まさアキの ないしょばなし

関東在住、定年過ぎ、おやじ、オリックスファンです。

原節子さんの映画をすこしずつ見ている

2015年12月24日 23時40分21秒 | 日記
早朝の20分とか30分とか使ってね。

録画した映画は3本

「わが青春に悔いなし」
「山の音」
「驟雨」

このあいだ、日本映画専門チャンネルで放映していたやつ。
まず「わが~」

大河内傳次郎が時代劇とおんなじように口が開いていなくて
大学教授にあるまじき口下手ぶり。
あんなに演壇で言葉のあいだに間の長い大学教授は居ないぞ。

教授仲間の清水将夫が超若い。(70年代、TBSテレビドラマでよく知っている)

三好栄子がいたのは気が付かなかった。
小津のおはようのときに、この出刃包丁はよく切れるねっていって、押し売りを追い返した三好栄子

中北千枝子もいたんですね。生け花やっている時にせりふが2つくらいあるの。わかーーい。

そして、原節子さん。こんなにワンカットずつ表情が変わる、狂女と痴女が混じったような、
こんなに難しい役を難なくやっている。美女でいい人で、名優の一人だと再確認してます。

藤田進が、刑務所から出てきて、教授家族と再会しているとこまで見ています。


原節子さんは、いい人だと思います。鼻声で一本調子だけど、顔だけで名優だって思います。
それでもって、自分のことが冷静に考えられて、きちんと分かっているから
若くして引退し、絶対に出てこなかったんだと思いますよ。

原節子さんと、山口百恵さんは本当に偉いと思う。
追いかけるマスコミがバカなんですよ。
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もう少し良い思い出を・・・

2015年12月24日 22時49分20秒 | 日記
小学校だった昭和42年は、通学路にあった不思議な地味なパン&ケーキ屋さんから
バタークリーム一杯のクリスマスケーキを父が買ってきたように思う。

翌年は新築の家が今の実家に建ち、父ははしゃいで、月賦でパイオニア社のステレオセット
なんかまで買っちゃって、絶好調でしたね。13畳の板の間に石油ストーブがんがんたいて、
あの年のクリスマスと正月がいちばん楽しかったな、夫婦仲も良かったしな。

昭和61年、最初の社会人の時は、鈴鹿工場で勤務でしたねー。夜勤すよ。
15時20分スタートの23時45分終了。さすがに郁子の実家に電話はできないしなあ。
でも29日に帰って、彼女に小田原まで来てもらって、箱根に行ったな。
ものすごく底冷えのする日で、登山電車の室内温度計が10度もなかったと思う。
彫刻の森だけ見て、ロマンスカーのって(違ったかな)東京まで帰ったね。

平成元年のクリスマスイブは郁子と甲府のアパートで、有馬記念見ながら
お蒲団の中でくっついていましたね。まあ、エッチ。
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