題詠「せい」(第8号)より抜粋
壷屋 加藤秀子
琉球の壷屋に生れて壷屋焼 翁は征せり炎を土を
名にし負ふ壷屋の壷は立ちあがる壷の形に成形されて
聖観音掌に受けたまふ宝珠とも形やさしき水滴のあり
客一人ゆゑに正客 掛軸の一筆書をせいぜい誉めて
骨太の陶工作りし水滴は星辰ふふむ清水を吐きぬ
青墨をおろししたたむる年賀状別れし歳のままなる君へ
転居通知来るたび君は遠ざかる半世紀経て欧州の果て
冬瓜正座す 栗田加壽
放つといて私は私でゐたいのと言へばせいせいした筈なのに
小雀の喋りにも似る声がして制服の足信号渡り来
思ひあぐね実らぬ言葉つなぎとめ勢至菩薩の光をせめて
誰のせゐでかくもざんざと哭く雨か紅葉滴る奥山峡に
生ごみを埋めた小庭の片隅の枯草のなか冬瓜正座す
背が少し小さくなりたるわが肩をそつとかかへて男の孫歩く
プチポアンのバッグを買ひて精一杯感謝のつもりきみへの土産
(それぞれ、連作13首から7首を抜粋しました。)
(第8号、2006年3月1日発行)
壷屋 加藤秀子
琉球の壷屋に生れて壷屋焼 翁は征せり炎を土を
名にし負ふ壷屋の壷は立ちあがる壷の形に成形されて
聖観音掌に受けたまふ宝珠とも形やさしき水滴のあり
客一人ゆゑに正客 掛軸の一筆書をせいぜい誉めて
骨太の陶工作りし水滴は星辰ふふむ清水を吐きぬ
青墨をおろししたたむる年賀状別れし歳のままなる君へ
転居通知来るたび君は遠ざかる半世紀経て欧州の果て
冬瓜正座す 栗田加壽
放つといて私は私でゐたいのと言へばせいせいした筈なのに
小雀の喋りにも似る声がして制服の足信号渡り来
思ひあぐね実らぬ言葉つなぎとめ勢至菩薩の光をせめて
誰のせゐでかくもざんざと哭く雨か紅葉滴る奥山峡に
生ごみを埋めた小庭の片隅の枯草のなか冬瓜正座す
背が少し小さくなりたるわが肩をそつとかかへて男の孫歩く
プチポアンのバッグを買ひて精一杯感謝のつもりきみへの土産
(それぞれ、連作13首から7首を抜粋しました。)
(第8号、2006年3月1日発行)