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SENSATION[サンサシヨン]

Sensation:印象・感覚・刺激・興奮 Concept:雑草魂 Keyword:20世紀ノスタルジア

20世紀ノスタルジア

2006-08-23 17:38:44 | beau
  風になれ! 光になれ! 空間になれ!
  言葉を澄ませ! 呼吸を止めろ!






 講演の帰り、20年ぶりに会った旧友は、時間が余ったのでどこかへ、と言い、車を運転して市立美術館へ案内してくれた。空がどこまでも青く、太平洋まで続くと思えた。20年間の話を、いや、話などできるわけがない。20年ぶりだね、という話しかない。再会するなどと思わず、再会しても、再会したという気持ちにはならない。昨日も一緒に研究会に出て、今日も徹夜で飲み明かすだろう、そんな印象しかない。けれども、時間は絶対的に2人を隔てている。たとえ、ほとんど密着した空間がそこに現れたとしても。

 私はもちろんのこと、案内人すら、ここでこのような催しをしているとは思わなかった。地方都市の市立美術館に、私は何も期待していなかった。案の定、門柱は古びて、エントランスは狭いように感じられた。だが、私たちは展示を見ている間、ほとんど一言も発しなかった。2人で連れ立って歩いている意識よりも、ここでこのようなものが見られたということの驚きが、2人を覆っていたのだ。そして、それはいわば、どこにでもある、あるものの起源を指し示す展示だった。

 モビール。カタログには、"Motion & Color"と副題されている。針金と結合部と彩色片で構成されるこの対象は、それじたいであり、しかもそれじたいでない。それが個性的となるのは、時系列において展開される周囲の空間との関係性においてでしかない。それは、形があると同時に不定形(アモルフ)でもある。だから、「きれいなモビール」という言い方はなじまない。「存在する無」と同じようなもので、その言い回しはこの個性に関して矛盾をはらんでいる。

 サーカスやニューヨークの繁華街の油彩、動物のシルエットのデッサン、それから、針金の動物、針金の曲芸師、ブロンズの体操選手、プリミティヴな宝飾品、いずれも震える屈曲した線で紡がれたテクスト。それらは、いわば、カーニヴァルの幻だ。カルダーの前史は、20世紀の繁栄と、その奥底に澱のようにたたずむ虚しさとを追跡する。そして、モビール。それは、そこにあって、そこにはない。子どもたちに迎えられる遊技でありながら、あらゆる存在者の裏側をも透視する。

 いつから私たちは、形のある、充実した事象にのみ、価値を認めるようになったのか。正しい言葉遣い、正書法、メッセージ、愛情、ソリューション、それから、都市。私たちの生というカーニヴァルは、いつでも風を受け、ゆらゆらとひるがえる一木のモビールに過ぎない。モビールに向かう時、私たちが目にするのは、私たち自身の身体の姿にほかならない。それは、踊り、走り、揺れて愛しあう。だがそれは、変わり、停止し、そして死ぬ。モビールは、ひとつの生である。

 「よかったね」。それ以外、2人は、カルダーについてほとんど話さなかった。言葉は一切、不要だった。そして言葉を発することは、いつでも、そこにあってそこにはないものを、とらえ損なう。だから、今、ここに書いたばかりのことも、すべて、完全な欺瞞なのである。カーニヴァルは、必ず終わる。私たちは、言葉という病に取り憑かれている。駅で別れた2人は、次の再会を約束しなかった。これから死ぬまで会えないかどうか、先のことは分からない。けれども、その確率は高いだろうと、私は考えている。

 20世紀は先ごろ過去のものとなった。けれども、私の時間は20世紀に始まり、20世紀に終わるのである。私の21世紀は余生である。新しいことは何もない。どんなことも新鮮ではない。いかなるものにも興味はない。恐らく今後、価値あるものとの出会いはすべて、再会でしかないだろう。しかし、モビールは時々刻々、姿を変える。再会のその時、私たちはどのように揺れているか? 私たちは変わっているか? 私たちはまだ、走っているか?


  風になれ! 光になれ! 空間になれ!
  言葉を澄ませ! 呼吸を止めろ!


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