*ジム・ジャームッシュ監督『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984、カンヌ映画祭カメラ・ドール〈最優秀新人監督賞〉、ロカルノ映画祭グランプリ)
英文学を専攻したが、現在はオンライン・コースの担当にかかりきりというあなたと、日本文学を教えているが、同じくeラーニングで四苦八苦している私とは、テーブルをはさんで握手を交わした。ニューヨーク州カントンでの初仕事は、副学長宅でのレセプション。貧しい英語だけど、とりあえずの会話だけは成立した感じだった。何よりも、あなた方が私たちを迎えて、向き合ってくれたことがその大きな理由だっただろう。民主党の地盤であるNY州は、中間選挙の勝利で盛り上がっていた。(コングラチュレーション。ヒラリーは次の大統領になると思う?)(ええ、そうなってほしいと思うわ。)アメリカのことをほとんど知らない私は、唯一、やや詳しく知っているアメリカ映画の話をした。あなたは映画のことはよく知らないようだった。(『ターミネーター』は子どもには見せないの。Not for children.)
このまま永遠に北へ向かい、極点にまで達するのじゃないかと思われるような高速道路を、マイクロバスのタクシーで、私たちは州都アルバニーからカントンまで6時間かかって移動した。既に、アメリカの食事に辟易しきっていて(脂っこい、甘すぎる、多すぎる)、時差と緊張で夜は眠れず(1~2時間のみ)、さらに出国時にメカニカル・トラブルで丸一日遅れたことも、心理的ダメージになっていた。(しかもこの後、私たちは、帰国時にも積雪のため足止めを食うことになる。)見渡す限り、低木しかない荒野と牧地。ときおりの牛の群れ。ときおりの沼沢地と街。それらをことごとく通り過ぎて、ひたすら走る。私はiPodでクラシックのアラカルトを聴きながら、アルバニーのホテルから持ってきた小さなリンゴを囓った。意識の低下状態がずっと続く。
ハンガリーからやってきたエヴァは、従兄ウィリーのNYの部屋を訪れる。殺風景なワンルーム。競馬とカードで稼いでいるウィリーと、だいたい一日部屋でぐったりしている。(これが俺の食事だ。TVディナー)(TVディナー?)(TVを見ながら食べるから。TV=テレヴィジョン)(分かるわ。それ何?)(肉だ)(何の肉?)(何って、牛だよ)(肉に見えないわ)(これがアメリカの食事だ。俺たちは毎日こんなのを食ってるんだ。)ウィリーの食べるTVディナーは、まあ機内食の安いやつという感じだ。ウィリーはそれを缶のバドワイザーを飲みながら食べる。フォークはプラスチック。エヴァはウィリーが買ってくれたドレスを、彼に気づかれないように、脱いでゴミ箱に捨てる。(趣味が悪いの。)
翌日のプレゼンで、あなたはLMSのシステムを説明してくれた。前に、14時間の時差を越えて、日本と繋いでくれたネット会議システムが、やや品質向上したというので、その実演ももう一度見せられた。(これはあなたが開発したの?)(いいえ! まさか。メーカーに頼んだの。)レセプションで雑談している時は、控えめでシャイな態度だったのが、プレゼンでは、あなたの声は朗々として部屋中に響いた。続いて私がプレゼンをしたのだが、こちらはZaurusであらかじめ作ってきたシナリオを見ながら。それでも、即興よりは、よく伝えられただろう。カメラマンをしていた人が後で、(あなたのその翻訳機、それ何?)と訊いてきた。そんな高性能の翻訳機があったら、ぜひほしいくらいだ。
『ザンパラ』(昔、弘前で女子学生がこの映画を略してこう呼んでいた。その子は、田舎では珍しく『朝日ジャーナル』なんて読んでいて、学内でヴィデオ上映会を開いていた。キューブリックの『ロリータ』をその会で見た。学生以外は私一人。)このタイトルは、「天国よりも不思議な」ということだろうけど、天国がもしあるとしたら、そこはコスモポリタンな場所で、異邦人(stranger)など存在しないだろう。つまり、違和感(strangeness)というものはないはずだ。どんなTVディナーも安物ドレスも、エヴァの気に入っただろう。アメ・フットも。(クォーターバックは守備の時はどうするの?)(何だって? QBは守備はしない。見ていれば分かるよ)(退屈なスポーツね。)違和感がないのが天国なので、ということは、天国ではないこの世では、どこでもいつでも違和感があるわけだ。天国にいるのでない限り、人は、誰もが異邦人なのである。
ウィリーは本名をベラという。彼もハンガリー移民で、ふだんはそれを隠し、ハンガリー語を使うことも嫌う。いかさまトランプで儲けた後、ウィリーとエディーはクリーヴランドに向かう。伯母の家にいるエヴァに会うためだ。長時間のハイウェイの旅。その次はエヴァを連れてフロリダに。またまた、長い長いドライヴ。いつ果てるともないアウトバーン。ロードムーヴィーの意味を初めて知った。どのような場所も、違和感なしではない。だから、また次の場所へと移動せずにはいられないのだ。伯母の家で、ハンガリー語しか使わない伯母と、ウィリーは滑らかに会話していた。そして結末、思い違いから、彼はブタペスト行きの便に乗って離陸する。(彼は機内食を食べただろうか?)
私はあなたと言葉について語った。LとR、IRやEARの発音について、日本語のプレーンなイントネーションについて、(日本人は沈黙がちだと言われるけど?)(いいえ、私はあなたが沈黙がちだとは思わない。それに、こっちにだって喋らない人はたくさんいる。)さすがに年配の副学長は、映画をよく見ているようだった。(キューブリック? 『シャイニング』を知ってるか? あの撮影をしたホテルは、この近くだよ。カナダ国境の方さ。)近くといっても、車で4時間。アルバニーに戻るのに、レイクプラシッドを迂回して、また6時間の車中。カントンの、冷え込んだ夜、私はあなたと、何度目かの握手をして別れを告げた。たぶんもう2度と、会うことはないだろう。(いや、ウェブ上でなら?)
英文学を専攻したが、現在はオンライン・コースの担当にかかりきりというあなたと、日本文学を教えているが、同じくeラーニングで四苦八苦している私とは、テーブルをはさんで握手を交わした。ニューヨーク州カントンでの初仕事は、副学長宅でのレセプション。貧しい英語だけど、とりあえずの会話だけは成立した感じだった。何よりも、あなた方が私たちを迎えて、向き合ってくれたことがその大きな理由だっただろう。民主党の地盤であるNY州は、中間選挙の勝利で盛り上がっていた。(コングラチュレーション。ヒラリーは次の大統領になると思う?)(ええ、そうなってほしいと思うわ。)アメリカのことをほとんど知らない私は、唯一、やや詳しく知っているアメリカ映画の話をした。あなたは映画のことはよく知らないようだった。(『ターミネーター』は子どもには見せないの。Not for children.)
このまま永遠に北へ向かい、極点にまで達するのじゃないかと思われるような高速道路を、マイクロバスのタクシーで、私たちは州都アルバニーからカントンまで6時間かかって移動した。既に、アメリカの食事に辟易しきっていて(脂っこい、甘すぎる、多すぎる)、時差と緊張で夜は眠れず(1~2時間のみ)、さらに出国時にメカニカル・トラブルで丸一日遅れたことも、心理的ダメージになっていた。(しかもこの後、私たちは、帰国時にも積雪のため足止めを食うことになる。)見渡す限り、低木しかない荒野と牧地。ときおりの牛の群れ。ときおりの沼沢地と街。それらをことごとく通り過ぎて、ひたすら走る。私はiPodでクラシックのアラカルトを聴きながら、アルバニーのホテルから持ってきた小さなリンゴを囓った。意識の低下状態がずっと続く。
ハンガリーからやってきたエヴァは、従兄ウィリーのNYの部屋を訪れる。殺風景なワンルーム。競馬とカードで稼いでいるウィリーと、だいたい一日部屋でぐったりしている。(これが俺の食事だ。TVディナー)(TVディナー?)(TVを見ながら食べるから。TV=テレヴィジョン)(分かるわ。それ何?)(肉だ)(何の肉?)(何って、牛だよ)(肉に見えないわ)(これがアメリカの食事だ。俺たちは毎日こんなのを食ってるんだ。)ウィリーの食べるTVディナーは、まあ機内食の安いやつという感じだ。ウィリーはそれを缶のバドワイザーを飲みながら食べる。フォークはプラスチック。エヴァはウィリーが買ってくれたドレスを、彼に気づかれないように、脱いでゴミ箱に捨てる。(趣味が悪いの。)
翌日のプレゼンで、あなたはLMSのシステムを説明してくれた。前に、14時間の時差を越えて、日本と繋いでくれたネット会議システムが、やや品質向上したというので、その実演ももう一度見せられた。(これはあなたが開発したの?)(いいえ! まさか。メーカーに頼んだの。)レセプションで雑談している時は、控えめでシャイな態度だったのが、プレゼンでは、あなたの声は朗々として部屋中に響いた。続いて私がプレゼンをしたのだが、こちらはZaurusであらかじめ作ってきたシナリオを見ながら。それでも、即興よりは、よく伝えられただろう。カメラマンをしていた人が後で、(あなたのその翻訳機、それ何?)と訊いてきた。そんな高性能の翻訳機があったら、ぜひほしいくらいだ。
『ザンパラ』(昔、弘前で女子学生がこの映画を略してこう呼んでいた。その子は、田舎では珍しく『朝日ジャーナル』なんて読んでいて、学内でヴィデオ上映会を開いていた。キューブリックの『ロリータ』をその会で見た。学生以外は私一人。)このタイトルは、「天国よりも不思議な」ということだろうけど、天国がもしあるとしたら、そこはコスモポリタンな場所で、異邦人(stranger)など存在しないだろう。つまり、違和感(strangeness)というものはないはずだ。どんなTVディナーも安物ドレスも、エヴァの気に入っただろう。アメ・フットも。(クォーターバックは守備の時はどうするの?)(何だって? QBは守備はしない。見ていれば分かるよ)(退屈なスポーツね。)違和感がないのが天国なので、ということは、天国ではないこの世では、どこでもいつでも違和感があるわけだ。天国にいるのでない限り、人は、誰もが異邦人なのである。
ウィリーは本名をベラという。彼もハンガリー移民で、ふだんはそれを隠し、ハンガリー語を使うことも嫌う。いかさまトランプで儲けた後、ウィリーとエディーはクリーヴランドに向かう。伯母の家にいるエヴァに会うためだ。長時間のハイウェイの旅。その次はエヴァを連れてフロリダに。またまた、長い長いドライヴ。いつ果てるともないアウトバーン。ロードムーヴィーの意味を初めて知った。どのような場所も、違和感なしではない。だから、また次の場所へと移動せずにはいられないのだ。伯母の家で、ハンガリー語しか使わない伯母と、ウィリーは滑らかに会話していた。そして結末、思い違いから、彼はブタペスト行きの便に乗って離陸する。(彼は機内食を食べただろうか?)
私はあなたと言葉について語った。LとR、IRやEARの発音について、日本語のプレーンなイントネーションについて、(日本人は沈黙がちだと言われるけど?)(いいえ、私はあなたが沈黙がちだとは思わない。それに、こっちにだって喋らない人はたくさんいる。)さすがに年配の副学長は、映画をよく見ているようだった。(キューブリック? 『シャイニング』を知ってるか? あの撮影をしたホテルは、この近くだよ。カナダ国境の方さ。)近くといっても、車で4時間。アルバニーに戻るのに、レイクプラシッドを迂回して、また6時間の車中。カントンの、冷え込んだ夜、私はあなたと、何度目かの握手をして別れを告げた。たぶんもう2度と、会うことはないだろう。(いや、ウェブ上でなら?)