コメディアンで俳優の坂上二郎さん(76)が療養していたのは、栃木県那須塩原市内の特別養護老人ホームだった。
同市に開校した「那須お笑い学校」の名誉校長で、後進の育成に取り組み再起をかける地でもあった。
脳梗塞で倒れた後、転地療養のため同市にマンションを借り05年から奥さんと2人で暮らした。06年4月から本格的にリハビリ活動に入り、月数回通院しながら、歩行や歌を歌ったり、指を使うなどの訓練をしていた。看護職員は「トップスターの威厳を保ちながら、もう一度舞台に立つんだという気概があった」と話した。病院で数年前に開かれた忘年会には顔を出し、持ち歌の『学校の先生』など数曲披露したこともあった。
しかし昨年8月、自宅で転倒、再入院。見舞いに来た萩本欽一さんは「元気になって、先生にありがとうって言いに来ないとね」と励ましたという。
「那須お笑い学校」で直接指導することはなかったが、1期生の那須烏山市志鳥、酪農業柳沢秀一さん(62)は、「二郎さんと二郎さんの『学校の先生』が好きで入校した」という。柳沢さんは芸をほめてもらい「『(柳沢さんは)おれの2代目だ』って、コント55号時代に使っていたわら半紙のネタ帳を『持って行け』って渡そうとしてくれたときもあった」と振り返った。
今月20日、大田原市で開かれる北関東自動車道全面開通記念の「栃木・茨城対抗 健康お笑いライブ」で柳沢さんは、「トリ」を務める。「突然の訃報にきょうは泣きながら『学校の先生』を歌ったが、20日は、私も芸人、絶対泣かないで務めます」と決意していた。
(2011年3月11日10時53分
読売新聞)
関連ニュース
・
コント55号の坂上二郎さん脳梗塞で死去
・
コント55号の坂上二郎さん脳梗塞で死去
・
調査委から「やってますね」…戸惑う安壮富士