起きていた。

次女は遅くに帰ってきた。彼女は今日と明日元日、あさって二日は仕事らしい。

都内に一人暮らしをする長女はこれまた勤務らしい。

正月に会えないと分かり郁子はがっかり。

ま、しょうがないね。

 

今朝はすっかり晴れているが一部に雲があり、冷え込みは普通だが

気温がぐっと上がる雰囲気はない。

きのう、ガラス拭きをして置いて良かった。

きょうは、室内の掃除機掛けと、郁子の運転手で終わりかな?

 

 

 

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