私が死んだあとであなたが読む物語

基本的には「過食症患者の闘病記」、と言っていいでしょう。

ケーブルテレビの悲劇

2011年05月11日 14時25分30秒 | Weblog
引っ越しをしたことにより生活環境が変わりました。

一番大きい変化は、CS放送(ケーブルテレビ)が見られるようになったことでしょうか。

契約したから見られるわけですが、CSが見られるばっかりに、勉強に割く時間が大幅に減ってしまいました。

見たいから見ているというよりは、せっかく契約したのだから見ないともったいないから見ているといった方が正しいと思います。

ではなぜ契約したのか。


実はこれは当初からの親との約束のような部分があります。

引っ越しの話が持ち上がった際、引っ越し先ではCSを見られるというのを条件に引っ越しすることを承諾したような部分があるのです。

親としても引っ越しを嫌がる私を釣るための餌としてCS放送を利用したのかもしれません。

それで引っ越しをして数日後、家にケーブルテレビの人がやって来たときに、当然のように契約したのでした。

さっそくその日からCS放送が見られるようになりました。

そしてすぐ、「自分にはテレビを見ているような時間はない」という考えに至りました。

勉強をしなくては。

自分が今すべきことは勉強だ。

でも、時はすでに遅し。

一度契約してしまうと、半年間は解約できないのです。

じゃあ半年間契約だけしておいて、CSを見ずに今まで通り勉強すればいいと思われるでしょう。

確かにそれが一番いいのかもしれません。

しかしそうなると、毎月見もしないCS放送に3000円程度のお金を払ってることになる。

別に私が払ってるわけじゃないのですが(親が払ってます)、それがどうも許せない。

自分としては、毎月3000円分の参考書を買ってる方がCS放送よりよっぽどいいのですが、毎月お金を払ってる以上、見ないとそのお金をドブに捨ててるようなもんです。

それで必ずしも見たいわけでもないのに見てたりします。

CS放送のない以前の生活環境における私の生活の三本柱は「英語の勉強」・「漢字の勉強」・「将棋」でした。

大半の時間をこれらに費やしていましたが、生活環境の変わった今では「将棋」は完全に消滅し、「漢字の勉強」もたまにする程度、「英語の勉強」だけが辛うじて首の皮一枚つながっているといったところでしょうか。


引っ越しした直後は部屋が片付かず、日課にしていた勉強もまともにできませんでした。

CSが見られるようになってからは、CSに気持ちと時間を持っていかれ、日課にしていた勉強をまともにできていません。

部屋が片付いて普通の生活ができるようになり、尚且つ、まだCS放送の契約をしていないごくわずかな期間、そこには確かに私が理想としていた勉強の日々がありました。

それは本当にごくわずかな期間で、はっきりと覚えているのが、夜、テレビも点けずに机に向かって勉強をしていた記憶があります。

しかし、その翌日にはもうCS放送の契約をしています。

それ以来おかしなことになってます。

また元のような生活スタイルを確立することはできるのでしょうか。

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